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アパホテル女社長はキモいけど、南京大虐殺事件についての本を部屋に置くのはいい...

qaz********さん

2017/1/2405:38:10

アパホテル女社長はキモいけど、南京大虐殺事件についての本を部屋に置くのはいい。
①南京大虐殺事件については中学生レベル知らない。
ほんとのとことしえてそ。

②アパホテルに置いてある本に書いてある内容は?
③アパホテルに泊まりなくない中国人は、そもそも日本に来なくていいよ。

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wnv********さん

2017/1/2519:57:28

一個人が文句を言うのは勝手だが、中国や韓国の公的機関が不当な政治介入をして、不当な圧力をかけて、気に入らない本を撤去せよなどと言って、日本の民間企業の正当な営業活動を妨害する中国や韓国の卑怯・卑劣な言動・行為は絶対に許せない。

アパホテル、素晴らしい。
よく調べている。
自信があるのだろう。
どこからでもかかってこい、と。
日本政府や外務省も是非見習うべき姿勢だ。
中国外務省が事実に基づいた反論が出来ずに不当な圧力をアパホテルにかけたこと自体、中国外務省自らが「南京大虐殺は捏造」と認めたに等しい。

客室設置の書籍について
https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325
弊社ホテル客室に設置している『本当の日本の歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。
ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。
本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6
二、南京三十万人大虐殺
中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。
そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。
一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。
しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。
上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。

理論 近現代史学
数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である
「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々
1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成十九年十二月二十日付産経新聞)。この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「三十万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。)
2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、人口が五万人以上増えて、約二十五万人~三十万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著『南京事件の総括』二十九頁)。
3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。
4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜大学)によって証明されている。もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が一枚も無いはずがない(東中野修道・小林進・福永慎次郎共著『南京事件「証拠写真」を検証する』草思社)。 (所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけたのは、「極東国際軍事裁判」、(所謂)「東京裁判」の中である。それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか? 東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚構であることを裁判記録として記している。
5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載している。この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺の総括』三十二頁)。
6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。
7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。
8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾する為に、一九三八年七月七日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。
その他、多々ある。

通州事件の惨劇「Sさんの体験談」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2717.html

  • 質問者

    qaz********さん

    2017/1/2521:12:32

    回答ありがとうございます。

    長文の打電ありがとうございます。
    URLを貼ってくださりありがとうございます。

    中国、中国人民国、中華人民共和国、中国人について、よく考えもっと知りたいと思いました。
    個人的には、日本生まれの中国人の友達がいます。

    しかし、中国という国は何百年経っても、変わらない国ですね。

    東京福祉大学国際交流センター長の遠藤誉という女性がいます。
    この方は、本もだされていて、「毛沢東」(毛沢東の真実)という面白そうな本があります。
    南京大虐殺にも触れていると思います。

    この方のお話が、Yahoo GYAO!で観ることができます。
    バラエティー番組の中の「カツヤマサヒコSHOW 」に今週出演され、会談されていてたいへん興味深く面白いです。
    この方は、中国生まれの方でそののち日本に帰国?している日本人ですので、よーく中国という国や中国人の性質を分かっている方です。
    一度ご覧になってくださいませ。

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質問した人からのコメント

2017/1/27 21:54:42

回答ありがとうございました。

URLが、分かりやすかったので BAを贈らせて頂きます。

多くの方のしかも長文の回答に深く感謝いたします。

他の方も回答ありがとうございました。

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may********さん

2017/1/2721:05:31

笠原十九司さん。
いうまでもなく、左翼であり、虐殺派で残っている、ただ一人の歴史学者であります。
哀れですねぇ。(^0^)

さて、
その笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。
234ページですね。

引用開始
自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」に南京事件小委員会を設置、
2007年6月に「調査検証の総括」を発表、
東中野教授らの否定論を受け売りして、
「中国が主張する南京大虐殺は政治的プロパガンダにすぎない」
「南京大虐殺は東京裁判で虚構が証明された」
などと内外に公表したのである。
引用終了

