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戦国武将を辞めて商人になった人はいますか? どれくらいの人が転職したんですか...

hau********さん

2008/7/2501:06:47

戦国武将を辞めて商人になった人はいますか?
どれくらいの人が転職したんですか?
どんな商売をやったんですか?
その人たちは、商売うまくいったんですか?

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kei********さん

2008/7/2509:06:39

「鴻池新田」で有名な鴻池氏は
「われに七難八苦を与えたまえ」で有名な
山中鹿之助の子孫です。

鴻池氏は「造り酒屋」として創業し
日本で始めて「清酒」を販売し大もうけしました。
(祖rまでの「日本酒」は現在で言う「ドブロク(濁り酒)」でした。)
*余談になりますが品質が悪いもののことを「下らない」と言いますが
これは当時「清酒」が大阪から江戸への「下りもの」であったことから
江戸生産のものは関西からの「下りもの」ではない
「つまり品質が悪い」ということが由来しています。

その後鴻池氏は流通も担うようになり
「貿易商」として莫大な利益を上げるようになりました。

そして当時最も高利益を売ることができる「大名貸し」をはじめたのです。
幕府の政策は「大名の力を弱体化させる」ことが基本政策ですから
当時の大名はいずれも財政が困窮していたからです。

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メタスさん

2008/7/2515:55:05

六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が元和のはじめころ武士をすて伊勢国松坂で質屋と造り酒屋を開業。
三井高利は伊勢国松坂(現 三重県松阪市)で三井高俊の四男として生まれた。
江戸で釘抜三井家を創業した長兄の三井高次(三郎左衛門)に丁稚奉公し、番頭となる。
のちその商才を恐れた兄達に放逐され、松坂で金融業を営む。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E9%AB%98%E5%88%A9

住友氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%8F%8B%E5%AE%B6

(-o-)/

tpm********さん

2008/7/2511:25:44

織田信長の後期から、徳川家康の死までが、それまでの階級を越えて色々転職出来た唯一の時代(現代を除く)でした。
このため、薬屋の小西屋の息子が小西行長になったり、桶屋のせがれが福島正則となったりしました。

一方で逆もあります。
有名なのは、山中鹿之助の子もしくは孫が大阪の豪商・初代鴻池新右衛門となったというものです。
しかし、鹿之助には一人娘しかいないというのが定説なので真偽のほどは不明です。
ただ、鴻池家は仇敵毛利家には一切財政支援を行わなかったといいます。
鴻池は三和銀行を経て、UFJ銀行→三菱東京UFJ銀行と繋がっていきます。

他の例としては
・松坂屋(現・J.フロント リテイリング)
織田信長の小姓であった伊藤蘭丸祐道が、本能寺の変の後に武士を捨て商人になった。
その後、清洲城を廃して名古屋城を造った際に、名古屋に移り住み呉服小間物問屋を開業したのが松坂屋の始まり。
尚、伊藤祐道は大坂の陣に大坂方で参加して死亡したという。

・竹中工務店
織田信長家臣であった竹中藤兵衛正高が創業者。
普請奉行から神社仏閣の造営に転じて宮大工を指揮したが、明治になってゼネコンに転進した。

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