「自分に合った仮面」 ペルソナというテーマは面白いです。 いつもためになるご回答をありがとうございます。 (皆さんへ。

「自分に合った仮面」 ペルソナというテーマは面白いです。 いつもためになるご回答をありがとうございます。 (皆さんへ。 ここでいうペルソナは、社会生活の上で、 人が無自覚的にも作る「仮面」のことです) 以下の質問のご回答の中にあった文言です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10145718580 『ユングが問題としたのは「舞台」を離れてもその仮面 を外せずにいる人。 自分の被っているペルソナとの関係が適合していない場 合はその状況を象徴・警告する夢を見るのだとか。 (『夢分析』) 自分に合った仮面をつける事、仮面を上手に着脱できる ようになる事が大事である、とユング自身も説いていま す。』 関連質問二つです。 「自分に合った仮面」を上手に脱着できるようになるた めには、どのようなことを心掛けるべきなのか、という ことがまず一つ。 次に、 たぶんほとんどの人が、このペルソナというものを、 家庭も含めた社会生活全般において身に付けているもの だとは思うのだが、人格のどのレベルまでか成長を果た すと、このペルソナを身に付けて生きるということが 必要じゃなくなるのかどうかということ。 たとえば、イエスや釈迦がペルソナを身に付けていたと は私には考えにくいです。 なぜかというと、ペルソナというものを身に付ける意識 の中にあるのは、「自己防御」といってよいものがそこ にあるということ。また、相手のためにつける自己中意 識からではない仮面というものもあるのかもしれないが、 それをいわゆるペルソナと呼んでいいのかどうかという 問題もあります。 また、このように自己防御のためにペルソナを身に付け るというのは防御しないといけないものが我にある。も しくはそのペルソナに隠されてあるものは防御しないと いけないという意識があるからこそ、このペルソナを人 は身に付けるのでしょう。しかし人格がある段階まで成 長(進化)した時、もはやそういう自己防御を必要しな くなるとは考えられませんか? 以上二点が質問でございます。 よろしくお願いいたします。

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ベストアンサー

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こちらこそ、いつも浅学な私の回答に目を通して下さった上にBAまで頂き感謝しております。(拙い回答に苦笑されている事と存じます。お恥ずかしい。) 1. >「自分に合った仮面」を上手に脱着できるようになるためには、どのようなことを心掛けるべきなのか。 月並みですが、 「役割」をストレスになるまで背負い込んでその「ペルソナ」が「本来の自分」にならない様に、趣味や息抜きで上手にストレスを発散して、 ニュートラルな「本来の自分」という場所を心に持つ事だと思います。 御存知のように「心」にストレスを溜め込み過ぎると「身体」に病という形で現れるからです。 「理性感情行動心理学」という心理学の領域の一つがあるそうです。 それによると、ストレスには良いものと悪いものがあり、ストレスは「感情」として表出します。 ですからストレスの良し悪しがその表出する「感情」で判断できる、と。 その「感情」にも「マイナス感情」と「プラス感情」に分類され、 さらに「マイナス感情」も「適切なマイナス感情」と「不適切なマイナス感情」に区別されるそうです。 「不適切なマイナス感情」は状況を悪化させる負の行動につながる。 「不安」→「逃避」 「怒り」→「攻撃」 「落ち込み」→「閉じこもり」 「罪悪感」→「自己蔑視」 そしてこれらの感情は身体にも悪影響を与える。 「不安」「怒り」は交感神経の向上をもたらし、「高血圧」や「不眠」を。 「落ち込み」「罪悪感」は副交感神経系の背側迷走神経の向上をもたらし、「食欲減退」や「疲労」に。 「適切なマイナス感情」は状況を改善させる正の行動につながる。 「心配」→「準備」 「不快さ」→「交渉」 「悲しみ」→「分かち合い」 「呵責」→「反省」 身体に及ぼす影響も、副交感神経の腹側迷走神経の活性化を行い、代謝を制御する。 そしてこの「適切なマイナス感情」をトレーニングするとストレスの多い状況下でも「平常心」になる。 この「平常心」が「ペルソナ」の脱着のコントロールに役立つのではないでしょうか。 2.> 人格がある段階まで成長(進化)した時、もはやそういう自己防御を必要しなくなるとは考えられませんか? この御質問に対して、明確な回答を持っていません。 しかし、先日SSカテで「孤独」についてbainiao56さんが出題された御質問に回答したユングの「集合的無意識」「無我」「自己(self)」「物我一如」、そして「自他一如」と関連を持つかと。 >「自己防御のためにペルソナを身に付けるというのは防御しないといけないものが我にある。 もしくはそのペルソナに隠されてあるものは防御しないといけないという意識があるからこそ、このペルソナを人は身に付けるのでしょう。」 「我」という着眼点に卓見だと感じ入りました。 (そういえばユングも仏教から「集合的無意識」を提唱しましたね。) そしてそこから思考を進めたのですが、「我」を超越して「無我」の境地を知り、「世界」と一体感の境地を悟られた方々は「自己(self)」をどのように持たれているのか。 これは「何故私は私であるのか」という形而上学の問いにもつながるものです。 読んだ事はないのですが、永井均の「自我論」、そして「他我問題」にも広がる。 仰る通り、仏教の悟りの境地では自己防御を必要としなくなるのかもしれませんね。 長文になった上に2番目の回答は散漫で回答と呼べないものになってしまいました。申し訳ありません。

いや、2番目の質問に対するあなたのご回答について、 非常に真摯な態度を私は感じましたし、また方向性と して考え方はあなたと同じだと確認できたことは収穫 でした。 1番目、「身体言語」にまで現れるようなストレスを 溜め込んではならない。だからペルソナが自分に合っ ているか、よく自分をしって確認しろというようなこ とですよね。 ストレスが、ユーストレスである分には非常によいこ とだし、また人間の「成長」ということにとって必要 であり、ディストレスを蓄える前に、上手に発散ない し、昇華しろということだと理解しました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

きっちりご回答をいただいた印象があります。 お蔭さまで自分の考え方の方向性を確認できました。 大袈裟な言い方をすればお墨付きをいただいたような・・ 今後ともいろいろ教えてくださいませ。 ありがとうございました。

お礼日時:2015/5/22 21:33

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