このように、自民党は、東中野教授の主張を受け売りして、
中国が主張する南京大虐殺は政治的プロパガンダに過ぎない。と、結論づけています。

ちなみに、
「南京大虐殺は東京裁判で虚構が証明された」は、笠原氏の引用ミスで
正しくは
「東京裁判の南京大虐殺は、虚構が証明された」ですね。

さらに、
東中野教授は、南京事件について、
限りなくゼロに近い、と、結論づけています。

なぜ、ゼロとせず、ゼロに近いなのか?
戦場であった以上、不法行為がゼロという事は考えにくい訳です。
ただし、
東中野教授は、全ての事件を検証し、立証責任が果たされたものはない、と、結論づけました。

立証責任の果たされた殺人も略奪も存在しないのです。
もっとも、それは、シロと証明された訳ではありません。
灰色の事件はあるのですね。

東中野教授がゼロとせず、
限りなくゼロに近い、
としたのは、こうした理由です。

日本政府は、東中野教授の結論を受け入れて、
殺人や略奪があった事は否定できない、と、主張しています。

東中野教授は、無視されているどころか、自民党も日本政府も東中野教授の主張を踏襲しています。


さて、再び
笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。
234ページですね。

引用開始
さらに、民主党内でも、鷲尾栄一郎ら国会議員20名が呼びかけ人になって、
議員連盟「民主党慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」を組織して、
中略
東中野教授や藤岡信勝ら否定派を招いて「南京事件の史実を検証」するという。
引用終了

今は、民主党ではなく民進党ですが、
民主党も東中野教授を招待して、南京事件の史実を検証しているのです。

自民党からも民主党からも、東中野教授は南京事件の研究の第一人者の歴史学者として高く評価されています。


さて、再び
笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。
今度は234ページではなく、237ページですね。


237ページから引用します。
引用開始
大阪国際平和センター(ピースおおさか)を会場にし、
「戦争資料の偏向展示を正す会」の主催で、
東中野修道を講師に呼んで、
「20世紀最大のウソ、南京大虐殺の徹底検証集会」を開催した。
引用終了


ピースおおさかは、かつて、先頭きって、南京事件の資料を大量に展示していた場所です。
そこに、否定派の代表である東中野教授が招かれ、
「20世紀最大のウソ、南京大虐殺の徹底検証集会」が開催されるのですから、
隔世の感がありますねぇ(^0^)
昔のピースおおさかは、小林よしのり氏の戦争論2巻で徹底的にこきおころされていました。
しかし、ピースおおさかは、真実を知らなかっただけなのです。
今では、東中野教授について勉強し、南京事件の展示は全て撤去されました。
南京事件は、なかった、これは、もう歴史的事実なのです。
もちろん、戦場であった以上、不法行為がゼロという事は考えにくい訳です。
ただし、立証責任が果たされた殺人や略奪はゼロですけれどね。(^0^)



さて、再び
笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。
238ページ
引用開始
平和資料問題を考える自治体議員ネットワークと連動して、
全国の自治体が設置した「平和記念館」「戦争博物館」における南京虐殺などの日本軍の加害行為を扱った展示写真や映像を批判、攻撃して、展示場から撤去させる活動を展開した。
引用終了


引用はここまでです。
これに解説を加えると、
まず、公的な平和記念館や戦争博物館において、南京事件の展示物は現在は一つもありません。全て撤去されました。

保守や右翼の主張ではありませんよ、
笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用です。

笠原十九司さんは、いうまでもなく、左翼であり、虐殺派で残っている、ただ一人の歴史学者であります。

笠原十九司さん自身が、自民党からも民主党からも相手にされない事を嘆き、
日本の右傾化を呪っています。

孤立しているのは、
笠原十九司さんの方であり、
東中野教授は、自民党からも民主党からも歴史博物館からも引っ張りだこ。

とくに、
歴史博物館からは、南京事件の展示物は全て撤去されました。

ビクトリー(^0^)

