ここから本文です

香川に住んでいても江戸時代の松平讃岐守に不思議さを感じて質問します。 ①松平...

dan********さん

2017/5/1414:10:38

香川に住んでいても江戸時代の松平讃岐守に不思議さを感じて質問します。

①松平頼重は、他の御連枝と違い幕府から5万石で下舘藩の領主になったのか?

尾張藩や紀州藩更に水戸藩の分家は、内内米で分家してから同じ石高を幕府から
下されて内内米を還すのを直接5万石の大名になれたのか。

②無役の松平頼重が、短期間に倍以上讃岐高松藩の城主になれたのか?

③江戸城の控えの間が、他の御連枝と違い格式の高い黒書院溜之間なのか?
溜之間は、老中や京都書司代を務める大名の控えの間だけに無役松平讃岐の守は、
溜之間の一番下座に居たのか。

④忠臣蔵で、浅野匠と勅使供応役は、播洲赤穂藩と大州伊達藩なのですが香川では、赤穂藩と高松藩だと言われていますが誰かご存知の方お願いします。

⑤讃岐松平家の大広間で、将軍のお言葉聞く時に座る場所は?
江戸城の大広間で上段之間 ・中段之間・下段之間……と大名の座る場所が決まっていた
ので讃岐の守どの間にすわったのか?


沢山質問して済みませんでした。

宜しくお願いします。

補足香川に住みながら殆んど知らない事ばかりで、知恵袋でも中々質問が見つからないので宜しくお願いします。

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

閲覧数:
342
回答数:
2
お礼:
250枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

cha********さん

2017/5/1501:28:03

松平頼重は水戸藩初代藩主である徳川頼房の長男で、三男(次男は早世)である黄門様こと徳川光圀の実兄です。

水戸家は御三家でも格下ということで、尾張・紀州藩で男子が誕生していないことに遠慮して、頼房が幕府に頼重の出生届を出していなかった。
そういう経緯があり、黄門様が水戸藩第二代藩主となった。

これを知った同じ家康の孫でもある将軍家光が本来なら水戸藩を継ぐ身分であることから哀れに思い、常陸下館藩主そして讃岐高松藩初代藩主に任じた。

そして黄門様が自分が水戸藩主になっただけでなく、子供まで水戸藩を継ぐようなことになれば兄に対して申し訳ないので、兄の子供が水戸藩主を継ぐように幕府に申し入れ、自分の長男である頼常が高松藩第二代藩主となった。

黄門様が天下の副将軍と言われただけに、その実兄である頼重は格上として扱われています。
ドラマ「水戸黄門」の大ファンで欠かさず見ている人は何回か頼常がドラマに登場しており、こういったことを知っていますが、香川県の人は案外知らない人が多いようです。

こういったことから香川県の人はおそらく気になると思いますが、その後の藩主は黄門様の子孫かというとそうではありません。
頼常は二人の男子に先立たれ、養子の頼豊(頼重の孫)に家督を譲っています。
その後も水戸藩から高松藩に養子に入っており(一回は高松藩から水戸藩に養子)、水戸藩と高松藩はゆかりがあるというか結び付きが強いと言えます。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2017/5/15 06:01:20

ヤフー知恵袋を見ていてたまたま松平頼重を見つけて色々探したのですが余りに無くて質問しました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

プロフィール画像

カテゴリマスター

qqm********さん

2017/5/1416:31:52

水戸徳川家初代徳川頼房の長男に生まれたのですよ。
普通だったら、水戸家の家督を継ぐ人です。
光圀に水戸藩を譲っているので、それ相当の領地ですよ。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる