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江戸時代の讃岐高松藩は、家康の孫とはいえ從五位下右京大夫の黒書院溜まりの間に...

dan********さん

2017/7/2907:58:00

江戸時代の讃岐高松藩は、家康の孫とはいえ從五位下右京大夫の黒書院溜まりの間に入れられたのか不思議です。

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yas********さん

2017/7/2911:28:09

大老を数多く輩出した彦根藩井伊家や保科正行の会津藩松平家のように大老級の活躍が伝えられていないにもかかわらず、大老級の溜りの間だったことは確かに不思議です。

ただし、かつて保科正行の業績が埋没していたように実際には大老級の活躍をしていた高松藩主がいた可能性はあります。
松平頼重、頼常は名君として有名であり、平賀源内の主君の高松藩主も優秀だと言われています。

  • 質問者

    dan********さん

    2017/7/2914:17:17

    回答ありがとうございます!
    勉強になりました。

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rek********さん

2017/7/2912:19:12

主藩の水戸家は中納言25万石。

水戸の支藩ですからこんなものでは。

初代頼重その人は従四位上左少将にまでのぼっています。

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nic********さん

2017/7/2910:11:37

光圀と頼重が子供を交換した事情も考慮されているのでは?

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