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元大洋の島田源太郎投手を知ってますか?

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ID非公開さん

2016/12/1520:42:01

元大洋の島田源太郎投手を知ってますか?

1963年

ゲームが終った。大洋のベンチはえらい騒ぎだった。「ゲン、ゲン」と島田(源)の久しぶりの快投をほめる声でうるさいほど。マックやクレスまでが「ゲンタロー」とよくまわらないシタで大声をあげる。本人はあっさりした顔だった。それは大洋が日本シリーズに勝って大騒ぎされたころの島田(源)の顔だった。答え方もそっけない。
ーことしで一番のピッチング?
「そうね。でも点をとられちゃダメだね」
ーカーブがよく切れていたけど・・・。
「そうね。でも後半はあまりね」
ー王、長島と三振させたのは考えていたピッチング?
「そうね。でもよくわかんない。バッターにきいてください」
ー柴田の足をずいぶん意識したようだけど・・・。
「そうね」といったぐあい。ベンチでの話も自分から切りあげ、ロッカーへ向かった。しかしのんびりした性格で、別にあわてて戻る気配もない。ベンチを出ようとしたところでこんどはカメラマンにつかまった。「ちょっと笑ってくださいよ」の声には「エヘヘ・・・」でおしまい。だがロッカーへ戻ると島田(源)の顔はいやにきびしくなった。オールスター戦前から調子があがってきた理由を聞かれたときからだ。「去年もよくなかった。ときどき思い出したんです。ウチが優勝したときのことをね。そしたらたまらなくなってきたんです。このまま終わりたくない。だからことしはずいぶん練習もした。ブルペンで投げてみる感じも、優勝した年と同じような気分になってきました。ON砲?そんなの特別意識しませんよ。第一長島の三冠王なんてつくられた投手として恥です」内容はグッと迫力があった。しかしこれもひととおりしゃべるとまたテレ笑い。「やっぱり多勢の人に囲まれるってのは気持ちがいいもんですね。囲まれないより囲まれる方がいいや」フロ場へはダイビングのようにとび込んだ。三年前のアダ名はおとぼけのゲンとテレ屋のゲンの二つがあった。

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kur********さん

2016/12/1522:02:48

島田源太郎投手

1972年
・8月16日の大洋ー中日戦「川崎球場」の大洋の先発投手が島田源太郎と聞いて、中日ベンチは「怒り」が渦巻いた。
「ナメやがったな」「それとも、大洋は捨てゲームにするのか」
かっては「懸河のドロップ」で一世を風靡したエースとはいえ、全盛時代から10年の歳月が流れ「もう限界」といわれてユニフォームを脱ぎ、コーチ補佐になっていた「過去の人」。
2年間の空白から正式に現役カムバックしての初登板が7月29日の中日戦で、2イニングをピタリと封じたのをはじめ、巨人戦3イニング、広島1イニングをそれぞれ無失点に抑え込んだが、救援と先発とでは違う。中日ベンチに「怒り」が満ちたとしても無理はない。
大洋ベンチでも「5回まで、なんとか3点に・・・。何しろ他にピッチャーはいないんやから」・・・青田コーチ・・・と大きな期待も抱かなかった。
そして8月16日の、この試合、島田は1,2回を3人ずつで片づけると、2回ウラ、二死満塁でまわってきた打席で左翼線にライナーの2点二塁打を放つ。ちなみに島田の安打は1964年以来、実に8年ぶりなら打点は1961年以来11年ぶりという殊勲打であった。
先発も3年ぶりなら、もし勝ち投手にでもなったら、これまた3年ぶりになるわけだ。ところが本職の「投」の方はそれどころではなくなってきた。
3回まで奪三振5。走者を一人も出さない。回が重なって行っても同じだ。4,5回が終わる。
さあ、慌てふためいたネット裏。島田自身「パーフェクトゲーム」達成の前科者。
まさか、まさか・・・は6回表、二死まで続いて、18人目の打者・島谷が左翼席に7号ソロを放り込んで、やっとストップになったが、ネット裏もベンチも、やんやの大騒ぎ。
結局、完投で被安打4、失点2で勝利投手になったが、そのうちの1点はアウトカウントを間違えた二塁手・シピンのミスでプレゼントしたもの。
「たまげた、たまげた。たいしたもんだ」と繰り返す秋山投手コーチ。「いつになっても、あの粘りの投球は若手の教科書」とホレ込む別当監督。
「一昨年の秋、上の人から若手の面倒を見てくれといわれた時、こんな感激は二度と味わうことはないと思っていただけに、うれしい。完全試合、優勝と経験したが、今日の1勝は一味違う、うれしさだ」という源さん。
「さすが源さん」で片づけるのは一般ファン。ところが投手経験者は「奇跡」の思いでみた。
「3年も投げないと筋力は落ち、動きが鈍くなりスタミナも衰えるはずなのに、スピードはあったし、何よりもコントロールが・・・」と秋山コーチ。
ハンディをものともしない生命力と執念は、東北人特有の粘っこい性格からきたものではあるが、「こりゃ、まるでお化けだ」ともいうほどだ。
1964年から鳴かず飛ばず。5年間で4勝しかできず「クビ」を覚悟したこともあった島田が、翌1968年、14勝6敗で最優秀勝率の栄冠に輝いた。その時
「蘇る熱球」と騒がれたものだが、今度の場合はそれ以上だ。あれからまた4年。
「コーチでは給料が安い。何とか、もう一度現役で・・」
厳しい生活実感の中で、燃やしていた執念が、再び奇跡を起こした。
「執念」それはまさに、ゆうれい。島田が演じた真夏のミステリーである。

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質問した人からのコメント

2016/12/15 22:09:48

うひょおおお

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sag********さん

2016/12/1520:52:05

何年か前に逮捕されてんだろ。

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