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exo********さん

2017/1/2712:23:58

札幌冬季アジア大会組織委員会は文書でアパホテルの書籍撤去を要請するべきではない。
そんなことをしたら中国オリンピック委員会と大韓体育会の不当な要求に屈服したことになる。
アパホテルは文書で要請がきても書籍の撤去に応じるべきではない。
そんなことをしたら中国オリンピック委員会と大韓体育会の不当な要求に屈服したことになる。
せっかくアパホテルを応援していた人たちも失望することになる。
アパホテルは書籍の撤去に応じるぐらいなら札幌冬季アジア大会の宿泊先を辞退すべきである。
中国オリンピック委員会と大韓体育会の不当な要求は旅館業法2項の「風紀を乱す行為」に該当すると思料する。
不当な圧力に屈して書籍を撤去することを不快に思う人がいることもお忘れなく。
もし逆の立場で中国のホテルに南京大虐殺肯定本があって、韓国のホテルに従軍慰安婦肯定本があって、日本が撤去するように抗議したら中国・韓国は撤去すると思うか?
内政干渉だといって中国や韓国は撤去には応じないだろう。
日本ばかりが不当な圧力に屈服する必要はない、いや屈服するべきではない。

旅館業法
第五条
営業者は、左の各号の一に該当する場合を除いては、宿泊を拒んではならない。
一 宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかつていると明らかに認められるとき。
二 宿泊しようとする者がとばく、その他の違法行為又は風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき。
三 宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。

2017.1.26 23:15更新
【中国アパ拒否】
「アパは正式要請あれば応じる」 韓国から書籍撤去要請 札幌冬季アジア大会組織委が回答
http://www.sankei.com/life/news/170126/lif1701260031-n1.html
「南京大虐殺」などを否定する書籍を客室に備えたとして、来月19日に開幕する札幌冬季アジア大会の選手村にアパホテルが使われることに中国と韓国が反発している問題で、大会組織委員会は26日、宿泊業務を委託している代理店に、改めて「参加選手が快適に過ごせる環境づくりを整えてほしい」と文書で要請したことを明らかにした。組織委は同日、中国オリンピック委員会と大韓体育会から、メールで書籍の撤去を含む選手村の環境整備を求める文書を受け取ったことを認めた。韓国側には既にメールで、「アパグループ」が自社のホームページ上で、書面で正式な要請があれば情報物撤去などの要請に応じる、としていることを伝えたという。
韓国の聯合ニュースは25日、組織委が韓国側に書籍を撤去する方針を公式に伝えたと報じている。アパ側は26日夕の時点で、「正式に書面での要請はまだ受け取っていない。あくまでも『書籍設置を問題視されての撤去』は考えていない」としている。

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dra********さん

2017/1/2623:09:26

我々の日本政府は、松井大将を戦犯ではない、としています。
我々の日本政府は、谷中将も戦犯ではない、としています。
その事を我々は、忘れてはいけません。

南京事件は、無罪。
これが日本政府の立場です。

マンガ
幻冬舎
小林よしのり氏の戦争論2巻
227ページから引用します。

こうして昭和28年8月遺族援護法が改正され、
旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は
日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、
遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。

以上

戦犯には、年金も弔慰金もありません。
遺族援護法の改正によって、
旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は
日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、
遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。
これは、歴史的事実で、疑問の余地がないのです。

