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罪の抑制の為の罰…と私は理解しています

aka********さん

2016/2/1104:07:58

罪の抑制の為の罰…と私は理解しています

昨今の凶悪事件に於ける判決で、その科される量刑に何故か納得出来ません何でも、性善説(人は本来は善人に生まれて来る…)に基づいてるからとか聞いた事があります

身の回りのモノや、民法でもそうだと思いますが、時流に即さない、おそよ時代遅れの遺物を、まだまだ使用または利用しているからなのではないでしょうか

私の身内の判事がこう言っていました

「人が人を裁くのは…本当に難しいんだよ」

川崎の上村君惨殺事件の殺人者(敢えて加害者だとかそんな生ぬるい呼び方はしません)への量刑ですが、遺族の方々を含めて、納得のいかない人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか

司法の人達に熟考して頂きたいのは、確かにその時の犯人の精神状態や計画的か否か等ではありますが、遺族の方々にしてみれば、そんなモノはどうでもよいという事実です

我が子が惨殺されたのに、相手が心神耗弱も、カッとなって我を忘れたもヘッタクレもありません
あるのは、ただ愛しい我が子の惨殺されたという事実だけなのです

死刑制度の是非を問うとかの問題ではありません

【再犯を含めて、罪を犯し易い量刑】になっていませんかね

そして関係者は今の現実にもっともっと目を向けなければいけません

社会に役立っている人
普通の人
社会の足を引っ張り、不安に落とし入れている人

更生の余地ありだとか無しだとかは、被害者の方々が長い年月をもって決めるべきものです

善意の、ぃゃ任意の第三者がこうも簡単に決め付けてよいのでしょうか?

刑務所のスペースだとかで、長期刑が難しいのであれば、遺族の会の方々で、何も悪い事をせず強制的に無残に天国へ逝かされた身内の弔いの為に、全国で刑務所の増設の為の募金活動をして頂き、地域社会やマトモな考えの一般市民の協賛を得るというのは、いかがでしょうか

死刑制度の良し悪しはよく解りませんが、終身刑は必要だと思います

仮に加害者の弁護をされた人が、その弁護中に依頼者が脱走でもして、誤ってその本来味方であるはずの弁護士の身内を己の身勝手さから殺害したとしたら…

その弁護士は何を想い、どう行動するのでしょうか…


我々人間が作ったモノで完璧なモノは滅多に存在しないような気がします

法律も、勿論刑法も、社会が安心安全、快適に幸せに協力し合って作り上げる為のモノのはずです

極端な話し、社会に必要な協力的な人、危害を加えない普通の人、この2種類以外の人間は、罪を犯した場合、極刑もしくは刑務所という別世界に、永遠に居るようにして欲しいです

罪を憎んで人も憎む…こんな文章になってしまって申し訳ありません

あまりにも被害者の心の傷の癒えないであろう量刑を、第三者がいとも簡単にはじき出すものですから

もっとも、判例主義そのものを正して行かなきゃいけないのでしょうから、斬新な大英断を振るえる司法関係者の登場を待ちたいですね

何でも、司法界での出世は、ある意味事なかれ主義じゃないと、上の方からお呼びがかからないようになっているとかいないとか…

言葉は悪いですが、橋下弁護士のような有言実行で且つある意味反逆児のような人が、もっともっと社会的に認知され活躍される事を祈ります(例えとして普通の事無かれ主義からおよそ乖離している彼の名前を出しただけで、彼の良し悪しの論争は止めて下さいね)

最後に、人権擁護団体の人達って、量刑を重くして、更に住み易い社会になる事に反対しているんじゃないかと、ネットに書いてありました

何だか私達の知らない、知り得ない世界が沢山存在してるんですね

乱筆乱文にてすみません

さて、あなたは上記の諸問題を、どう思われますでしょうか?

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ill********さん

2016/2/1109:57:57

気持ちはよくわかるし、量刑が軽すぎるというのも
同意です。
私も飲酒運転による死亡事故なら、強盗殺人並でも
いいかと思っています。

遺族感情に左右されるのは、ある意味不公平ですよね。
身寄りのない被害者の場合、量刑が軽くなってしまう。

  • 質問者

    aka********さん

    2016/2/1113:02:22

    遺族感情に左右されるのは、ある意味不公平ですよね。
    身寄りのない被害者の場合、量刑が軽くなってしまう。

    成る程、そういう考え方があったのですね
    被害者家族や遺族感情に比重を置いた考え方が多分に頭にありましたから、目から鱗のような気持ちです

    有難う御座いました

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mis********さん

2016/2/1113:33:23

○あなたが「罪の抑制の為に罰を与える」と考えなら、

①光市母子殺人事件の加害者に死刑判決が出たのに、川崎の事件は、なぜ起きたのですか?
②「少年法」で死刑にならない18歳未満の者の殺人などの凶悪犯罪は多発し、18歳になったばかりの者の殺人事件は減少しているのですか?

