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石川啄木の短歌 ①こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂(しと)げて死なむ...

moc********さん

2008/5/2516:50:32

石川啄木の短歌
①こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ
②こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後(のち)のこの疲れ
の二首について皆様の考えをお聞かせください。

①の短歌は純粋に「なにか私が快い気持ちで取り掛かれる仕事があればなぁ、それを為し遂げて私は死んでいくのに。」という解釈で良いのでしょうか?
②の短歌については仕事に熱中した後の疲れがどこか爽快なことは理解できますが、啄木の仕事に関する考えがわからなくなってきました。はたらけどはたらけど~の短歌ではいくら働いても自分の生活が楽にならないことを嘆いていたのに、②のような短歌の心境になれるのでしょうか?もし何か生活背景などがあるのでしたら、教えてください。

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2008/5/2518:10:20

① 生活費を得るためにやむを得ずしている仕事がつまらない仕事であることを嘆いた歌

② 生活費を得るためにしているつまらない仕事で疲労困憊していることを歌った歌

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1〜1件/1件中

不如帰さん

編集あり2008/5/2618:55:24

啄木はもともと小説家志望で、「雲は天才である」など多くの小説を発表しましたが
当時の文壇で認められることはなく、鬱々とした日々を過ごしていました。

生活のために朝日新聞の校正係をしていたものの、それは自分の望む仕事ではない。
自分が退学した盛岡の旧制中学を卒業した旧友達は順調にキャリアを積んでいるのに、
かつて早熟の天才と持て囃された自分だけが、みじめなその日暮らしを続けている。
そんな鬱屈した感情から生まれた短歌が①であり、「友がみな我よりえらく見ゆる日よ/
花を買ひ来て/妻としたしむ」なのです。

だから①の短歌には、「校正係なんてくだらない仕事じゃなく、心から私が望む名誉ある仕事
(=小説執筆)が出来たらなぁ。それを成し遂げられたら、最早死んでも悔いはないのに」という
啄木の現状への不満と、未来への希望が込められていると考えます。

一方、この頃啄木は朝日新聞社会部長の好意により朝日歌壇の選者となることができ、
とりあえず文学の世界にかかわる足場を得ることができました。
この仕事をしている時だけは、啄木の理想である「文学で飯を食う人間」に近づくことができる。
現実の社会でどん底にいた彼にとって、その喜びは計り知れないものがあったに違いありません。

「文学の仕事を夢中で成し遂げた後の疲れは、徒労ではなく、達成感を伴う快い疲れだ。」
②の短歌はそんなことを言いたかったのではないでしょうか。

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