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旧幕府軍は鎧兜と旧式の銃や火縄銃で戦い、薩長軍の新式銃に敗れたと言われていま...

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ID非公開さん

2017/5/1620:22:34

旧幕府軍は鎧兜と旧式の銃や火縄銃で戦い、薩長軍の新式銃に敗れたと言われていますが、これは本当でしょうか?

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Scullさん

2017/5/1623:36:24

本当とも嘘とも言えます。と言うのは、薩長軍にしても幕軍にしても「時期によって装備が違う」からです。

旧幕軍という事は大政奉還後という事になりますが、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、市川船橋戦争、宇都宮城の戦い、上野戦争、会津戦争などの東北戦争、それから函館戦争をもって終結しています。

鳥羽伏見の戦いでは具足を着用していた幕軍幕兵も居たかもしれませんが、函館戦争でまでそれほどの旧式装備であったとは考えられません。

たとえば東北戦争の中で北越戦争という戦いがありますが、ここで幕府側であった長岡藩には当時薩長軍でも配備されていなかった最新式の「ガトリング式機関銃」が導入されていました。

装備の新旧で戦争の勝敗が決まるほど戦争は単純ではありません。

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ベストアンサー以外の回答

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りえさん

2017/5/1622:56:58

それは間違った認識です。

江戸時代中期ごろから洋式戦法が理論上では提唱されていましたし、各藩でも少しづつ洋式調練を開始するようになったので、幕府でも軍制の改革に乗り出しました。安政二年(1855)には海軍伝習所を長崎に設け、また練兵講武のために安政三年には講武所を設置し、遅ればせながら軍制改革を開始しました。文久二年(1862)十二月に講武所奉行を陸軍奉行とし、歩兵奉行・騎兵奉行・大砲組頭をその下に置いて三兵設置とし、フランス軍士官を教官として調練にあたらせ、その組織は陸軍奉行と海軍奉行の上に軍事総裁職を置きました。幕府歩兵隊の服装は紺木綿の上着と立付袴式のズボンの軍服で、フランス式軍帽をかぶり、鉄砲を担いで毎日調練していたそうです。

幕府軍はゲーベル・ミュッヘル・7連発のスペンサー・ヤーゲルなどの洋式銃を採用していましたが、ゲーベルとヤーゲルなどは雷管を用いない旧式銃のため、雨天ではほとんど使用できませんでした。


※画像は「戊辰戦記絵巻」に描かれた幕府歩兵隊です。

それは間違った認識です。...

2017/5/1622:17:21

本当ですよ

ちなみに最後は鎧兜を脱いで戦いました
何故か?
鎧の破片が体に食い込みさらに怪我が大きくなったからだそうです

2017/5/1622:08:55

本当です。薩長はイギリスから最新式のスペンサー銃を輸入していました。これに対し幕府はゲベール、ミニエー銃という旧式の銃でした。

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