マンガ
幻冬舎
小林よしのり氏の戦争論2巻
228ページから引用します。

A級もBC級もない。
連合国が裁いた戦犯は罪人ではない。
それが法律上の正答であり、
当時の日本人全員の合意であり、
殉難死者を靖国神社に祀るのは当然である。

誤解されやすいのだが、
誰を祭神とするか選定しているのは靖国神社ではない。

終戦までは陸軍省海軍省が、
終戦後は厚生省が戦没者を個別審査して
祭神名票を作成

靖国神社はこれを受理して祭神一柱ごとに
霊爾簿を作り合祀する。

いわゆるA級戦犯も全くこの手続きどおりに
厚生省から
祭神名票が送られ合祀された。

以上

松井大将も谷中将も
厚生省によって、神として靖国神社に祀られたのです。

厚生省がやってるんだから、
日本政府が神と認めたという事でしょ。


左翼のデマその1
南京攻略軍総司令官・松井石根大将、東京裁判で死刑直前に花山信勝教戒師に語ったコメント

本当はこうだった南京事件 板倉由明
第9章 松井大将涙の訓示の錯誤
9章全部がこの話しなんですが、結論を簡潔に書きましょう。

松本重治氏が松井大将は泣いた、と、書いた訳です。

2月8日の慰霊祭を12月17日として間違って書いた。
松本重治氏も間違いを認めた。

入城式のあと、慰霊祭はなかった。これは、確認された事実です。

松本重治氏の誤報を読んだ、花岡信勝氏がホラ話しをでっち上げたのです。


左翼のデマその2
軍司令官、師団長として戦った澄田睞四郎中将の回想

澄田睞四郎中将は、南京戦に参加していません。
学問的に証拠能力がゼロです。


左翼のデマその3
陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ

「皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」
おやおや、殺人とか、虐殺がありませんねー。
これこそ、南京で、虐殺や殺人がなかったという動かぬ証拠なのです。

kouyouchinbutaiさんは、こう反論するでしょうか?
「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」

ハッハッハッ卑怯者め、南京事件 秦郁彦 中公新書 172行目だ。
「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」

kouyouchinbutaiさんは中島師団を隠蔽したのです。
中島師団長と松井司令官は犬猿の仲。
これは、松井司令官派の誹謗、中傷であり、
中島師団長の潔白は明らかとなり、
中島師団長は、第4軍司令官に出世するのです。

左翼のデマその4
第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将)

これは、岡村中将が南京軍事法廷用に自身の日記を編集した物で、この日記のおかげで彼は、無罪となったのです。
南京軍事法廷で無罪を勝ち取るために創作された物である事は、明白なのです。
この元の、日記は未だに公開されていません。


左翼のデマその5
南京大虐殺の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌

本当はこうだった南京事件 板倉由明172ページ
中島師団の捕虜が殺されずに生存していたことは、既に確認されています。


左翼のデマその6
第百四師団第六十六連隊第一大隊 戦闘詳報(日本軍の正式報告書)

これ、雨花台事件といって架空の戦果のでっち上げだった事は判明しています。
本当はこうだった南京事件
123ページからが、雨花台事件です。

左翼のデマその7
同盟通信社・新井正義記者

南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫
104ページから108ページ
私自身は虐殺の現場や死体を見たことがない、
と、ハッキリ証言しています。


左翼のデマその8
陸軍省「支那事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」の資料から(兵士の私信を検閲したもの):
「ある村で親子4人を捕らえ、

南京が村だって言うんですか?
南京事件と何の関係もない話しを持ってくるあたり、よほど、南京事件の証拠が少ないようですね-。


左翼のデマその9
日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話
杭州湾から崑山まで
あのなぁー
杭州湾と南京って200キロ離れてるぞ。
いいかげんにしてほしい。


左翼のデマその10
昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官学校出身の陸軍将校)の自伝
一九四三年一月って、
南京事件は1937年12月から1938年3月までだぞ。
場所は南京でも、南京事件とは何の関係もないんだよ。


左翼のデマその11
あの幕府山事件で悪名高い山田支隊長ですら従軍日誌で嘆いています。

えー、
山田支隊は、1500名の部隊。
ところが、2万名の捕虜を獲得しました。
は?
という気持ちは分かる、気持ちは分かりますが、
とにかく一応、そういう話しなんです。
で、幕府山事件と言います。

