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織田信長、真田幸村、武田信玄、石田三成、伊達政宗、直江兼続 この六名の武将...

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ID非公開さん

2016/1/2517:06:49

織田信長、真田幸村、武田信玄、石田三成、伊達政宗、直江兼続

この六名の武将について、生まれた順番や、関係について教えて欲しいです。

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10410さん

2016/1/2603:20:25

武田信玄、織田信長、石田三成、直江兼次、伊達政宗、真田幸村
の順に生まれています。(真田幸村は諸説あり)
一番若い伊達政宗と真田幸村が生まれた時点の他の武将の年齢を順に記します。
46歳 武田信玄(享年53歳)
33歳 織田信長(享年49歳)
07歳 石田三成(享年41歳)、直江兼続(享年60歳)
00歳 伊達政宗(享年70歳)、真田幸村(享年49歳)

武田信玄は、甲斐・信濃を支配する戦国大名(守護大名より)として、その生前は織田信長を一番恐れさせた武将だった。織田信長は貢物を行うなどして友好関係維持に努めたが、武田信玄の晩年に攻められピンチとなる。が、途中で武田信玄が病死する。(信玄の跡継ぎの勝頼は、後に信長に攻められ死亡。)

織田信長の後を引き継いで天下を統一した豊臣秀吉の配下で有能な文官として活躍したのが石田三成。豊臣政権下では奉行として全国の諸大名に対して、検地などを監督・監視していた。この時、上杉家の重臣であった直江兼次と知り合い、有効な関係を築く。
後の関ケ原の戦いでは、西軍の中心人物であった三成と、上杉家を仕切っていた兼続が連携していたのではないかと言われている。

直江兼続が仕えていた上杉景勝と、関ケ原の戦いに伴う会津での争い等で敵対したたのが伊達政宗。
両者ともに江戸時代まで生き残っているが、お互いに仲が悪かったとのことで、逸話が残っている。
また、直江兼続が最初に小姓として仕えた上杉謙信(上杉景勝の養父)は、武田信玄の最大のライバルと言われ、何度も大きな戦いを起こしている。

武田信玄の配下の一人、真田昌幸の二男が真田幸村。幸村は関ケ原の戦いの際は父昌幸とともに西軍に付き、西軍敗北に伴い紀州の九度山に配流される。その後、大阪冬の陣・夏の陣の際には、浪人衆として豊臣家に雇われ、一隊を率いて奮戦する。最後となった夏の陣において、真田幸村が徳川家康の本陣を襲った戦いがすさまじく、自陣を破られた伊達政宗が、「真田日の本一の兵」と褒めたたえたと言ったとか逸話が残っている。
また、幸村は幼いころから上杉家、豊臣家へ人質とされており、上杉家では直江兼続、豊臣家では石田三成と交流があったものと推測される。

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    質問者

    ID非公開さん

    2016/1/2721:42:59

    年齢別にまで分けてくださりありがとうございます!
    伊達政宗さん、こうしてみるとかなり長生きされていて驚きです。
    六名の方それぞれを大変わかりやすく説明していただいたので、この方をベストアンサーに選ばせていただきます!
    ありがとうございました!!

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今年の大河ドラマの主人公ということで、真田信繁(以下幸村)を中心に説明しましょう。

まず、武田信玄とは祖父・父・伯父が主従の関係です。父・昌幸は信玄に気に入られて信玄の母方の一族の武藤家の養子になったこともあります。その子供なので対面したことがあるかもしれません。

直江兼続とは上杉家に人質として留め置かれていた時期に出会いました。上杉景勝は幸村を人質扱いせず、軍略などについても直接あるいは兼続ら重臣たちから指導されたようです。戦国の大大名、武田・上杉の両方の軍略を身に着けたのが後の活躍に繋がったのかもしれません。

石田三成と出会ったのは、幸村が豊臣秀吉のもとで人質生活を送っていた時期に出会いましたが、そもそもこの二人は親戚関係です。幸村の母と三成の妻は姉妹なので三成は幸村にとって母方の叔父ということになります。

伊達政宗とは面識はあっても繋がりはありません。ただし、幸村の遺児たちが片倉家に引き取られ、娘の阿梅は政宗の片腕とされる片倉小十郎景綱の息子である重長の後妻となり、弟守信の家系は仙台真田家として現在に至ります。

織田信長とは全く面識がないのと同等です。ただ、信長直属の四軍団長のひとりである滝川一益と豊臣秀吉とは信長死後に関わりを持ちます。一益の孫の一積と幸村の妹の於菊が夫婦となるので親戚関係となります。秀吉にも信頼を得て豊臣姓を下賜されるほどになりました。

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yorunattouさん

2016/1/2517:30:26

生まれた順番は、武田信玄(1521)、織田信長(1534)、石田三成と直江兼続(1560)、伊達政宗と真田幸村(1567)です。

織田信長は武田信玄を非情に警戒していて、存命中は戦うのを避けていたようなところがあります。石田三成と直江兼続は同い年のせいもあり、何となく気が合っていたようです。関ヶ原の際には、東西から徳川家康を挟み撃ちにする計画だったとも言われていますが、どこまで真実かは不明。

伊達政宗と真田幸村(=真田信繁)も同い年だったという説が有力。どちらも後世、人気者になったので、ライバル関係みたいに描写されがち。

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