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1977年に同志社に入学していますが、 経済学部は難関でした。 当時は文学部英文学科、心理学専攻、 社会学科の新聞学専攻、文化史学専 攻(考古学で有名)、経済学部、法学 部法律学科が文系では難易度が高めだ った、と記憶しています。 でも、入ってしまえばみんなサークル活動 では一緒でしたけれど。混ざってしまえば みな同じ志(こころざし)。 商学部に合格しても、経済落っこちた人 は多かったし、関西学院の経済合格して も同志社・経済は落ちてる人が多かった。 経済学部は難しかったので、最初二部に 入り3年次に一部に編入して卒業した後 輩もいました。 当時は、立命館は関西学院大よりも入り やすかったのですが、国立並みに学費が 安かったので地方受験生の人気があり、 倍率が高かったのを覚えています。 同志社の年間の学費が40万円ぐらい で、立命館は25万円ぐらいだった。 今でも40代後半の人で「立命は安い」 と思っている人も結構いると思います。 (関西の私大ではいまは同志社が83万 と一番安いレベルですけれど) 同志社の英語が難しいのは今も昔も変わら ないんじゃないでしょうか。鬼のように英語ば っかりやったのを覚えています。 同志社は、京都の環境と自由な校風に憧れ、 全国の進学校からの学生が来ていましたから、 レベルは高かったと思います。何でも知ってる 読書家の先輩の下宿には本が千冊以上も あってビックリしました。 先輩・友人も名門校ぞろいでしたよ。府立や 県立有名高校が多かった。 経済学部を出た人は殆ど有名企業に就職 をしていました。 学生運動がまだ残っている大学でヘルメット 学生と、ちょうど流行っていたサーファー風の 女子学生とが共存する不思議な光景。 ラグビー、アーチェリー、相撲部が全国レベル で体育会系の学生も目立っていました。 確か、ラグビーの平尾がそのころモテモテで、 可愛い子連れてキャンパスを歩いていたと思 います。その横で、学生運動の集会があって 何でもある大学でした。 思想的にも左翼から右翼まで、宗教もキリ スト教から統一教会、密教までなんでもあ った。いろんな人間がいて活気に満ちていま した。変わったヤツもけっこういましたね。 田辺キャンパスは知りませんが、今出川キャ ンパスは今でも風情は変わらない印象です。 1万人もいたから同じ時代に同志社にいて も1回も会わなかった人もいるし、それぞれの 同志社体験は異なっていると思いますが、 全国に散った今でも共通点はあると思います。 そう言えば、女子はみんな賢かった! しかし、権威指向がなく、エリート意識のない 同志社のカラーは今も変わらないと思っていま す。 っていうか、京都の大学生って、上下意識が あまりなく、京大も同志社も立命も龍谷大も みんな町では仲良くバイトして遊んでましたよ。 みんな安下宿でビンボーでしたから。
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質問者からのお礼コメント
皆様ありがとうございました
お礼日時:2008/7/16 20:48