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江戸時代の江戸幕府直轄の徒歩組の仕事はどのようなものですか?

ザックバランスさん

2016/5/2010:33:10

江戸時代の江戸幕府直轄の徒歩組の仕事はどのようなものですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kur********さん

2016/5/2019:29:50

幕府御徒組の御徒は安土桃山時代の天正ごろの歩行衆からの者で、元来、戦時の先手歩兵的な身分でした。時には将軍側近の護衛も勤めましたが、安土桃山時代の身分制度のままで一代限りの御抱席の待遇でしたが、御目見以下でも江戸城中に詰められるのは、この御徒だけで、各組の与力と同心より上の幕臣でした。そして御徒は将軍外出の折りの先導と警護を勤めていましたから認められやすいので、比較的武芸のできる者が多く、また希望者も多かったと言います。しかし70俵5人扶持と言う俸給では生活は決して楽ではなかったそうです。御徒は黒縮緬(くろちりめん)の役羽織が毎年下げ渡されていました。この羽織は将軍も同様のもので、これは不慮の災難の時に将軍が警護役の御徒の中に身を忍ばせて災難を避けるためでした。御徒組が設けられたのは慶長八年(1603)で、以後30組になり、1組に付き28名で、2名の組頭と1名の頭がいて、御徒頭は1000石高で江戸城中の席次は躑躅の間席、組頭は150俵高で御抱席でしたが、幕末には御目見に昇格しました。8代将軍・吉宗が鷹狩りを行った時、御徒の坂入半七が隅田川に落ちた鷹と鴨を泳いで取り戻って、吉宗から賞され400俵の加増になって以来、毎年六月には浅草諏訪町の河岸で御徒の水泳の練習が行われるようになりました。

  • 質問者

    ザックバランスさん

    2016/5/2021:06:34

    回答ありがとうございます。
    与力などより上の身分なんですね。勉強になりました。

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end********さん

2016/5/2012:58:36

*徒(かち)
将軍の身辺警護を本務とする役職。徒頭支配。『吏徴』によれば、設置は慶長8年(1603)正月とされる。御目見以下の者が就任する役職で、御家人としての家格は抱席、役高は70俵5人扶持、30名(うち2名は組頭)で1組を形成した。
徒は平時においては江戸城の玄関や中之口に詰め、将軍の出行に際してはそれに供奉し、戦時においては書院番・小姓組などとともに将軍の旗本を構成した。
また、徒頭の指示にもとづいて、空席の生じた御膳所・御守殿番など諸職の補助を勤めることもあった。『明良帯録』によれば、徒には、水練あるいは地理に明るい者が起用され、徒組頭・徒目付・徒押(かちおし)などに昇任した。
(『江戸幕府大事典』から)

ご参考まで。

kyu********さん

2016/5/2012:28:29

徒士は厳密に言えば、原理主義的な武士身分ではなく、室町戦国時代に「地侍」と呼ばれた大名や武士と主従関係を結んで軍事動員に応じた庶民身分の人たちです。
いわゆる兵農分離で武士身分に入る代わりに家業を捨てた人たちが、下級武士として「徒士」と言われました。
彼らは実務担当の下級役人として働くものもいれば、警備担当もいました。警備担当がいわゆる徒士組です。
仕事はもっぱら、城内の詰所にいて、担当部署の警備を行うことです。配下に足軽身分である同心がいるので、実際に歩哨に立つことは殆ど無いようですが、何かあればすぐに対応できるように近くの詰所でお茶を飲みながら監視しています。
将軍が外出する時には大規模な動員がかかって忙しいですが、それ以外はほとんど暇です。

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