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家紋の「左三つ巴」に詳しい方いらっしゃいますか?教えて下さい。

love_nunobさん

2008/5/1300:11:34

家紋の「左三つ巴」に詳しい方いらっしゃいますか?教えて下さい。

神社が多く使っていて、神霊として武家でも多く使っていることまではわかりましたが、もっとルーツや由来を知りたいのですが、
詳しい方、いらっしゃいますか?

家紋から自分の家のルーツってどうやって調べていけばいいでしょうか・・?
(いくつか有料でお調べします、というネットページは見つけましたが、どこまで信じていいのか。)

よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2008/5/1311:41:28

平安時代の貴族・藤原実季(ふじわらのさねすえ:1032年~91年)の子孫、【西園寺(さいおんじ)】家の家紋が、【左三つ巴】。

家紋の最初は、平安貴族が自分の牛車に一目で分るように印をつけたのが始まりといわれ、最初に牛車に印をつけた方が、藤原実季と記録にあります。
実季は、呪力をもつといわれる人間の魂の形をあらわす【巴形】を三個組み合わせたものを自分の牛車に記した。

ちなみに、西園寺家から別れて【徳大寺家】を興した徳大寺実能(さねよし)は、【木瓜紋(もっこうもん)】を用いりました。

平安時代の公家社会には、上級貴族のあいだで、屋敷名を通称のように用いる習慣が作られました。

しかし、邸宅が主に女系で受け継がれたことにより、名称は父子では継承されませんでした。

それにより、【藤原】の姓より、屋敷名である【西園寺】【徳大寺】【山科:やましな】【醍醐:だいご】【近衛:このえ】【鷹司:たかつかさ】【九条:くじょう】【一条:いちじょう】【二条:にじょう】の家ができました。

【九条】【二条】【一条】【近衛】【鷹司】を【五摂家:ごせつけ】と呼ばれ、その五家が藤原氏の嫡流であり、その家の出身者でなければ摂政・関白になれませんでした。

朝廷で五摂家に次ぐ名門が【閑院家:かんいんけ】で、江戸時代末までその系統に属す家の当主は太政大臣にまで昇進することができました。

閑院を本拠とした藤原公季(ふじわらのきんすえ)の子孫であり、公季は藤原道長の叔父で太政大臣にすすんだ人物です。

公季の子孫を【閑院家】とする通称も用いれたが、平安時代末に藤原実行(ふじわらのさねゆき)が【三条:さんじょう】、彼の弟の通季(みちすえ)が、【西園寺】、その次の実能(さねよし)が【徳大寺】の通称を用いり、それが代々受け継がれ、閑院家は三条・西園寺・徳大寺の三流に別れました。

なお、三条、九条、二条などの名称は京都内の地名にもとづくもの、西園寺、徳大寺は祖先が建立した寺院の名前によるもの、山科、醍醐は山荘のある京都近郊の地名から名づけたものです。

西園寺通季がもとの閑院家の家紋【左三つ巴】を継承し、西園寺家の家紋となりました。

たしかに、神紋などにも【巴紋】はありますが、【左三つ巴】から家系を調べるならば、【西園寺家】も調べると宜しいのではないでしょうか。

ちなみに、神紋で【巴紋】を使用しているのは、八幡宮の八幡神が神紋として使用しています。
これは、古代の祭具である勾玉(まがたま)の形と共通する巴の形が日本人に好まれ、平安時代末から鎌倉時代前半につくられた八幡社でも、装飾に多く用いれられて、八幡宮の神紋とされました。

質問した人からのコメント

2008/5/14 01:14:00

成功 すごい・・!!ですね。こんなに詳しいお答を頂けると思っていませんでした。本当にありがとうございます!

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