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戦国時代の神社や神道とはどういう立ち位置にあったのでしょうか?

alice_xxx696さん

2017/3/2714:41:37

戦国時代の神社や神道とはどういう立ち位置にあったのでしょうか?

織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちにしましたが(実は焼いてないという説も見ましたが…)、当時の情勢や僧侶の堕落などが理由なのかなと思うので一応納得はできます。また、仏教勢力が力を持っていたこともわかります。
歴史に関する本や番組を見ていると仏教勢力や寺はよく出てきますが、神道および神社に関しては全くと言っていいほど見かけない気がします。
当時は神社や神道は武将達にとってさほど重要な存在ではなかったのでしょうか?
歩き巫女のような特定の神社に属さない存在ではなく、きちんとした神職の人達について知りたいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ajimumatsuraさん

2017/3/2716:45:57

歴史に出てこないわけではなく、比叡山焼き討ちにしても、比叡山の僧兵が日吉大社の神輿を担ぎ出して、神の権威を笠に着ていたことが背景になっています。
そのため信長は日吉大社も滅ぼしています。

他にも、たとえば豊臣秀吉が祭神の「豊国神社」とか、徳川家康を祭神として祀る「日光東照宮」あたりが有名な神社です。
神になった家康にあやかろうと、各地の大名は競って東照宮を自分の藩に設けたので、日本中に何百もの東照宮が存在しています。

秀吉没後、豊臣家は威力を保とうと、各地の寺社に寄進を行ってもいます。
秀吉と神社では、北野天満宮での大茶会が有名です。

また、鶴岡八幡宮は武家の統領である源氏を祀る神社なので、鎌倉武士(つまり武家全般)の守護神であるため、武士から篤く信仰されています。

さらに武家の重要な役職であった関東管領は、上杉氏が世襲していますが、鶴岡八幡宮で就任を神に報告する儀式を行います。

上杉謙信は小田原の北条攻めを行いますが、鎌倉にある鶴岡八幡宮に立ち寄り、関東管領職を継ぐ儀式を大々的にする目的もありました(謙信は嫡流の上杉氏ではないので)。
ここで謙信は、東国武士たちに「武家のリーダーである」と認めさせようとしました。


あと、富士山信仰があって、武将は富士山を霊峰として拝んでいましたので、各地の浅間神社は大事にされていました。
武田信玄も地元の浅間神社と、富士宮の浅間大社に寄進していますね。

徳川家が駿河を大事にしたのは、富士山信仰と関係あるようでして、富士宮浅間大社は源頼朝、武田氏、北条氏、徳川家康と、歴史に名を残す武将が篤く崇拝しています。

水軍を持つ武将ですと、海の神を祀る大山祇神社、三島神社を氏神にしたり保護しています。
u_u100ranoさんがおっしゃってるように、軍神や海の神は神社にいるし、人間でも死後に祀れば神になるので、寺より神社が疎かにされたわけではないでしょう。

質問した人からのコメント

2017/4/3 22:14:53

皆さんの回答を読んで色々調べていたらお礼をするのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。
言われてみれば確かにあの時代から厳島神社とか日光東照宮がありましたね…盲点でした。武将達が神社でお参り、というイメージが沸かなかったのですが、結構活用されていたのですね。
どの方の回答もすごく勉強になりました。回答していただいたものを自分でももっと調べてみたいと思います。ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

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inri2014さん

2017/4/321:30:35

戦国武将が祈願した神は、圧倒的に八幡神(八幡大菩薩)です

征夷大将軍になる条件は、清和源氏であること
従って、氏神にして軍神である八幡神は大いに信仰されるわけです

信長は比叡山を焼き打ちにして、延暦寺と日吉大社の両方を焼いてます
抗議の書状を出したのが、武田信玄であり、出家し剃髪してました
それに対して、織田信長はとぼけた返事を書いたのですが、「第六天魔王信長」と署名してました

仏教最大の悪魔が、第六天魔王波旬です
太平記では、第六天魔王波旬が日本の本来の神であり、仏教を入れない約束で天照大神に日本の支配権を譲ったと記述します
この件は非常に有名で、足利氏、北条氏、織田信長など、将軍家や執権家が、第六天魔王波旬を信仰した理由です

