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『至急』イスラム科学の社会で、アラビア科学が発達した理由はなんですか??? ほ...

dra********さん

2008/7/2709:16:32

『至急』イスラム科学の社会で、アラビア科学が発達した理由はなんですか???

ほんの少しの知識でもいいので教えてください!!!

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sts********さん

編集あり2008/8/213:42:26

ほかの方が書かれているような学問に適した研究環境を提供されているということも理由にあるのですが、根本的考え方のしくみの問題もあります。

当時のキリスト教社会の場合、「神がきめたことを人が疑ってはいけない」という考え方がありました。キリスト教の経典で書かれていることを疑ったり、それと違うことを話すことは「異端」とみなされていて、そのために命を落とすことが多くありました。

科学とは「客観的根拠のある知識を探求する」ことですが、カトリック教会の権威は支配している社会では真理を探究する行動はしにくいです。今の近代科学の発展につながる「考え方のしくみ」ができるようになるためにはルネッサンスと宗教改革、つまり16世紀、17世紀まで待たないといけませんでした。

たとえば、「天動説・地動説」。
「天動説」はカトリック教会公認の世界観になっていてそれに疑いを挟むには「死」を覚悟しないといけない。ガリレイの地動説がカトリック教会に認められたのは1989年、わずか19年前です。そういう状況では科学的思考というものは発展しにくいです。

ルネッサンスと宗教改革を経て、はじめて「考え方のしくみ」をつくろうという動きがでて、イギリスのベーコンの経験論に基づく「帰納法」、デカルトの「すべてを疑え」という考え方=「方法論的懐疑」、そして演繹法という考えがでてきています。これは現在の論文系すべてに適用されています。これが16世紀のことです。

それでも神の支配はすごくて、だからこそ19世紀のニーチェは「神は死んだ」と考えることで新しい価値観を生み出そうとしたわけです。

現在でもダーウィンの進化論はカトリック教会では「仮説」にすぎず、公教育で教えるべきか否かの論争がアメリカであります。

逆にイスラームというのは「神を信じること」は必須ですが、盲従することは禁止です。盲従は理性や思想を働かせないことになり、神に反する行為になります。クルアーンのユーヌス章に「101. 言ってやるがいい。「天地の凡てのものを観察しなさい。」があります。

預言者ムハンマドは文盲であったため、神の教えはムハンマドや信徒たちの暗記による口伝でした。よくある話で伝承者による恣意的な内容の変更や伝承過程での混乱が問題となったときに第3代正統カリフのウスマーンがクルアーンの正典化を考えたわけです。これは7世紀のころです。

そのときに「その口伝が正しいか」を証明していく「考え方のしくみ」がつくられていきます。たとえば「その口伝は誰からどういう経緯で伝えられたか」など、今でいう警察の調査に近いやりかたですね。そうした「考え方のしくみ」を体系化してイスラーム神学やイスラーム法学につながります。

つまり科学的思考のための「理解すれば誰でも使えるツール」が7世紀にはたくさんできていて、そのツールさえもテストしてみて証明してみてから使うという方法を厳格に守っている。加えて誰かがだしてきた学説や研究成果も別の誰かが証明して承認することができるしくみ、今でいうところの論文の査読や研究を再現したり検証・評価できる環境というものが10世紀以前に備わっていたということです。

加えて「多様性」に関しては非常に寛大な宗教であるために、人間がきめた国境とか政治体制とかそういったものを超えて、今のインターネットによるワールドワイドな広がりに似た構造が現実社会にできていました。イスラームの理念に基づいて実現されつつある社会はアッバース朝がそれに近いといわれていて800年つづいています。そうした中で「まず相手の違いを理解し、認める」という思想から古代オリエント、ギリシャ、インドなどの学問も査読、証明、検証、評価で結果的にとりいれています。

アラビア科学が発達した理由、イスラームの教えによって「誰でも使えるツール」がすでに開発されていて、それによって査読、証明、検証、評価がしやすかったということになります。

イスラーム側の考え方のしくみの理解が日本ではあまりよく理解されていない部分ですが。
西洋では民間企業の個人的研究でツールが少ないし、非公開。
イスラームは大規模な教育研究機関があり、そこでツールも共有、公開されている。

どちらが客観的証拠を集めやすいか、わかりますね。

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sil********さん

2008/7/2804:54:44

ギリシア・ローマの学問は、イスラム社会に受け継がれていたから発展した。

これを十字軍で奪い取ったから、ヨーロッパでルネサンスが始まる。

アレクサンドリアの図書館とムーセイオンが破壊されたことによって,科学の発展は東進して,アラビアと中央アジアに移った。


8世紀後半のアッバース朝成立とともにはじまり、15世紀ころまでおこなわれたイスラム世界の科学的活動のことをいう。したがってイスラム科学ともよばれる。その発展の契機となったのは、ギリシャ(→ ギリシャ文化)の科学文献をアラビア語に翻訳する一連の運動だった。科学文献の多くはアラビア語で書かれたが、それをになった学者たちはアラブ人だけでなくイラン人やユダヤ人など多様であり、またイスラム教徒だけでなくイスラムの君主につかえたキリスト教徒など異教徒の活躍も無視することはできない。

アッバース朝以前からすでに独自の天文学(→天文学の「中世の天文学」)や医学(→医学の「アラビア医学」)の知識が伝承され、またギリシャ以外の地域、とくにインドからも科学的知識がもたらされていた。しかしバグダッドに都を建設したアッバース朝時代になってから、おもにギリシャ語の科学文献がアラビア語に翻訳されたことが、その後のイスラムの知的世界に大きな変化をもたらすことになった。12世紀半ばまで古代の知的遺産のほとんどを知ることのなかった西欧世界に対して、イスラム世界では10世紀までには、アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、ヒッポクラテス、ガレノス、プトレマイオスなどによる古代科学の主要な著作の大部分が、アラビア語で読める状況にあったのである。

このような、当時ほかに類をみない科学の発展がうながされた原因は、イスラム社会の豊かさにあったといえる。つまり、アラビア語という文化言語をもち、多くの人種を擁し、じゅうぶんに教養のある寛大な社会の存在である。そして宗教としてのイスラム教もまた科学の発展にとって障害となるものではなかった。

gdh********さん

編集あり2008/8/323:59:44

①イスラム教は、異教徒に対し、改宗を迫らず、イスラム法で定める、納税をすれば良く、この寛大さが、結果的に、異教徒の改宗、イスラム社会の拡大、アラビア科学の発達につながった
②イスラム教典のコーランは、アラビア語で書かれており、他訳禁止のため、イスラム社会ではアラビア語を覚える必要があり、結果的にアラビア科学の発達につながっていった
③外来のギリシャ・インドの非アラビア系の学問は、数学、医学、天文学、錬金術などの自然科学で、イスラム教徒の固有の学問の神学、法学と対立するものではなく、容易に受け入れられて発達した
④8世紀頃、アッバース朝のカリフが、学術の振興を行ない、9世紀初めギリシャ語文献が組織的にアラビア語に訳され、アラビア科学のなかに取り込まれた
⑤イスラム文明は、融合文明で、それまでに成立していた、ギリシャ、インド、イラン文明の良いとこ取りで始まり、内部でアラビア科学として、加速的に発展していった
⑥イスラム商人達が、広域交易を行い、有用な技術情報を、世界各地よりイスラム社会に集めてきて、イスラム文明、アラビア科学の発展に寄与した、製紙法、火薬、羅針盤、砂糖、木綿等
⑦数学はギリシャの幾何学、インドの数字、10進法、0の観念が合わさり、アラビア数字、代数、三角法が発展
⑧医学はギリシャ、インドから入り、外科が発達、「医学典範」はアラビア医学の集大成、17世紀までヨーロッパの医学部で使用
⑨天文暦は、雨の降らないアラビア特有の気候も合わさり、特に発達
⑩錬金術(化学)、酸アルカリの区別、化学反応式などが考え出され、今でも多数の薬品名が使われている
⑪広いイスラム社会を成立維持させるために、統治技術としてアラビア科学の知識も必要であった

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