で、山田支隊は、
捕虜の監視、
捕虜の解放中の暴動で多数に逃げられ、
死体の始末
で、手一杯でして、
山田支隊が南京城内で悪さをしたという可能性はゼロ。
つまり、山田支隊の軍紀風紀なんて、南京事件と関係ないのです。


まとめその1
残る下級兵士の日記ですが、
日本軍は、現代に置き換えれば完全なブラック企業ですからねー。
上官に恨みを抱いていた下級兵士はそれこそ星の数なんですよ。
恨みを抱いている人の日記ですから、眉に唾をつけて読まなくてはならない。


まとめその2
南京戦には、たくさんの新聞記者が同行していました。
南京戦は、他の中国の戦場と違い、新聞記者の目があったのです。

さらに、
南京戦で戦争は終わる、と、信じられていました。
少なくとも兵士達は、そう信じていました。

これで、戦争は終わる。
これで、日本に帰れる。
新聞記者は、みんな英雄扱いです。

このような状況で
不法行為は、増えますか?減りますか?
考えて見れば、おわかりでしょう。

南京では、他の戦場に比べて、不法行為は少なかった。
これは、歴史家の一致した見解です。(笠原十九司さんは、除きます)


まとめその3
中国には、屈辱でした。
なんせ、アジアの小国と思っていた日本に首都を占領されてしまうのですから。
それで、略奪される。
とか、
強姦される、
といった、証拠のない話しをいっぱいした訳ですね。
強姦とか略奪は、あった、と言われれば、なかったというのは、
とても、困難です。
しかし、虐殺や殺人となると死体が残るのですね。


まとめその4
本当はこうだった南京事件 板倉由明
182ページ
上海戦で中国軍は消耗しました。
それで、南京市民を約3万人徴兵したのですね。
まあ、数については、推定なわけだが、中国側の資料でそういう資料があります。

少なくとも
南京戦で、強引で大規模な徴兵が行われたのは歴史的事実です。

約20万人の市民のうち、10万人が男性、10万人が女性。
10万人のうち、3万人て、3割です。

もちろん、子供や老人は、徴兵されないでしょう。
徴兵される人は、だいたい想像がつくでしょう。

当時南京戦を取材した朝日新聞の記者 足立和雄さんは、
南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫
28ページでこう語っています。

青年男子は全員兵士になっていて、城内には原則として残っていないはずだ
と。

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vzo********さん

2017/1/2519:46:12

虐殺自体が非合法であり、その非合法である虐殺はゼロです。
あったのは戦闘行為と合法の処罰行為です。
それでも少数の犯罪行為はありましたが、殺人はゼロです。
多くの犯罪行為、殺人は便衣兵と化した中国人の敗残兵や中国督戦隊によるものです。