一般に、第六天魔王波旬は仏教系の神格と理解され、他化自在天とも習合してます
第六天神とも言い、江戸期には「花のお江戸の天神様」として大流行してます
江戸期には第六天神社が、関東と静岡に5000社も存在したほどです


神道と仏教は混交状態にあり、渾然一体でした

第六天魔王波旬、他化自在天、弁財天、牛頭天王、毘沙門天などは、仏教の天部とされますが、神社の祭神として祀られてました


一方、仏教の神格も多数の戦国武将が崇拝してます
上杉謙信の旗頭である「毘」は、毘沙門天を表してます
帝釈天率いる天界軍の、四天王の中で最強とされるのが、毘沙門天です

仏教に帰依した武将は多く、加藤清正は日蓮宗の「南無妙法蓮華経」を軍旗にしてました。

polytac_yさん

2017/3/2802:44:53

比叡山は部分的にしか焼いていないってのが有力なようですね。発掘調査ではそうらしいです。

阿蘇神社の阿蘇氏とかは戦国大名化していますしね。

織田信長は、熱田神宮に桶狭間の戦いの戦勝の御礼に土塀を寄進してますよ。
あと、戦乱で途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮を金を出して復活させたのも織田信長ですね。


藤堂高虎も関ヶ原の戦いの後、今治城の近くにあった別宮大山祇神社(大山祇神社の別宮)に併設されていた僧坊8坊のうち南光坊(長宗我部元親の伊予侵攻の際に、伊予国分寺などと共に焼き払われている)を再建していますし、別宮大山祇神社も保護しています。(この頃は神仏習合している)

大三島にある大山祇神社は村上水軍にも信仰されていて、何かと奉納しているようですし、藤堂高虎も鎧を奉納していた記憶があります。この神社は源頼朝や義経の鎧もあります。

比叡山は部分的にしか焼いていないってのが有力なようですね。発掘調査ではそうらしいです。...

2017/3/2717:40:08

神社も社領を持っていますし、寺とそんなに変わりませんよ。

織田信長に特化した話であれば
桶狭間の前に戦勝祈願した熱田神宮に対して、戦勝のお礼に塀を寄進していますし
津島神社に至っては運営が厳しくなって宮司が逃げ出した(笑)ときに
保護するように働きかけ、戻ってくるよう触れを出してたりします。社領の安堵など色々してる記録もあるはずです。
部下等の信仰心もあるので、決して粗略には扱っていませんね。

man25415さん

2017/3/2717:39:48

戦国時代には、もう神社とお寺は一体化していました。

日本は、元々豪族の先祖を奉った氏神、土地の神(先住豪族の神と一体化)を守護神として祀っていました。
6世紀半ば、仏教が先進技術として入って来ると、相互依存の関係になりました。
仏教は、神社を布教の道具に使う、神社は、自身の権威付けのために仏教の神と同一とする。ということです。
・・・・・・・・・・・・・神仏習合で一体化していたのです。

比叡山=日吉神社で、ともに焼き討ちに合いました。

焼き討ちにあったのは、抵抗勢力の領地にあり、また自身も抵抗したからです。

地元の尾張では、織田家の菩提寺が有る一方、熱田神宮に寄進したりもしています。

odahahahawさん

2017/3/2716:14:02

比叡山延暦寺はのう天下布武の一例である!比叡山周辺から火を放ち僧房など全部を3日三晩燃やし尽くした・泣いて命乞いする僧侶3000人を皆殺しにしておる・・実は焼いていない⇒何処の馬鹿が言うておる!お前らは中途半端で流される無能者である・今日午前10時過ぎに日本コカコーラに電話で抗議を入れた・・綾鷹茶の大茶会にスケートの糞塵と明智子孫とかいうクリス奇知外を使用して居るので先ずは身元調査からせよと・・録音されておるので担当者に聴かせなさいと・・・歴史番組など全部がデタラメである嘘を平気で創作が90%である・・事信長で申せば神も仏もどうでもエエである=無神論者。尾張織田宗家当主・名古屋。

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