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三職推任問題についてです。朝廷側は、太政大臣や将軍がいるとメリットはあるので...

isi********さん

2016/2/1721:49:00

三職推任問題についてです。朝廷側は、太政大臣や将軍がいるとメリットはあるのでしょうか。

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cel********さん

2016/2/2014:18:02

三職推任問題については、信長側と朝廷側のどちらが言いだしたのか、定説は無いと私は理解しているので、一般論として当時の朝廷にとって、信長のような権力者に高い官位を与える意味を回答します。

荘園(特に不輸の権利をもつもの)の増加で朝廷としての年貢の収入は減って行く中、院政期に天皇家自身が大きな荘園群を手に入れた事で、政治権力としては弱まった鎌倉時代の天皇家も経済的には安定していました。
しかし、鎌倉時代後半以降、特に南北朝の動乱以降の、武士による荘園領主の権利の浸食は、天皇家の荘園も対象として例外ではなく、室町時代の天皇家は、庇護を幕府から得なければならない存在になりました。応仁の乱以降は、その幕府自身の権力が弱まり、天皇家は経済的に困窮して、後土御門天皇(在位1464~1500年)の葬儀の費用がなくて死後40日以上後で行われた、とか、後柏原天皇(在位1500~1526年)は即位の礼を挙げたのが即位後約20年後だった(その間、幕府の管領細川政元には“即位の礼など無意味”とまで言われた)とか、とても(名目上とは言え)君主と言えるような経済状況ではありませんでした。

ですから、戦国時代の天皇家にとっては、織田信長のような新たな支配者候補との間で良好な関係を築き献金して貰う、出来れば特定の土地を御料所として献上して貰う事は、(やや大袈裟に言えば)死活問題でした。
そして、それをどうやってやるか、といったら、天皇の権限として唯一残ったと言ってもよい『官位を与える』事ぐらいしかありませんでした。

つまり、朝廷にとって太政大臣とか征夷大将軍がいたら何かいい事がある、って事ではなく、天皇家、より広く言えば朝廷にとっては、室町幕府の庇護を受けていたのと同様に、織田信長に官位を与えるかわりに庇護を期待するのは当然、というか期待せざるを得ない、って事です。

質問した人からのコメント

2016/2/20 16:03:25

朝廷も苦労していたんですね。ありがとうござました。

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sto********さん

2016/2/1723:16:43

史家諸氏が「平家物語史観」という用語を用いて公武関係のあるべき姿を指摘しています。

『平家物語』では源頼朝が将軍に任官して朝敵平家を滅ぼしたと記していますが、実際の将軍任官は平家を滅ぼした後ですよね。

この歴史の事実と異なる「平家物語」の内容は、天皇と武家の有るべき姿として、朝廷の願望に過ぎない。
この歴史観を「平家物語史観」と史家諸氏は捉えています。

武家は「朝家の御守り」として朝敵を滅ぼして天下を平定するのが、公武関係の本来の在り方であると朝廷は考えていた。

朝廷が織田信長に左大臣を推任したが、信長は返事を保留。
その為に、朝廷は甲斐・武田氏を朝敵と見做すことで、武田氏を滅ぼした織田信長の功績を讃え「三職推任」という行為に及んだ。

朝廷は三職を推任することで、織田信長を朝家の御守りとしたかった。

わっかさん

2016/2/1722:58:56

直接的な利益があると言うことではなく、天下を事実上統べている人間がそれにふさわしい地位にいてもらわないと、天皇を頂点として守られてきた形式的な秩序が壊れてしまうという危機感があったのでしょう。権力者は従来もおり、この時点ではまさに信長ですが、彼が然るべき官職に就くことを拒んで天下を制するということは、当時の朝廷における最後の権威である、位階を与え官職に任ずるという存在意義自体を否定することになります。彼の官職は前右府(先の右大臣)に過ぎません。
朝廷としてはまさに存在意義を否定される瀬戸際だったと言えます。
なんとしても然るべき官職を受けて欲しかったのでしょうね。

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