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細川忠興についての質問です。 彼は凄く短気だったといいますが、信憑性のある情...

tor********さん

2017/9/200:16:55

細川忠興についての質問です。
彼は凄く短気だったといいますが、信憑性のある情報なのでしょうか。
また、それに関わるエピソードはどうなのでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

xdx********さん

2017/9/412:05:22

細川家家記の綿考輯録より
・若いころ、父に降伏しようとやってきた敵将を見かけるなり切り捨てた
・言いつけを守らなかった下僕を切った
・屋根から落ちてきた者を切った?
・妻ガラシャの椀に髪の毛が入っていたので台所の者を切った?
・(ガラシャと仲が悪かったころか?)切った者の首を
ガラシャの部屋の棚に 置いたが、ちっとも取り除かないので
父幽斎に頼んで取り除いてもらった?
・(豊前にいたころ)原因は不明だが大徳寺の高僧を切り、
大徳寺ともめる (喧嘩両成敗のこの時代、場合によっては
お家取りつぶしになる可能性も あった)

フロイス日本史より
・ガラシャの使いの者の話として、忠興は言いつけを守らない
家中の者には容赦なかった
・ガラシャと邸内の女達が無断でキリスト教に改宗した際、
乳母の耳鼻を切り落としたり髪の毛を切ったりした

豊前小笠原家の記録より?
・小倉城を作っていた際、石が重いので運べないと訴えた
人足を切り捨てる

茶道四祖伝書より
・「天下一気の短い人物」と言われる

(※?マークのものは信ぴょう性がかなりあやしいもの)

等々、怒ってから切り捨てるまでに間がないものなどを書き出してみました。
当時手討ちは珍しくないものだったとは言え、ガラシャも「忠興は容赦がない」と手紙に書いており、特に若い頃は幽斎も手を焼いていますので、けして温厚な方ではなかったようです。



ただし政治的には冷静な判断をしていて、戦いのない時代でもうまく世渡りをして細川家も栄えました。
気が短いというのは主にプライベートな面が多いようです。

また忠興は家族には厳しかったようですが、切腹させた次男はともかく、長男や弟とは後に和解し、わだかまりを残しつつもなんだかんだ面倒を見ています。「瞬発的にカッとなるものの、後から反省する」という性格のような気がします。

一度身内と見ると面倒見がいい性格のようで、ガラシャは愛妻なので特別としても、秀吉・家康から疎まれていた高山右近とずっと交友を続けていたり、亡くなった友人の息子のためにいろいろと骨折ったり、後藤又兵衛の残された家族の面倒を見たりと、損得抜きで義理堅い面もあります。

友人も多かったので、単純に気が短いだけの人物ではなかったと思いますよ。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

bir********さん

2017/9/211:49:15

彼は妹のムコと自分の息子を自分の手で
斬ったそうなので、この2件に関しては
非情な人物と評されても仕方ないかも。
義弟の場合、細川に反抗的で敵の
陣営に義弟が寝返りそうだったとも、
いわれ息子を斬ったのは、おりしも
徳川幕府がキリスト教の全面禁止を
施行した時期、細川忠興の息子がキリシタン
で忠興が改宗を迫ったが拒否したため、
ということです。

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