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徐庶伝説が仮に事実だとしたら。 程昱の謀略で偽手紙によってまんまと曹操の元へ...

sei********さん

2016/11/2219:29:52

徐庶伝説が仮に事実だとしたら。
程昱の謀略で偽手紙によってまんまと曹操の元へやってきた徐庶。
しかし母はショックのあまり自害。

母は実質監禁されてたわけですし、贅沢な暮らしはさせてもらったと思いますがだからと言って曹操に仕官する理由ありますか?
劉備の元へ帰ったらいいじゃありませんか?
もしこの話が事実だとして徐庶が劉備の元へ帰ると徐庶は節操のない男と笑われるのですか?
母を殺されたも同然ですし。
でも偽手紙であることくらい気づけよってツッコミもあるとは思いますけど・・・。
項羽もこの手を使って劉邦の部下を引き抜こうとしましたよね。
あの国では割と常套手段なんでしょうかね?
もし本当に徐庶なる人物がいて、程昱の偽手紙によってまんまと曹操の元へやってきたとしてなんで曹操に仕官する必要があるのでしょう?
母は曹操の仕官を望んでなかったのに。
ショックのあまり自害までしたのに。

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kou********さん

2016/11/2518:21:50

まあ、そのお話は演義の創作として。

徐庶が曹操の下に奔ったのは、母親が人質に取られたからなのはその通りです。

徐庶が戻らねば笑われる、と言ったのは、徐庶が劉備への降伏の使者として劉備の元へ赴いた際。
まあ、別に、曹操を裏切っても笑われはしなかったかもしれませんが、徐庶としては、仕事を途中で投げ出しては世間の信用を失う(=笑いものになる)と思ったんでしょう・・・。
演義では、その後、龐統の助言で赤壁の戦いの難を逃れた後、物語から消えてしまうので、その後も曹操に仕え続けたかは不明です。

まあ、これは、徐庶が劉備陣営から曹操陣営へ鞍替えした人物だから、それを物語的に脚色、あるいはこじつけを行っただけ、なわけですね。


正史では、徐庶は当陽の戦いで母が捕虜となったため、曹操陣営に加わったということになってます。なので、それまでは諸葛亮と一緒に劉備に仕えてます。
最終的には魏の御史中丞(弾劾長官)になってますが、諸葛亮はその事を聞いて、魏にはそれほどに人が多いのか、徐庶や石韜がたいして用いられていないとは」と嘆いていますね。

石韜(石広元)は郡太守。孟建(孟公威)は涼州刺史から征東将軍にまでなり、諸葛亮のお友達連の中では一番出世。

ちなみに、徐庶は中平年間(184~189年)に仇討ちをやって役人に捕えられたりしているので、年齢的には劉備と同世代くらいでしょう。実は結構年上。

質問した人からのコメント

2016/11/30 00:14:46

回答ありがとうございます!
正史でも母が捕まって曹操の元へ行ってしまうんですね。
三顧の礼以降も徐庶が劉備に仕えていたとは驚きました。

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fir********さん

2016/11/2521:28:44

まぁそれは演義の話であって正史では長坂の戦いで母親が捕虜になったから曹操陣営に行った訳ですからね。また劉備のもとに帰ろうにも簡単には帰れなかったのでは無いでしょうか?

sna********さん

2016/11/2220:56:29

程昱の手紙云々は演義の話ちゃうの?
正史では母親が曹操の捕虜になったんで心配になって曹操に降っただけやろ、徐庶にしたら劉備にそこまでの恩義もないし、
母親+曹操に仕える>>>諸葛亮を得た劉備
ってだけのことやで、多分

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