織田信長の「馬防柵」について教えて下さい。 一昔前「馬防柵」と言えば 平地に「ぶっとい丸太の柵」でした・・・。 それがいつの頃か「空堀が掘られ逆茂木が多数置かれ」・・・。 こん

織田信長の「馬防柵」について教えて下さい。 一昔前「馬防柵」と言えば 平地に「ぶっとい丸太の柵」でした・・・。 それがいつの頃か「空堀が掘られ逆茂木が多数置かれ」・・・。 こん なん見たら、騎馬で突撃しないやん?とか思っていました。 最近では「土塁まで盛られ」その上に柵が設けられる 図を見ます。 信長の「安土城」もじつは正確な形は解っていませんが・・・ 「馬防柵」ってどんなんだったのでしょうか??? 時代が進むたびに織田信長の「馬防柵」がエライことになってきており 解らず、お教えください。

補足

冗談ですが、このまま進めば「櫓」に「石垣、天守閣」も設けられ始めるのでは?など 思っています。 ●信長公記の馬防柵と周囲の陣の説明です 『志多羅の郷は、一段地形くぼき所に侯。 敵がたへ見えざる様に、段貼に御人数三万ばかり立て置かる。 先陣は、国衆の事に侯の間、家康、たつみつ坂の上、高松山に陣を懸げ、 滝川左近、羽柴藤吉郎・丹羽五郎左衛門両三人、あるみ原へ打ち上げ、武田四郎に打ち向ひ、 東向きに備へらる。 家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ、 彼のあるみ原は、左りは鳳来寺山より西へ太山つゞき、 又、右は鳶の巣山より西へ打ち続きたる深山なり。 岸を、のりもと川、山に付きて、流れ侯。両山北南のあはひ、 纔かに三十町には過ぐべからず。鳳来寺山の根より滝沢川、 北より南にのりもと川へ落ち合ひ侯。長篠は、南西は川にて、平地の所なり。』 と「馬防ぎの為め、柵=通称・馬防柵」を設けたのは解るのですが 他は自然の地形を利用し上手く陣形を張ったように見え 「堀・土塁」を構築したとは書かれていないので これどうだったのか???と疑問に思い質問いたしました。

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ベストアンサー

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数年前に長篠の合戦場跡を訪れたことがありますが、馬防柵の一部が復元されて建てられていました。 縦の丸太は地面に穴を掘って埋めてあり、実際に復元されたこの柵をゆすってみましたが、容易には倒れそうもない感じで馬防ぎの効果があると思います。 長篠の合戦場跡の地図を見れば分かりますが、この馬防柵の武田軍側には連吾川という川幅の狭い川が流れています。農業用水路のような川ですが、これが武田の騎馬を攻めにくくしている天然の堀の役目をしていました。この川のために騎馬武者はほとんど馬防柵まで近づけず、川の手前で織田・徳川軍の多数の鉄砲により退けられたと考えられます。 地図と写真で長篠合戦跡を見られるサイトのリンクを張っておきます。 参考までにどうぞ↓ http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/nagasinositara/nagasinositara.html 馬防柵と連吾川の位置が分かりやすい写真があるサイトです。 (写真集の2段目の一番左の写真です。写真をクリックすれば拡大されて見やすくなります。) https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E5%90%88%E6%88%A6%E8%B7%A1++%E9%80%A3%E5%90%BE%E5%B7%9D&aq=-1&ai=6qNjnfAPTK.C.m3MH3Ar3A&ts=46947&ei=UTF-8&mfb=427_56a&fr=top_ga1_sa#mode%3Ddetail%26index%3D5%26st%3D238

回答ありがとうございます! サイト、凄く勉強になりました! 自然の地形を利用し上手い陣取りを したと推察しました・・・。 自分たちで堀を掘ったり土塁を作ったのか どうなのか・・・。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます!

お礼日時:2017/8/12 1:53

その他の回答(2件)

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暫定陣地がどんだけ雑な陣地でも野戦築城は野戦築城ですよ。 目的は明示されてるんで 騎馬武者に侵入されなければ良い訳です。 実際には等間隔で杭を立てただけかもしれませんし その辺は実際に研究できる状況でなければ真面目な研究をアテにするしかありません。 色々見て行けば真面目な研究ですら「信長包囲網なんて無かった」説だってありますし まあ脚色の世界がエライ事になるのはご愛嬌で 信長が本当に魔王であろうが武田信玄が二頭の馬に仁王立ちに立って城壁駆け上ろうが笑って許してあげましょう。

回答ありがとうございます。 >暫定陣地がどんだけ雑な陣地でも野戦築城は野戦築城ですよ。 そうなのかもしれませんね!! 私はその地の地形を上手く生かした 野戦城築(?)か陣形なんだろうな~と 思っていました。 >まあ脚色の世界がエライ事になるのはご愛嬌で その内、ドンドン傾斜が付き 上に行くと滑油が垂らされる坂道を 赤ヘルメットの武田軍が必死に登ると 最期は大玉を転がされ 落ちてゆく「風雲たけし城(古くてすみません)」 のようになっていくのでは??? と・・・楽しみにしております。

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長篠の合戦の時の馬防柵は、敵が攻めてきて、押したら簡単に倒れるものでした。 馬防柵は、武田の騎馬隊を防ぐためのものでなく、簡単に突破しそうだと錯覚させて、騎馬隊を近くに引き寄せ、鉄砲で撃退する作戦だったのですよ。 なので、長篠の戦いの馬防柵は、実際に騎馬隊を防ぐためのものではありませんでした。