それでも、あなたが「刑罰に抑止力がある」と言うのなら、そのデータや例を示して、説明してください。


○「犯罪と刑罰の本質は何か」という問いに対して、「古典学派」と「近代学派」のふたつの対立した思想の流れがあります。

「古典学派」は、おおむね人間の理性とくにその自由意思を前提にするもので、
① 犯人はその自由意思に従って犯罪行為を行ったのだから、道義的に非難に値する。
② 犯罪に対して刑罰を科すことは、人間の報復本能から当然のことであり、刑罰の本質は悪に対する応報である。
③ 刑事罰は原則として犯罪行為の大小・軽重に応じて科すべきだ。
④ 刑罰の目的は、犯人のみならず社会一般を威嚇して、犯罪への誘発を阻止することによって犯罪の発生を予防する。
というものです。

「近代学派」は、人間の自由意思を否定し、犯罪は犯人がその素質と環境に決定されて行われるもので、
① 犯罪において重視しなければならないのは、犯人の反社会的性格であって、犯罪行為は犯人の危険な性格の表れに過ぎない。
② 犯罪には人間の自由意思は関係なく、素質と環境の決定の所産であり、刑事責任はその反社会的性格に基づいて社会の処分を受けるべきである。
③ 刑罰は犯罪行為の基礎にある犯人の反社会的性格の程度に応じ科せられるべきである。
④ 刑罰は、犯人をその再犯を予防するために科し、教育して社会に復帰させるための手段である。
というものです。

あなたの「遺族の復讐のため?」という考えは「古典派」の考えに、「犯罪者の更正のため」というのが「近代学派」の考えに、それぞれ近いです。

現代の学説は、「人間は素質や環境の制約を受けながらも、自分の力でこれをある程度支配することはできる。つまり、人間に絶対的な意思の自由はないにしても、多くは犯罪行為を思いとどまる可能性はある。」という結論で、この両派の考えを折衷し、刑罰は犯罪に対する道義的非難としての応報の要素をもつ一方、犯罪者を改善・教育する機能を持つべきというのが主流です。


○あなたが「刑罰は被害者やその遺族のことを考えて与えろ」と言うのなら、家族のいない人を殺してもいいのですか?
親殺し、子殺しは、悲しむ家族がいないから、殺してもいいのですか?

自分の命を大切にしたいから、他人の命も大切にしなければならず、民主主義の社会では、誰であろうと人を殺すのは、等しく社会の秩序を乱す行為として罰が与えるようにしたのではないですか?


10年以上前、アメリカの某大統領は、イラクのフセイン元大統領憎さで、何の証拠もないのに、「9.11テロ事件はフセインが起こした」、「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」とでっち上げ、イラク戦争を始めました。

その結果、フセイン元大統領は捕まって死刑になりましたが、フセイン大統領が9.11テロには関わっていた証拠はなく、イラクには大量破壊兵器も見つからず、残った事実は、非戦闘員のイラク市民が何十万人も殺されたことと、今のイラクの現状を見れば分かるように、ますます混乱になっただけです。


あなたが「家族を殺された遺族のことを考えろ」と言うのなら、アメリカ兵に家族を殺されたイラク市民が、イスラム国の戦士となり、アメリカに報復テロを起こすことも認めるのですね?

認めないのなら、富と名誉をほしいままに余生をのうのうと生きているアメリカ某大統領を、なぜ糾弾しないのですか?


○金儲け至上主義のマスコミは事件の真相や真実を報道するのではなく、未成年者が殺人事件を起こすと、その遺族が泣きじゃくり、加害者に怒り狂う姿を映し、被害者が如何にかわいそうかの、また、その逆に加害者が如何に悪人かの、それぞれのエピソードを求め、隣人や同僚にインタビューし、時には小学校の卒業文集まで探し出し、そのプライバシーを暴き、恣意的に勧善懲悪の劇画チックに脚色した報道をエスカレートさせています。

あなたは、そんなマスコミが「金」になるようにしか報道していないことに気づけず、偽りの報道に洗脳され、加害者をバッシングしたいだけではないですか?

時に、国の支配者は、アメリカの某大統領のように、そんな愚かな民衆を利用し、マスコミを支配し、都合のいいことしか報道させていないことに気が付かれたらどうですか?


○刑事訴訟は、被告人の犯した罪を明らかにし、無罪を含め、それ相応にふさわしい罰を与えることです。

少年であろうが、大人であろうが、殺人事件を起こしたら、感情に左右されることなく、その真相を、その生い立ちや生活環境を含め証拠の一つ一つを精査し、何がそうさせたのかを考察し、この社会がその相応しい罰を与えることではないですか?

それなのに、あなたは、何でもかんでも「加害者だけが絶対悪だ」と決めつけていますが、果たしてそうなのですか?

今回の川崎の事件でも、加害者の主犯格の少年は、喫煙や飲酒もしており、原付に乗って鉄パイプで男性を殴って鑑別所に送られ、保護観察中だったそうです。

家庭裁判所や保護観察官の対応は、これで良かったのでしょうか?
少年院送りが正解ではなかったのでしょうか?

共犯の少年2人は高校生で、高校のその教育指導は適正だったのでしょうか?

被害少年にしても不登校で、中学校の対応は、なぜ責められないのでしょうか?

