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「死刑冤罪は取り返しがつかない」 私は死刑には賛成です。 が、上記論点に...

d_l********さん

2016/10/404:19:19

「死刑冤罪は取り返しがつかない」

私は死刑には賛成です。

が、上記論点については強く賛成する者でもあります。

ここ知恵袋では、「懲役で失った時間も取り返しがつかない」との主張

が散見されます。

しかし、それは明確に誤りであると考えます。

上記見解を支持する方は、何故そう考えるのかについてご意見をいただきたいと思います。

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ベストアンサーに選ばれた回答

pun********さん

2016/10/413:04:23

確かに、自由刑で直接奪われるのは「自由」であって「時間」ではない、「時間」は塀の中だろうと外だろうと人が生きている限り平等に与えられている、という考え方もあるでしょう。厳密な意味で言えばむしろそちらのほうが正しいと言えます。

しかし自由を、場合によっては数十年という長きにわたって奪われるという事は、人生に於いてどのような意味を持つのでしょうか。

例えば20代半ばから30年間自由を奪われた男がいたとします。もし自由を奪われなければ、その間に実に様々な人生の歩みがあったことでしょう。
同年代の異性と恋を育み、所帯を持ち子を為し、早ければ孫を抱くこともできたかもしれません。仕事に我武者羅に、時に落ち込みながら励み、苦労と達成感を仲間や伴侶と分かち合いながら切磋琢磨し、人に胸を張れる経験値や社会的信頼を得ることも出来たかもしれません。公私の成長を親にみせ、安心させながら見送ることも出来たかもしれません。
30年間自由を奪われ50代半ばでやっと再スタートを切れた男にこれらのことが、残された時間の中で、はたしてどれだけ出来るでしょうか。

「ある期間の自由を奪う」という事は同時に、結果として「その期間の中で為し得た可能性の多くを奪う」という事です。

そしてこれらの凡そを端的に表現する言葉として「時間を奪う」を用い、「自由を奪われた期間内の可能性は取り返せない」を「時間は取り返せない」と表現しても、概ね意味は通じるかと思います。
如何でしょう。

  • 質問者

    d_l********さん

    2016/10/514:21:43

    ご回答ありがとうございます。

    まさに私が、考えていた問題意識と類似すると思います。

    「時間を奪う」という概念を、如何に解釈するかで結論は違うのだと思います。

    次回に、私が何故そう思うのかについて記した質問を立てさせていただきたいと思いますので、お時間があれば目を通していただけると助かります。

    ありがとうございました。

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質問した人からのコメント

2016/10/11 00:20:31

たくさんのご回答、ありがとうございました。

また次回にでも、私の見解を詳しく記した質問をさせていただきます。


気が向いたときでも構いませんので、一読いただければ幸いです。

ベストアンサー以外の回答

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kib********さん

2016/10/1005:43:34

昔からある廃止論で「死刑冤罪は取り返しがつかないから死刑を廃止すべき」という論点は、「取り返しがつかないから」という「死刑の回復不能性」という考えを基本にしている。

そして、存続側の反論としての【誤判が起きた場合の回復不能性(取り返しのつかないこと)は死刑に限ったことではなく、その他の刑罰(特に自由刑)においても回復不能性は存在するのだから、仮に「誤判が起きると取り返しがつかない」という理由で死刑制度を廃止するとすれば、刑罰制度全体を廃止しなければならないことになる】という反論についても当然、昔から検討されてきた。

こういった反論に対して、誤判論の側からは、生命刑である死刑の誤判と自由刑の誤判では、同じ「取り返しがつかない」と言っても、内容が全く異なり、 両者の間には「本質的な差異」がある、という再反論がなされる。

しかし、この再反論は「死刑冤罪は取り返しがつかないから死刑を廃止すべき」という主張では不充分であったという事を認めなければならない。

つまり「死刑冤罪は取り返しがつかないから死刑を廃止すべき」という主張に補足を加えて「死刑冤罪は生命を奪ってしまう程の回復不能な誤ちだから死刑を廃止すべき」という論点として再び検討されるものになる。

そうなると、今度は存続側も反論として【たとえば交通事故というのも、『生命を奪ってしまう誤ち』と考えることができる。また、自動車交通がある限り、交通事故の可能性が0%になることはないと考えられる。すると、誤判論のこの論法を認めるならば、同様な回復不能な誤ちを引き起こす可能性のある制度(たとえ ば自動車交通)も、同じ根拠から廃止しなくてはならなくなる】という議論になる。

つまり、死刑を制度論として捉えた場合、自動車交通や電車や原発などの、その他の多くの制度に於いて「生命を奪ってしまう程の回復不能な誤ち(や事故)」の危険性があるので「生命を奪ってしまう程の回復不能な誤ちだから廃止すべき」というのが根拠ならば、同じ根拠で自動車交通や電車や原発などの、その他の多くの制度も廃止しなければ筋が通らないのではないか、という反論である。

これに対して廃止論の側からもいくつか再反論が出される。

再反論1.自動車事故は私人の誤ちだが、誤判による死刑は政府の誤 ちである。そして、政府による誤ちは私人による誤ちよりも大きな不正であるから、死刑制度は廃止されるべきだが、自動車交通は廃止すべきとは言えない。

再反論2.死刑制度はそもそも人を殺すための制度であり、自動車交通は人を殺すための制度ではない。だから、自動車交通における事故死よりも 死刑制度における事故死の方が大きな不正である。

