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西南戦争についてです。共に苦労して幕末に活躍した薩摩の同志たちの権力争いとい...

rir********さん

2015/8/1211:40:08

西南戦争についてです。共に苦労して幕末に活躍した薩摩の同志たちの権力争いという面があります。西郷隆盛側には桐野、別府、篠原、野村ほか多くの薩摩士族と各地の不平士族。

大久保側には腹心の川路始め大山、西郷弟、黒田、川村、樺山などなど。実に残念な対立でした。

一番嬉しかったのは長州閥ですよね。ほとんどの人物が西郷にお世話になったはずなのに、何故あれほどの悲惨な戦いになったのでしょう。同じ薩摩同士なのに何故途中で和睦ができなかったのでしょうか。特に西郷暗殺を計画した大警視の川路は最悪ですね。薩摩士族の恥です。警察トップとしても最低です。石川県士族による大久保暗殺も当時の世論では当然だったでしょうね。

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tom********さん

編集あり2015/8/1212:17:53

肩を持つわけではありませんが、川路は川路なりの言い分があり、最悪だとは言えません。川路の生家は座付士(幕府や他藩の与力に該当)と呼ばれていた鹿児島藩の中では最下級藩士で、上の御小姓与とか新番・小番と言われる下級城下士から蔑視され、彼らに楯突く座付士・郷士・家中と呼ばれていた陪臣は斬り捨てられても紙一枚の届け出で簡単に処理されていました。川路はいつか復讐してやると思っていたそうです。西南戦争において西郷に味方したのは鹿児島藩士の中でも御小姓与以上の城下士が多く、政府軍に志願したのは長年、虐げられていた郷士・家中・座付士・足軽などの最下級者が多かったそうです。

質問した人からのコメント

2015/8/12 14:44:21

丁寧なご回答ありがとうございました。

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mek********さん

2015/8/1212:26:09

西郷隆盛本人が認識しているより西郷隆盛が大物過ぎたからです。本人が自覚している以上に西郷の存在感が大きかった。だから下野したといっても「はい、さよなら」じゃ済まない。バイトが一人辞めちゃったといったレベルの話じゃ全然ない。明治政府としては西郷の動向が気になって仕方がない。西郷が何を考えているか分からない。鹿児島は辺境すぎて何も伝わってこないのが不気味過ぎる。それで疑心暗鬼になったし、もし西郷が本気で決起すれば明治政府は鎮圧する自信が無い。逆に言えば、それだけ明治政府も脆弱だったといえる。それで下野した西郷を放置する訳にもいかず、西郷が決起する前に先手を取って叩き潰さなければならないと考えた訳です。
元はといえば下野したのが短兵急過ぎた。元々政府首脳は政党だった訳でもないから、閣僚間に路線対立が内在しているのは当然のことでもあった。それなのにひとつ政治案件で対立する度に一方が下野していたら、政府はどんどん小さくなっていく一方です。当時は現代と比較にならないぐらい大きな政治課題が山積している状況。それでいて、まだ明治政府の体制は固まらず脆弱であるという矛盾。それが不幸な結果につながった理由だけど、日本が近代化を果たす為には避けられなかった犠牲だったともいえる。現代人は結果を知っているから小賢しく、ああできなかったか?こうできなかったか?と言いたがるけど、当時の人は自分なりに懸命に生きただけです。

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