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三国志について質問です。

got********さん

2017/6/1412:13:29

三国志について質問です。

曹操にとって、荀彧は王佐の才の右腕的な存在で特に荀彧は人材発掘に秀でていましたから曹操としては魏公問題で荀彧と一致せず、荀彧も寿春でストレスで病死しましたから、曹操としてもかなり痛いし内心は嘆いたでしょうか。

曹操は荀彧や夏侯惇や郭嘉や程昱とかの家臣の話しは素直に聞いたのに、これはちょっと失敗でしたよね。

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kou********さん

2017/6/1818:00:43

そりゃ、痛手でしたね。
意見が違ったからといって、急に関係が悪化するわけでもないでしょうしね。

ただまあ、曹操の初期の頃とは違って、曹操陣営も組織が巨大化して、曹操と右腕の荀彧だけで何もかも決められる時代ではなくなっていったのは確かでしょう。

魏公問題についても、荀彧が反対したのは確かですけど、それが単なる時期尚早という意味なのか、本当に魏公に昇るべきでないということなのかはわからないんですよね・・・荀彧、すぐに病死しちゃってるんで。


まあ、曹操が荀彧を寿春に呼びつけたのは、荀彧を許昌から出して、その間に董昭らに魏公問題を先に進めさせようという意図だったんじゃないか、とは思います。
また、曹操も荀彧を説得したかったんじゃないでしょうかね。
荀彧は自分が説得するから、魏公の話は先に進めておけ、という感じ。


あと、荀彧が人材発掘に優れていた、というのは、物語の創作です。そりゃまあ、名門の御曹司ですから、付き合いは広かったでしょうけど。

質問した人からのコメント

2017/6/21 00:40:29

だからかれの一族は罰せられなかったんでしょうね。

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shi********さん

2017/6/1522:55:13

でしょうね。

自分は”街亭の戦い”で敗戦を招いた馬謖。

彼が処刑されるシーンがやるせないです。(泣)

te9********さん

2017/6/1412:35:11

自殺説にせよ、病死説にせよ
曹操にとって痛手だったのは間違いないと思います。


①自殺説について

陳寿の三国志では自殺とは書かれてませんが

裴松之の注釈では
自殺説もいくつか載ってます。

だからその、要するにどの史料を参考にするか、だと思います。

演義などでは自殺説を参考にしていますね。

自殺説を参考にするなら

荀彧は曹操に対して
覇者になることなど望んでなかった(漢王朝の宰相としては望んでいたかもしれない)
朝廷を救うことを望んでいた。

だから曹操に従いながらも曹操の専横については苦々しく思っていた。

それに対して曹操が荀彧に圧力をかけたので
荀彧は自殺した、

というストーリーになるでしょうか。

こういうストーリーを補強するかのようなセリフは陳寿の三国志の中にもあります。
曹操の魏公就任に反対する記述ですね。

これはやはり素直に読むなら
曹操の覇業を荀彧は望んでいなかった、ということになります。

②病死説について

陳寿の三国志の荀彧伝にはこうあります。

彧疾、留壽春。以憂薨

(荀彧は病にかかり寿春にとどまった。憂慮の中で死んだ。。)
などとあります。

まあ確かに
素直に読めば病死だったとれますが

正確に病死だったとは書かれてません。

「病気にかかっていたが病気で死んだわけではなく自殺した」とかそういう考えも成り立つかもしれません。

病で死ぬ場合は
病死、と堂々と書かれていたりします。

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