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御徒町山手線などの駅名として残ってございますが御徒の方がたくさんお住みになら...

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ID非公開さん

2017/10/513:20:23

御徒町山手線などの駅名として残ってございますが御徒の方がたくさんお住みになられたところかしら?

その方々は今で言うでSPさんでしょうか?
やはり徳川家の御徒でしたの?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2017/10/722:20:24

江戸時代、江戸城・将軍の警衛を行う御家人である御徒:徒士が住んでいたことに由来する。

とされていますが、現在の御徒町辺りは、江戸時代は、秋田藩の上屋敷が下谷七軒町辺りにあり、この由来だとちょうど場所が重複する感じです。


徒衆と御徒町は、切り離して考えたほうが良いかもしれません。

徒衆:かちしゅうは、70俵5人扶持ですから、きちんとした御家人でした。
自らの騎乗は許されませんが、五人組の伍長職にはつける今でいう下士官扱いでした。

番役にありつければ、役料が付いたり番頭・添役(副長)・組頭などへの出世も不可能ではありませんでした。

役目上の必要で、5人程度の中間・郎党を家禄から雇うこともありました。

御家人は、足軽の場合と違い正規雇用でした。御家人は同心になる資格も併せ持っていました。旗本は与力資格です。

夫々、お上(将軍家や大名家)から長屋を拝領していました。

この長屋はだいたい人に貸して、家賃収入を得ていました。自分は役についた時には役宅、小普請入り(無役)の時には小さい長屋を別途借りて住まっていました。

小普請配置だと、小普請助役という公費への出費がありましたので、やや貧しくなります。

御家人は武士でのちの士族、足軽は士分は持てずのちの卒族です。


御家人は旧軍の伍長以上の下士官で、自衛隊の陸曹にあたり、世襲の常勤職員です。
足軽は旧軍の上等兵:一等卒以下の兵役の兵卒で、自衛隊では陸士で、今も当時も任期制職員(非正規雇用)です。

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end********さん

2017/10/518:20:24

御徒町(台東区東1~4丁目)は幕府の御徒衆の組屋敷があった所です。武家地なので町名はなく、古くからおかち町の名はありましたが、俗称でした。正式に町名としての御徒町ができたのは明治5年(1872)のことです。
御徒衆は将軍が外出する際の警戒にあたるのが主な任務で、先駆けして道路を安全なものにするなどの任務がありました。70俵5人扶持という軽い身分でしたが、それでも町方同心の30俵2人扶持よりは上でした。職務柄、日に焼けて色が黒いのが特徴だったようです。
お徒町色の白いは地借りなり (古川柳)
(『江戸東京地名辞典』)
ご参考まで。

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mek********さん

2017/10/513:41:10

御徒とは馬に乗ることを許されない下級武士のこと。給料だけでは食べていけないから内職をせざるを得ないぐらい貧しい。つまり名前だけの武士で、実質的に下級町民でもある。そういう人が集住していた下町ってことや。徳川家とは限らない。江戸には諸藩の藩邸もあったから。藩邸で働いていた使い走りみたいな労働者さ。

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