4人とも深夜徘徊をしており、警察は、なぜ補導できなかったのでしょうか?

条例では、18歳未満の青少年を深夜徘徊をさせない努力義務がその親にはあるのに、その義務を果たしていなかった被害者の親は、なぜ責められないのでしょうか?


大人の世界ではすべて自己責任だけど、青少年の世界では、大人たちは、成長過程にある青少年が健全に育つように、青少年を保護し、阻害するおそれのある行為を防止し、その健全な育成に寄与する役割があるのではないですか?

あなたは、そんな事件の本質の部分には目を閉じ、「被害者遺族のことを考えろ」とのひと言で解決させようとするのですね。

あなたは、第三者だから、客観的に真実が見れ、事件の真実・真相が解明できるということが、分からないようです。

それでも、知り合いの判事が言うように「真実は何か、ふさわしい罰は何か」を判断するのは、「むずかしい」と言っているのではないですか?


○あなたは、川崎の事件で、加害少年を死刑あるいは無期懲役にすれば、今後、この種の事件は、起きないと考えるのですか?

私は、川崎事件でも、長崎女子高生殺人事件などでも、学校や児童相談所、警察などが適正に機能していれば、いくらでも防げた可能性があったと思いますよ。

それなのに、学校や児童相談所、警察など公的機関は、刑事責任を問われず、道義的責任も感じず、特に大津いじめ自殺事件では、「いじめなんてなかった」と言い張り、群馬女子児童いじめ自殺事件では、教師がいじめに加担にしていたのに、「自殺は家庭が原因」だと突っぱねるなど、それぞれ間接的に殺人を犯しているのに、学校は自己保身のことしか考えず、自責の念に駆られ、その職を辞すこともなく、何の反省もなくのうのうと生きています。
私は、加害者より、こちらの方が許せません。

これでは、再発防止が図られるはずありません。


被害者や被害者遺族が加害者を許せないというになら、いくらでも感情に任せることができる民事訴訟を起こせばいいのです。

それを刑事訴訟を被害者の復讐の場にするのなら、再発防止など一向に図られないでしょうね。


○被害者の言い分だけ通そうとすれば、警察や検察は、足利事件や富山婦女暴行事件、布川事件などのように、証拠をでっち上げてまでも、有罪にしようとしますが、あなたはそれでもいいのですか?

あなたが、警察権力にはめられ、足利事件の菅家さんのように幼女殺しの凶悪犯にでっち上げられ、被害者遺族が光市母子殺人事件の被害者遺族のように、「加害者をこの手で殺してやりたい」など感情に溢れた饒舌でマスコミに訴え、金儲けしたいだけのマスコミがそれを取り上げ、世論が「あなたを死刑にしろ」と叫んだら、あなたは喜んで絞首台に登るのですね。

事件の真相を解明しようとしている人権派の弁護士も、あなたのような「弁護士を悪だ」と考えているような被告人には弁護しないでしょうね。

私は、私自身にその可能性が「0」でない以上、刑事事件で、感情に左右されない真実や真相の追及を求めます。

人権擁護団体は、量刑を重くして、更に住み易い社会になる事に反対しているのではなく、警察・検察の真実や真相の追及しない権力の横暴に反対しているだけです。

もう少し刑事訴訟を勉強されたらどうですか?


○橋下元大阪府知事は、大阪府の財政を改善させましたが、大阪府警の次から次へと発覚する不祥事解消には何の功績を示していません。

少なくとも、警察行政には「こと無かれ主義」ではなかったのですか?

b_a********さん

2016/2/1104:51:29

身内に判事さんがおられるのに、このような質問をされるのかとちょっと驚きです。
質問者の言うように罪の抑制のための罰という側面もありますが、本質的には違うと思います。

そもそも、法律に記載されている「罪」とは何なんでしょう?もっと言えば「誰に対しての罪」何でしょうか。
そんなもの被害者に決まっているだろうと思っていませんか?そこがたぶん違うのです。

その最たる例が「自殺幇助」です。
人が生きるも死ぬもその人の自由です。ですから、自殺をする人は罪には問われない。しかし、自殺を手助けしたものは罪に問われる。これって、本人が望んで「死にたい」と言っていても手助けすれば当然のように罪に問われる。おかしいと思いませんか?自殺をしたいのは本人の意思であり希望です。それを叶えることは無関係の人や事情を知らない人からすれば、殺人ですがその結果死んだ人からすれば本望です。それを罪に問うということは一体誰に対しての罪なのでしょうか?

刑法自体がそもそも被害者の為に作られた法律ではないのです。ですから、その法律において被害者の意識とか無念とかそんなものをこの法律でカバーしなさいというのは無理がある。
どうしても、法律で被害者を救いたいならそのような法律を作るしかない。

法律を作るのは政治家の仕事であり判事や裁判官の仕事じゃない。最も辛いのはその法律に従い「おかしい」と思いながらも、法の通りに判断を下さなければならない仕事をしている人です。

ことなかれとか、立身出世とかあると思いますが本当に真面目な司法関係者は「やってらんない」と思っていると思いますよ。

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