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ニーチェとソクラテス ニーチェより、ソクラテスがまだ、いいことを言う気がしま...

mar********さん

2016/1/3105:33:18

ニーチェとソクラテス
ニーチェより、ソクラテスがまだ、いいことを言う気がします。「突き詰めれば真理は存在する、自分の無知を知りなさい」一方ニーチェはデタラメです。

賢人とは、どこにでもいるんじゃないか、少し賢く、知能が伴ってれば。
東洋哲学のナントカは、賢人というより、博学な人だと、ものみの塔の、神を探求する人類という本にありました

ニーチェは本当に賢いんでしょうか。アインシュタインと、そくらてすは、徹底して物事を追求しましたが、ニーチェは、どうでしょうか。nニーチェについて正直に考えをお願いします。他の哲学者は、知りません。

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mur********さん

2016/2/119:49:31

ニーチェと、ソクラテスは時代も社会環境、社会状況もまったく違います。

ソクラテスは紀元前の、キリストが生まれる何百年も前の、現代から遡れば二千数百年前の、東地中海の都市国家アテナイでの話です。

一方でニーチェの方は、今から百年ちょっと前の、ドイツ帝国の話です。

ニーチェの時代には、
「突き詰めれば真理は存在する、自分の無知を知りなさい」
などという話はすでに社会の一般常識、一般教養になっていて、むしろその概念、教えがドイツ帝国を中心とする、国家、君主、国家官僚、ドイツの国家宗教となっていたキリスト教会によって、それらの国家権力が国民を国家に隷従、盲従させるための論理、根拠として、徹底的に悪用乱用しつくされていたのです。

またこれは単にドイツ帝国の話に留まらず、ドイツ帝国の憲法を模範とした大日本帝国憲法を制定した日本にもある程度当てはまるであったのです。

つまりニーチェの時代のドイツ帝国、大日本帝国においては、
「つきつめれば真理は存在する。自分の無知を知りなさい。しかるに真理とは教会(神社)であり、皇帝(天皇)であり、国家であり、国家官僚、国家権力である。ゆえに無知な国民は国家と教会(神社)にただ服従しなさい。」
というように、真理や無知という概念が、富国強兵、覇権主義、植民地帝国主義のために歪曲されていたのです。

すなわち、ニーチェの否定する真理や無知とは、古代ギリシャ、アテナイの民主主義者であるソクラテスのいう真理や、無知では決してなく、絶対君主や国家官僚によって、一方的に国民に対して押し付けられる真理であり、無知であったのです。

むしろ古代ギリシャの都市国家アテナイの王政、貴族政治、成金による金権政治を否定した民主主義者、ソクラテスの主張する真理や無知とは、ニーチェの哲学に非常に近いのです。

アテナイの民主政、共和政を断固支持するソクラテスは、現代の日本に置き換えれば、天皇制を否定する左翼なのです。

またソクラテスは、伝統的な宗教の権威も否定した一種の過激派なのです。

ソクラテスの主張する真理とは、宗教的権威や、国家権力、国家官僚によって一方的高圧的に押し付けられるものではなく、国民、あるいは一般庶民が自分の頭で考えて、発見する真理のことなのです。

ソクラテスの主張する無知とは、宗教的権威や、国家権力、国家官僚の説明を、何一つ疑いもせず、鵜呑み丸呑みにする、従順な愚民の無知です。

故にソクラテスは、古代アテナイの宗教的権威を冒涜したとして、人民裁判によって服毒自殺に追い込まれたのです。

逆に言えば、ソクラテスは伝統的な宗教の権威や、国家の権威を肯定するのではなく否定したのであって、その点ではむしろニーチェとまったく同じなのです。

そういう意味では、ニーチェはむしろソクラテスの肯定者であり、後継者であり、ニーチェこそがまさに近代ドイツのソクラテスであったとも言えるのです。

一見、ソクラテスを継承していたかのように装っていた、ニーチェ以前の近代ドイツ哲学者、カントやへーゲルなどは、実はソクラテスの後継者ではなく、ソクラテスが全身全霊で糾弾した詭弁者、ソフィストの後継者であったのです。

つまりニーチェが否定したのは、近代哲学ではなく、実際は哲学を装った近代の詭弁であったのです。

アインシュタインは理論物理化学者であって、哲学ではありません。研究分野は幅の狭い非常に限定的なものです。

聖書は党派、分派によってさまざまなバージョンがあり、内容も解釈も一定していません。イエス・キリストの生前は新約聖書はありませんでした。

宗教改革後、三十年戦争後の近代ドイツ、神聖ローマ帝国においては、国民の宗教、信仰は君主や領主、国家によって決定されるものでした。教会は国営だったのです。

宗教改革後の近代ドイツにおいては、国民には信仰の自由はなかったのです。宗教とは国家によって国民に一方的に押し付けられるものだったのです。

そこを考慮しないと、ニーチェの哲学はまったく理解できません。

ニーチェが否定した宗教や教会とは、個人の自由な選択による信仰や教会ではまったくなく、君主や国家によって、国民に一方的強制的に押し付けられる国家宗教としてのキリスト教だったのです。

たとえば戦前の日本においては、天皇制を否定するキリスト者のほうが、むしろはるかにニーチェに近い存在だったのです。

あるいは現代のタイ王国などでは、近代ドイツとは逆に仏教の方が国家宗教です。

いずれにせよ歴史的背景を抜きにソクラテスとニーチェを比較するのは有害無益です。

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mgm********さん

2016/1/3106:37:56

そもそも哲学は「個人の思想」に基づくボヤキみたいなものなので「どれが正解か?」と問うのはナンセンスかと。デタラメと思えどもそれが発言者の思想であれば否定する権利は誰にもないんですね。
あと、ソクラテスの思想のテーマは「人間であることの正しさ」、ニーチェの思想のテーマは「人間の愚かさ」だと、私は、思っています。両者の思考の方向性がそもそも違うのではないでしょうか。
つまり、まず比べるという前提が、個人的には間違っていると思います。

「ニーチェは本当に賢いのか?」について。あなたの口ぶりから考えると「徹底して物事を追求する」行為を賢さの定義としているようですが、私から見ればそれはただのプロセスであり、結論を出さない限りは「賢さ」の証明ではないかと思います。誤解されぬよう付け加えておきます、この定義も人によりけりなのでここであなたに対して反論する気はありません。あくまで「一個人の見解」です。

ここでニーチェが哲学者について発した言葉を。

「哲学者とはなにか。常に尋常でない物事を経験し、見聞きし、猜疑し、希望し、夢見る人間だ」

つまり彼はこういう人物なんですよ。この言葉をあなたがどう受け取るかは分かりませんが、私はこれこそ真理かと思います。

哲学にわかの回答ですが、一個人の意見として受け取って頂ければ幸いです。

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