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江戸時代、江戸での男女比率で 極端に女性が少ない事を知りました。 よく時代...

ynk********さん

2017/9/1908:22:40

江戸時代、江戸での男女比率で
極端に女性が少ない事を知りました。

よく時代劇で出てくる長屋の井戸端会議などは、
虚構なのでしょうか?

江戸の町民男性の成婚率は
どのくらいだったのでしょうか?

井戸端会議,町人,時代劇,江戸時代,虚構,成婚率,コミニユテイー

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kin********さん

2017/9/2122:19:30

江戸の町で男女比に極端な差があったのは江戸初期で、要は江戸という町そのものの建設途上だった時期だから、「土木」「建設」の作業員が大量に必要だった。それらの担い手はほぼ男性だったから、初期の江戸ってのは男ばかりの町だったことは確かなの。

その後も江戸時代を通じて男の方が多い状態は一貫して変わらなかったが、中期から幕末になるにつれてその差は縮小してくる。

江戸は武士の町で、その多くは参勤交代で国元から殿様についてきた単身赴任のサムライ。諸藩には国元に帰らず江戸に常住して江戸で所帯を持つ家臣もいたが、江戸と国元を往復する者の方が圧倒的に多かった。

町人は、江戸は火事も多かったし人口が増え続けて絶えず普請工事は行われていたから男手が多く流入する状態は続いたけれど、時代が下れば男女差は時代に小さくなる。
それはそうだろう、町人が結婚せず子孫を残さなかったら江戸の町は町として維持できなくなる。町人同士で結婚して、その子供たち同士がまた結婚して子を残す、という当たり前のサイクルがなかったら、外から労働力を持ってくるのも限度があるんで、これは今の日本の労働力問題とまったく同じことなんだ。

だから幕末に近づくほど、当たり前のこととして女性の比率は上がってくる。男100に女1とか、そんな極端な差がずっと続いたわけではないんで、普通に女性はたくさんいたし、井戸端会議が虚構だったなんてわけがございません。
江戸で生まれたから「江戸っ子」なんだけど、江戸っ子ってのは誰から生まれるの、女からしか生まれる道理はないんだからさ。

  • 質問者

    ynk********さん

    2017/9/2204:06:49

    ありがとうございました。
    参考になりました。

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gur********さん

2017/9/2023:46:26

井戸端会議は虚構ではありません。
理由は二つ。

〇女性は貴重だった。ただし時代による。
町人に限れば、初期は確かに男性が極端に多かったものの、幕末には男性10に対して女性8.5くらいになっていました。そして、ほとんどの時代劇は江戸中期以降が舞台です。

これは残っている資料の多さなどの関係もありますし、江戸初期を資料に忠実に描いてしまうと、観客が理解できない部分が多いという事情もあります。まあ、時代劇はあくまでドラマ、虚構で、デタラメの部分のほうが多いですけれども。

ただ、幕末でも女性のほうが少ないわけですから、そのぶん地位が高いといいますか、かかあ天下だったようで、二度三度結婚する女性も少なくありませんでした。そのためにあったのが「三行半(みくだりはん)」です。これは夫が妻にたたきつけるようなものではなく、逆に女性が夫に要求する、あるいは結婚前にもらっておくもので、妻が再婚しても元夫は文句はいいませんという意味がありました。

※町人に限ればと断ったのは、江戸には長期滞在の出張族が多かったからです。参勤交代の藩士たちです。彼らは全員が独身、もしくは妻子を国許に置いてきた独身同然の男たちです。



〇女房たちには時間がたっぷりあった。

時間があったというのは、家事をせずとも済んだからです。
現代人は洗濯機もない暮らしでは家事がたいへんだろうと思いがちですが、実は長屋にはおかず売りなどがやってきたり、女性が家事をせずに怠けていても不自由がなかったのです。
女性が貴重で女房は大切にされていたため、怠けても亭主は文句がいえなかったというオチです。

以上、二つの理由から長屋のおかみさんたちは結束が強く、またおしゃべりする時間もあったため、井戸端会議に花を咲かせることができました。



ただ、女性のほうが少ないため独身率が高かったのは確かです。具体的な数字は、いくつか資料をあたってみましたが、みつけられませんでした。現在の婚姻届にあたるものはありませんので、実際の数字を探すのは困難かもしれません。

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mar********さん

2017/9/1910:05:36

男女比が大きく異なっていたのは江戸中期までのことなので、必ずしも虚構とは言えません。
その時代までの男の成婚率は非常に低かったようですね。
比較的収入のある大店の奉公人ですら、自分の家を店の外に持って、結婚できるのは番頭だけで、丁稚を束ねる立場にある手代ですら結婚するのはまず無理でした。このため、50歳近くなってから結婚する人も珍しくなかったようです。時代劇に出てくるような、ほとんど収入もない裏長屋暮らしの男が結婚してるなんてことはまず考えられません。

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klm********さん

2017/9/1909:58:34

男性の生涯未婚率が23.4%、女性が14.1%と、言いますので
未婚が多くても、女郎や妾、芸者など、振り分けて
結婚のスタイルを持たない立場もあったようです。
また、井戸端会議は、水周り、トイレ、など
長屋の共同で使っているので、自然と会話の有るご近所談義に、
なって行ったのでしよう。

情報交換ですね。しかも、住人が
助け合いして、暮らして行くコミニユテイーでした。

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aja********さん

編集あり2017/9/1909:30:36

大規模な開発や火災復興に伴う再開発が続いていたため(特に江戸初期は圧倒的に)男が多く、女性の増加はかなり遅れています
「町民は半々」という状況になるのは、幕末ないし明治初期と考えられています(明治以前は正確な統計資料がない)

例えば、吉宗治世の享保年間だと(町奉行支配の)町人の男女比が2:1(29万:14.5万)
とかなので、どう高く見積もっても既婚者は男の半分…

集合住宅(長屋)が多く、井戸は共同で使い、生活リズムも現代ほど多様化していないので、井戸端会議のような光景は見られたでしょうね

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beg********さん

2017/9/1909:03:34

江戸はそもそも武家の都で、武士階層が地方より圧倒的に多い特情があります。
全国各地の大名が持つ江戸屋敷は、参勤交代の殿様を除くと殆ど単身赴任の武士達で歪な男女比率の背景となっています。
町民、つまり江戸っ子自体の男女比率は、やはり概ね半々です。

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