再反論3.自動車は生産的で、死刑制度は非生産的だという違いがある。

しかし、これらの再反論も「死刑冤罪は生命を奪ってしまう程の回復不能な誤ちだから死刑を廃止すべき」という論拠の不充分さを露呈してしまっていて、論点の拡大を余儀なくされている。

再反論1については「私人の誤ちは許されるが政府による誤ちは許されないのは何故か」という議論や、「自動車交通も政府によって認められた制度ではないか」などの議論に拡大するし、
再反論2については「死刑冤罪よりも事故死者の方が圧倒的に多いのに、事故死よりも死刑冤罪の方が大きな不正である根拠とは何か」という議論に拡大するし、
再反論3に至っては「死刑の有用性」すなわち抑止効果や無害化効果に議論が飛び火する事になる。

つまり、そもそも当初の廃止側の「死刑冤罪は取り返しがつかない」という程度の短い根拠では不充分であったからこそ、「懲役で失った時間も取り返しがつかない」との反論に於いても不充分さが見えるのであって、純粋に「取り返しがつかないから」という根拠の範囲内で考えるのであれば、「懲役で失った時間も取り返しがつかないから」という反論で終わりです。

shi********さん

2016/10/700:58:58

反論である「懲役で失った時間も取り返しがつかない」は
「も取り返しはつかない」としているところから
主張である「死刑冤罪は取り返しがつかない」を否定していません。

要は国家によってそこで線引きされるのは納得できないという話だと思います。
客観的に見れば確かに「死」の方が被害が大きいと思いますが
見方を変えれば死んだ後は苦しまなかった前者に比べて
懲役という苦しみを後者は長時間受け続けたともとれます。

その上で前者と後者に差を設ける事は更なる苦しみを与える事でしょう。
そうせざるを得ない理由が「死刑冤罪は取り返しがつかない」ならば
同じ取り返しがつかないものとして
死とは比べられなくとも「懲役で失った時間も取り返しがつかない」と当然言うでしょうし、
そして我々の方が長い時間苦しんでいると感じていると思います。

死に対しても長期間に及ぶ苦しみに対しても想像しかできない私には間で線引きする明確な根拠はなく結果両者を同様の被害者として扱う見解を支持します。

jtb********さん

2016/10/522:46:51

はじめまして。
d_law4さんの客観的な視線にはいつも感心しております。

回答件数からして、皆まで読まずとも幾ばくか想像できますし、直結的な質問だけに皆さんが[命と時間の比較]に混沌とされているかと察します。

私も質問内容に等しく「死は取り返しがつかない」と。
一方で「時間も取り返せない」とも。
ですが[死]と同じではないはず。その違いは何かというと、[再起の機会]または[修復の機会]がどの程度残されているのか。ここに決定的な違いがあって、失われた物事に対してどこまで取り戻そうと試みるも、そもそも完全なる修復は存在せず、[死]はその機会すらない[機会損失]という処で病歴のある人や事故歴のある車はその機能を有するも、死やスクラップはその機能を有さないことと同じです。
俗に言う「命さえあれば○○」や「生きてさえいれば○○」という言葉が定着した理由はそこにあるかと。

sam********さん

2016/10/513:22:47

>上記見解を支持する方は、何故そう考えるのかについてご意見をいただきたいと思います。

時間も取り返しつかないって最もな意見では??

ぶっちゃけ1日2日で冤罪分かるなら十分取り返せるでしょうがね。

単純に「今」冤罪で捕まったら・・・を想像してみりゃ良い。

仕事しているなら・・・
当然クビ・・役職も当然なくなる、信頼も失う

恋人や配偶者いるなら・・・
ほぼ別れ街道まっしぐら。
死刑レベルの犯罪犯したであろう人間と付き合い続けてくれる人は
いるのだろうか??

仮に信じてくれても恋人・配偶者の精神的負荷は強いだろうね。

殺人者の恋人、実は共犯なんじゃ?なんて噂されかねない。

子供いたら・・・
まぁ、いじめの標的でしょうね。

本人目線だって例えばラブラブな時期の配偶者との時間を奪われるのです。

付き合う間近の人がいたとしてもまぁ、この冤罪のせいで付き合うことなく
終わりを迎えることでしょう。

仕事だってようやく部下も持ちこれから頑張るぞって時に捕まれば
仕事どころじゃなくなりますよね。

そしてその冤罪はいつ晴れるのでしょうか??
10年後と仮定して・・・

当然仕事で元の会社には戻りづらいでしょう。
戻れてもブランクもでかいし役職も流石になくなってることでしょう。

収入は捕まる前より減少でしょうね。

その他再就職にしても既にいい年したおっちゃんになってたら
正社員なんて難しいでしょうね。
バイトの日々送るだけかもです。

子供いたら??10年も捕まってたら甘えてくれる時期スルーされ
子供との時間も失うわけですしね。

いや、そもそも関われるのだろうかね。
冤罪とはいえ親のせいでいじめとかにあってたら既に疎遠だろうし

失うもの色々あるんじゃないでしょうかね??

強いてあげれば引きこもりニート君とか
アルバイトに疲れ果ててる貯金0の恋人無しの人生・・・

そう言う人には冤罪で捕まるのはある意味冤罪証明後
人生を変える良いきっかけになるかもですがね

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ken********さん

2016/10/509:35:17

>「懲役で失った時間も取り返しがつかない」との主張
が散見されます。
しかし、それは明確に誤りであると考えます。

何処が明確な誤りなのかえわかりません。
失った時間は戻らないのは明白では?

何か深い意味があるとするなら、それをお教えいただけると助かります

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