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吉田茂の南原繁に対する「曲学阿世の徒」という批判は 的を射たものなのでしょう...

c13********さん

2017/11/1920:54:23

吉田茂の南原繁に対する「曲学阿世の徒」という批判は
的を射たものなのでしょうか?

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mun********さん

2017/11/2614:34:25

南原繁は国民に責任を取る立場ではないから発言は自由ですが、吉田茂は総理大臣として国の未来を左右する講和問題に重大な責任があります。
当時は単独講和か全面講和か盛んに議論されていた時代でした。
学者ですから南原繁としては理想論を述べたのでしょう、それを社会党あたりが鬼の首でも取ったように持ち上げたのが間違いのもとで、吉田にはカチンときたのでしょう。
全面講和なんて今でもアメリカ対中・ロの対立で不可能でしょう。ましてや冷戦真っ最中の当時は不可能です。全面講和なんて言っていたら、今でも日本は占領下でしょう。その後の日本の発展を考えると、アメリカはじめ自由陣営諸国との単独講和は正解でした。
南原繁が学者だからといって微妙な政治問題に誤解を呼びかねない発言は慎重にすべきでした。そうした意味で吉田茂の南原繁に対する「曲学阿世の徒」という批判は、口は悪いが的を射たものなのです。

質問した人からのコメント

2017/11/26 16:02:52

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aji********さん

2017/11/2614:53:38

先年も保守系や「御用学者」と批判されることがある法学者でさえ、政府の新安保法制は憲法違反であるという見解を述べていましたよね。

自民党が招聘した法学者でさえ、政府案は憲法違反だと明言してしまいました。
9条改正派でも、法理として間違っていれば、間違っていると言うわけです。それくらい学者は独立性が保障されているわけです。

これと同じで、学者や法律家というのは原理原則を通していく「石頭」であることが求められるわけです。これは学者・法律家に求められる社会的な機能です。

あの右派ゴリゴリの橋下でさえ、自民の憲法草案を「憲法の体をなしていない」と批判しています。さすがに法律家として「国民を縛る憲法」なんて珍案を容認できなかったのでしょう。

munin_1012さんのご解説はまったくその通りで賛同しますが、一方で俯瞰して眺めると、社会へ指標を与える"東大の権威"としては原理論を唱えるのもまた必定なんですよ。

統治行為論というのがありますように、政治は現実に合わせて柔軟に行うことが求められ、また容認されているわけです。しかし、政治家から見れば「曲学阿世の徒」と見えるってだけの話で、さすがに吉田の世代の政治家は教養人ですから、その前提を踏まえた上での批判だと受け止めるべきです。

東大総長のスピーチの内容が新聞の紙面を賑わせていたような時代だってことも割り引いてください。それくらい影響力があったんですよ。東大には。

それに単独講和が正解だったってのは、最終的に自由主義陣営が勝ったから言えるわけですし、領土問題や歴史問題など単独講和によってとげが刺さったままの事案もありますから、最善ではなく最良を選んだって程度の意識も脳みそのどこかに入れておくほうが無難です。

2017/11/2604:15:58

そうは思わない。
南原は、米国に追随していては真の平和は得られないという考えから左翼っぽく見られたにすぎない。
吉田の批判は、南原の考えを理解していない。

現実を見ずにブームに乗っかるということは
まさにそういうことでしょうな

mek********さん

2017/11/1921:13:13

それは全面講和論をどう評価するかですね。

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