「南京大虐殺」は捏造ねつぞうだった①
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

南京の日本軍がなした多くの人道的活動
日本兵による犯罪は少数あったものの、日本軍による「大虐殺」はなかった
非道行為を行なったのはむしろ中国兵たちだった

「南京大虐殺」とは?
1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるため、南京へ侵攻。12月13日にそこを占領しました。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数十万人単位の人間(市民や捕虜)が日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。中国共産党が公式に述べてきたものとしては、その数30万人。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられており、中国の子どもたちは、反日感情を植え付けられるために毎年そこへ行かされています。
この「南京大虐殺」は、日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで書かれ、日本人の「自虐史観」の根底に置かれてきました。しかし今日では、このような30万人もの大虐殺、日本軍による大規模の虐殺、また小規模の虐殺さえも、実際にはなかったことが多くの証拠によって明らかになっています。
日本兵たちによるある程度の犯罪はありました。しかし、それはどこの国の軍隊にもある程度のものであり、むしろ南京での日本軍の活動をみてみると、非常に人道的なもののほうが多く目につきます。
南京戦の最中、南京市内にいた民間人は全員、南京市内に設けられた「安全区」に集まっていました。日本軍はそこを攻撃しなかったので、安全区の民間人らは誰一人死にませんでした。
日本軍による南京占領が間近に迫ると、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、中国人市民を殺して服を奪い、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込みました。安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、武器を隠し持ち市街戦を準備する者、また安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵のしわざに見せかけたり、被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせる反日工作の者たちもいました。
日本軍は彼らを見つけ出すと、彼らのうち特に反抗的な不法戦闘員数千名を処刑しました。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないとされているからです。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面もあります。
しかし日本軍は、一方で、市民や捕虜に対し多くの人道的援助活動を行なっています。その結果、日本軍占領下で飢えのために死ぬ南京市民は一人もいなかったのです。また日本軍の活動に感激して、そののち汪兆銘の親日政府軍に入った中国人捕虜たちも多くいました。
南京において非道行為を行なったのは、むしろ中国兵たちでした。軍服を脱ぎ捨てて民間人の中にまぎれこんだ中国兵たちは、裸でまぎれこむわけにはいきませんから、民間人の服を奪うために民間人を殺しました。そうしたことをエスピーというアメリカ副領事その他の人々が目撃しています。虐殺を行なったのは日本軍ではなく、中国兵たちだったのです。

以下はその詳細です。
南京に戻ってきた住民
南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
住民が戻ってきました。上智大学の渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。
また占領後、日本軍は、民間人に化けた中国兵と本当の民間人を区別するため、ひとりひとり面接をしたうえで、民間人と認められた人々に「良民証」を発行しています(1937年12月から1938年1月)。60歳以上の老人と10歳以下の子どもは兵士ではないでしょうから、その間の年齢の人々に良民証を発行し、その発行数16万人に達しました。南京国際委員会のメンバーとして南京にいたルイス・スマイス教授は、南京の日本大使館の外交官補・福田篤泰氏に宛てた手紙の中で、「この数によれば南京の人口は25万~27万人程度だろう」と書いています。
このように南京占領後、南京の人口は増えているのです。

南京入城に際し、新聞記者たちも同行
南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。

蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及せず
中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」等のことは言っていません。もし大虐殺があったのなら、これは非常に不自然なことです。蒋介石の認識の中にも「南京大虐殺」はなかったのです。

南京陥落後に撮影された風景
http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html
昭和12(1937)年12月13日、南京事件が起きたとされる時期である陥落以降に撮影された写真ばかりを集めました。
陥落当時には120名をこえる報道陣が南京に滞在していました。(外国人記者達を含めて)
彼らの多くは戦争が終わり、南京が平和に復興する様子を写真などによって撮影、記録しています。
日本兵と中国人との心温まる交流も多数記録されているのです。
ところが戦後、これらの写真を「朝日新聞」、「毎日新聞」「岩波書店」、「日教組」、「NHK」などのサヨク系団体や組織によって封印されたのです。
戦争ですから戦死体があるのは当然ですが、虐殺とは全く無関係の写真を大虐殺の証拠として(特に)朝日、毎日、岩波書店、日教組、(サヨク)系マスコミなどが大宣伝を行い、現在でも日本国民を洗脳しています。
ホームページ作者はこれら写真を集めるうちに、事実とは大きく異なるウソ宣伝を行う報道(マスコミ)に対して信じられなくなりました。
南京の真実を報道しているのは唯一、産経新聞だけなのです・・・朝日、毎日、日教組、TV朝日(朝日新聞系)、TBS(毎日新聞系)許すまじ・・・。

