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明日日本史のテストなので、対策プリントをやってるんですが分からないところがあ...

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ID非公開さん

2015/7/521:05:59

明日日本史のテストなので、対策プリントをやってるんですが分からないところがあるので教えてください。お願いします。

①1858年、イギリスは東インド会社を解散させ、インド全土の直接支配を始めた。
この直接支配とはどんな支配ですか?

②1853年、ペリーが浦賀に立ち寄る前、琉球で何をしてたんですか?

③1858年、大老井伊直弼は、孝明天皇の勅許を得ずに、日本に不利な不平等条約である日米修好通商条約を結んだ。

幕府の全権で、貿易取調御用を命じられていたのは誰ですか?

また、その人物が反対した開港場所はどこですか?

また、ハリスは、英国はどのような国だと言っていましたか?

④1858年大老井伊直弼は、大名や勤王の志士らを弾圧した。
処刑された長州藩の人は誰ですか?

⑤1867年、第15代将軍慶喜が大政奉還を申し出た。

慶喜が就任後、薩長はどのような政治を進めようとしていたんですか?

また、大政奉還を慶喜に決断させたヒントを与えたのは誰ですか?また、それはどんなもとですか?

また、大政奉還の日、薩長は「肩すかし」をくったとされるが、それは何ですか?
また、いつ発せられたんですか?

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kog********さん

2015/7/523:01:20

①イギリスはインド帝国を建国し、インドにインド総督を設置する。インド帝国の皇帝はイギリス国王であり、イギリス政府が東インド会社を挟まずに直接統治できるようになった。
② ペリーは日本の浦賀に寄る前、琉球王国に寄る。琉球では日本と同じように琉米修好条約を結んでいる。米国は琉球が条約締結を拒否すれば占領してもよいと本国から通達されていた。
③貿易取調御用やハリスの英国関連はわかり兼ねます。すみません。
ただハリスは条約を締結したいはずですから、英国の危険性を主張したと思います。
朝廷が最後まで拒んだ開港地は兵庫。理由は京の都に近いから。
④吉田松陰
⑤天皇親政。もとは天皇の下に等しい合議制で政治を執る予定だった。しかし大政奉還が実現し、慶喜の政治力は依然として温存された。これでは幕府があったときと何も変わらないため、新政府は王政復古を宣言し慶喜の勢力を排除した。
慶喜に薩長が倒幕を考えていることを土佐藩が懸念し、大政奉還を建白。土佐藩は雄藩であり、革命的な藩。薩長同盟では土佐出身の坂本龍馬が活躍し、他にも新しい国造りを模索していたが、薩摩(末期)や長州に比べると幕府に優しい。山内容堂は、酔えば勤王、覚めれば佐幕と言われた。

ベストアンサー以外の回答

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hir********さん

2015/7/521:09:49

①実効的な植民地支配
②薪水の補給だと思われます
③はちょっとわかりません・・・・
④吉田松陰
⑤天皇主権の政治
なぜ肩透かしを食ったかというと、薩長はその日「討幕の密勅」(偽物説あり)を受け取っていたからです。そこには慶喜暗殺命令もあったため、その日に殺害するはずだったのが先に大政奉還されてしまった、というわけです。

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