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郭嘉、荀攸、荀彧、程昱、賈詡の5人は役割が全く違うのですか? 郭嘉は万能の天...

sei********さん

2016/11/3013:35:30

郭嘉、荀攸、荀彧、程昱、賈詡の5人は役割が全く違うのですか?

郭嘉は万能の天才だそうですが、主な仕事は曹操の野望の国家戦略を考える人ですか?

言われてみればなんですが郭嘉の死で曹操は馬超に勝ったくらいでほとんど領土拡大出来てません。
赤壁で負けて漢中で負けてと大一番の勝負で全く勝ててません。
郭嘉がどれだけ偉大な存在だったかを示す証拠?
赤壁の大敗後に「郭嘉がいれば・・・」という曹操の言葉があるそうですし。
私も明確に理解出来てない部分はありますが、軍事専門家が言うには戦略と戦術は違うそうです。
郭嘉はもっと広い視野で何年先も見通して国家の行く末を考える事が出来た?

荀彧は曹操が「我が張良」というように政治家外交官が主、郭嘉のように軍事面でも何でも幅広く精通する賢人?
ただ、彼は漢の愛国者であって漢朝復興が第一目的だったので曹操の魏公には大反対して曹操に恨まれた?

荀攸と程昱と賈詡はどうでしょうか?
賈詡は謀略家って感じですかね?
曹操を女狂いにして酒浸りにして殺そうとしたり、馬超とかんすいを仲違いさせたり、董卓死後呂布と王いんをあっさりと追っ払ったり。
荀攸は戦場の舞台で呂布や袁紹との戦いで何度も知恵を出して勝利に導いた戦術家という感じがしますが。

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kou********さん

2016/11/3022:31:46

ん~、そうですね。

まず。
戦略は戦争などの大枠のプランのこと。誰を攻めるか、どれくらいの兵力か、どの道を使うか、どれくらいの期間を考えるか、などなど。
戦術は、その戦争中での作戦のこと。戦略上で決まった事を最大限に生かして勝利に導く、というもの。

例を出すなら、戦略は敵が一万ならこちらは二万でいきましょう。敵将が誰それなら、こちらは誰それを出しましょう、といったところ。
戦術は、こちらの戦力は一万、敵は二万、普通に戦っては勝てないから、策を用いよう、というようなこと。

で、私が思うのは。

荀彧は、曹操にとっての張良であり蕭何であり。
国家戦略の基本方針を曹操に進言した人であり、曹操軍の補給の面倒を見たり。
もっとも大きな役割をこなした人でしょう。

荀攸は、曹操の参謀長。前後十二の奇策を立てたが、現在に伝わっていない、というのが残念。戦術(作戦)立案の達人でしょう。
ちなみに、官渡の戦いで顔良・文醜を討ち取ったのは荀攸の策(顔良は関羽が斬る)。

賈詡は、政治屋。政局運営の人、という印象。軍事面でも少し活躍ですが、そっちでは、どちらかというと、曹操に降る前のが振るってる。
曹操陣営に入ってからは太中大夫として朝廷の政治顧問的ポジションに。朝廷(献帝サイド)と曹操の間を取り持っていたのだと思う。後には曹操の後継者問題でも的確な助言をしてる。

程昱は、軍師というよりは総督ですね。
曹操が留守中の兗州をまとめていた人。将軍であり、戦略家であり、まあ、この人こそオールラウンダーでしょう。オールラウンダーだからこそ、曹操の拠点の一つだった兗州を任されたのでしょう。

郭嘉は、曹操の主任参謀。
的確な戦略的進言が光ります。政治向きのことはとりあえず一切やってません。
曹操に惜しまれたのは、この人が曹操の子供世代で、次世代を担える人材だったから、というのが一番大きいでしょう。生きていたら、司馬懿や陳羣らと共に、曹丕を支える人になっていたことでしょう。
ちなみに、郭嘉は素行不良で度々、陳羣から訴えられてたりします。優等生の学級委員長の陳羣と、才能抜群のワルキャラの郭嘉という感じですね。

質問した人からのコメント

2016/12/7 13:44:13

回答ありがとうございます!
5人ともそれぞれ全く違う役割を担い得意な分野があってよくこの5人を部下にできたものだなと感心しますね。
他にもまだまだ優秀な賢人はいますし。
程昱だけが想像していた人と全く違って驚きました。

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kum********さん

2016/11/3020:45:24

hurubokkotyanさんがほとんど書いているので補足程度まで

戦略と戦術についてですが、戦場の現場レベルで立てる作戦が戦術になります。そして戦場での戦いを有利に進めるために事前に立てておく作戦が戦略となります。さらにその上に国家を成立させるための大計、国家100年の計とかは政略となります。

優れた政略に対して、並みの戦略ではびくともしません。
また優れた戦略の前には、余程優れた戦術でも戦局を覆すことは難しいです。

例えば曹操がいち早く中原を押さえ、献帝を奉じて漢朝の中枢を掌握したことや、屯田民政策などで大量の民衆を募集し、兵糧を安定供給できるような体制にしたのは政略的な施策、と言うことになります。

例えば諸葛亮が北伐を行うため、南蛮を制圧し後顧の憂いを無くして兵を補充したりしたことは優れた戦略、と言えます。

例えば曹操が官渡で補給基地を襲撃して袁紹の大軍を破ったり、周瑜が赤壁の戦いで火計で以って魏軍を撃退したのは優れた戦術、戦略を戦術で覆せた珍しい事例、と言えます。

荀彧の進言や人材登用によって魏の根幹を支えた内容は主に政略的な側面が強く、一番重要な立場であったと言えるでしょう。荀攸と郭嘉はhurubokkotyanさんのおっしゃる通りで、実は荀攸の方が政戦両面に関わる重要な立場でした。

賈詡はちょっと特殊で、荀攸に近いのですが政局面ではピンポイントで重要な進言が非常に多い。

董卓が死亡した時、動揺する関中軍に道を示して滅亡の危機を回避しています。また張繍の下でも曹操を破るための計を立てたかと思えば、袁紹よりも曹操に付くべき、と的確な進言をしています。さらに後継者問題でもさり気に曹丕に助け船を出したり、曹操に選ぶべき対象が誰かを示唆する、等大きく局面が動く場面に必ず顔を出しているのですよね。それでいて余計なトラブルを避けるため、他者との無用な付き合いはしないよう気を付けている。

ある意味、今回挙げた中で一番のオールラウンダーと言えるかもしれませんね。

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hur********さん

2016/11/3013:49:12

郭嘉は演義のせいで、過大評価されすぎですね…。
郭嘉が持ち上げられたというより、他が過小評価されているだけかもしれませんが。

郭嘉は万能の天才には程遠いと思います。
荀彧荀攸賈詡のように政治ができるわけでもなければ、程昱のように将軍として戦えるわけでもありませんし。

国家戦略は荀彧の担当です。
荀彧は張良と蕭何を合わせたような存在で、戦略だけでなく数多の人材を曹操に与え(例えば荀攸や郭嘉がそうです)、許都で留守番しながら侍中尚書令として曹操の意向を朝廷で実現させる超大役を担っていました。

参謀総長は荀攸です。
曹操の参謀集団は軍師ー軍師祭酒ー軍謀祭酒という構成で、この軍師が荀攸です。
郭嘉は大勢いる軍師祭酒の一人。

郭嘉は、荀彧や荀攸に追従した進言が多いです。
赤壁後の「郭嘉がいれば」は、郭嘉が南方の疫病を予測していたからです。

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