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uns********さん

2017/1/2519:43:17

「南京大虐殺」は捏造ねつぞうだった②
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

日本軍によって殺された民間人はわずかだった
日本軍の司令官・松井石根(まつい・いわね)大将は、南京攻略を前に、「決して民間人を殺してはならない」と全軍に厳しく命じていました。
そして、南京攻略戦の最中、南京にとどまった市民たちは皆、南京城壁内に特別に設定された「安全区」の中に避難していました。南京にいた外国人たちもみな、安全区に避難していました。日本軍は、その安全区内にも中国兵が多くいることを知っていましたが、安全区を攻撃することはしませんでした。
そのため、たまたま流れ弾に当たって数人が死傷したものの、そうした事故を除けば、安全区の住人は全員無事でした。実際、南京占領後、安全区のリーダーであったドイツ人、ジョン・ラーベは、「日本軍が安全区を攻撃しなかったことを深く感謝いたします」との感謝状を松井大将に手渡しています。
また攻略戦終了後、日本軍の監督・指揮のもとで、「紅卍会」という南京の中国人団体が、死んだ中国兵の埋葬作業を行ないました。彼らは埋葬した人々のリストを残していますが、その中に女性や子供の遺体はほとんど含まれていません。これは、民間人の犠牲者がほとんどいなかったことを示しています。
また南京安全区の安全と秩序の維持のために、南京攻略戦の前から、南京に住む欧米人らは「南京国際委員会」というものを作っていました。彼らは、日本軍による南京占領後に南京で起きた犯罪事件をまとめ、被害届として日本軍に提出しました。それは、南京で見聞きした日本兵による犯罪(強姦、略奪、殺人)等を記録したもので、日本軍に取締りを求める内容でした。
その被害届には、日本兵によるとされる犯罪が425件記されています。その大部分は伝聞にすぎず、資料的な問題はありますが、たとえすべてを事実と仮定しても、そのうち殺人事件はわずか49件にすぎません。つまり、どうみても「大虐殺」などなかったのです。
しかも、その49件のうち、国際委員会の委員が直接目撃したものはわずか2件でした。あとはみな伝聞です。また、その2件のうち1件は、ジョン・マギー牧師が目撃したものですが、日本兵が、軍服を脱いで民間人に扮している中国兵を探している中、不審な者を見つけて身元を尋ねたとき、急に逃げ出したので撃ち殺したというものでした。しかし、これは国際法上、合法的なものです。
もう1件のほうも、合法的なものでした。つまり国際委員会の委員は誰も、南京において違法な殺人を目撃していないのです。ましてや大虐殺を目撃していません。
また南京が陥落したとき、多くの中国兵は軍服を脱ぎ捨てて、民間人になりすまして安全区内に逃げ込みました。そのため、日本軍は彼らを見つけだすために掃討作戦を行なわなければなりませんでした。
兵士は帽子をかぶっているので、額の上部に日焼け跡がなく、その帽子の跡で兵士とわかります。また兵士は、手をみると、度重なる銃の発射でタコができています。それに兵士は、南京市内に家族がいません。そうしたことなどで日本軍は兵士と市民を区別し、兵士を発見すると、逮捕しました。
その際、誤認逮捕が皆無であったとは言えないかもしれません。しかし、たとえ誤認逮捕があったとしても、その数はわずかだったと言えるでしょう。
このように南京攻略戦の最中、およびその後にかけて、日本軍によって殺された民間人の数は、ごくわずかしかいなかったのです。

岡村寧次大将の記録は?
一方、虐殺肯定派の人々は、しばしば岡村寧次(おかむら・やすじ)大将が書いた次の文章を、しばしば引用します。
「上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
1)南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
1)第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある」(『岡村寧次大将資料』)
しかし、岡村大将はこの報告を上海で聞きました。彼自身は南京へ行っていません。先に述べたように、南京にいた国際委員会の人々は、日本兵らによる暴行として425件の事件を報告しています。その大部分は伝聞であり、すべてを事実とはとれないのですが、たとえすべてを事実と仮定しても暴行事件は425件にすぎず、「数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行」という岡村大将の記述は、間違ったうわさに過ぎなかったことが明らかです。また「給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある」という記述も、後述するように、南京においては事実ではありませんでした。

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