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禅画 - 誰の作品でしょうか? この墨絵が気に入っていますが、画家の名前がご存知...

the********さん

2015/6/121:32:02

禅画 - 誰の作品でしょうか? この墨絵が気に入っていますが、画家の名前がご存知の方がいますでしょうか?左上のサインは「泥*」に見えますが、下の字は読めません。
よろしくお願いします。

墨跡,墨絵,随処,禅語,theavidreader27,意趣,左上

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sad********さん

2015/6/213:11:07

井沢 寛州老師 法諱 宗潤 室号 泥龍窟 です。画家ではなく、悟りを開いた禅僧(老師の敬称を付けて言うのが普通)です。印譜で確認してみてください。

書かれている文字は「随處作主(随処に主となる)…行先に 香○○なりけり 蝸牛」です。○の二文字は不明。最初の四文字は禅語で、575は著語(じゃくご)と言って禅語を会得しやすいように付けた言葉です。著語は人間の生き方を示す意趣が内在していますので、単独では道歌(または道句)と呼ばれます。

こうした墨蹟は「画賛」と呼ばれ、画を褒める言葉が書かれているとされ、泥龍窟老師が画も描かれているので自画賛とも言いますが、それは分かっていない方の解釈で、画と著語は本文の難解な禅語の随処作主の意趣を分かり易いように解説しているものです。あくまでこの墨蹟の中心は禅語です。

随処作主は、どんな場面や困難に遭っても悠然として人間本来の生き方を忘れないでいる(自分中心の「主」ではなく、雑言に迷わされない意味での「主」)意趣です。悠然と慌てずに歩みむ蝸牛は、雑事や誹謗があっても本来の生き方を主として生き、反論することもなく、真実の殻に入って世俗に迎合しません。その様子を見習って生きていくようにと、この墨蹟を敬拝する我々に諭しています。

泥龍窟老師は明治28年 神戸生まれ、生来病弱でしたが西宮の海清寺住職の中原鄧州老師に就いて得度し、2年後中学校を中退して出家。京都の円福寺僧堂の神月徹州老師に就いて修行、悟りを開きました。熊本の見性寺、海清寺の住職となって雲水を指導、昭和29年遷化、60歳でした。法を継いだ弟子に、臨済禅宗では最大の宗派妙心寺の管長になった春見文勝老師がいます。

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質問した人からのコメント

2015/6/4 07:19:43

sadoh2006 さん

ご貴重な情報有り難う御座いました。前からこの墨蹟をコンピュウターのスクリーンセーバーに使っていますが、画家の名前は知らないことがとても気になっていました。

sadohさんに頂いた情報を生かして、著言にも自信ができました。如何でしょうか。

行先に
吾家(わぎへ)なりけり
蝸牛

大変お世話様でした
宜しくお願いします

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1〜1件/1件中

kir********さん

2015/6/313:37:33

theavidreader27 様

この墨蹟は井沢寛州と言う禅僧の作品だと思います(1895~1954)。屋号は泥龍窟です。

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