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浜口雄幸内閣について

ric********さん

2017/12/1610:51:00

浜口雄幸内閣について

1930年11月に東京駅で佐郷屋留雄に狙撃される
1931年に重要産業統制法を公布

狙撃されたあとって幣原喜重郎外相が首相臨時代理をしていましたよね、、、?
それで浜口雄幸さんは回復できず失脚と習いました。

では誰が重要産業統制法を公布したのですか?
幣原喜重郎さんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ous********さん

2017/12/1613:44:13

一般的に、法律の成立はある個人の大臣の意志と言うよりその内閣の決定でしょう。したがって1931年4月1日交付の「重要産業統制法」は浜口内閣の政策ということで、あえて言えば首相浜口が推進したのだろう。彼が刺される前から決定されていた事だろう。

これは金解禁の実施(1930年1月)と時を同じくしてはじまっており、そのために臨時産業審議会をつくり、不況対策として産業合理化(中身はカルテルによる各種統制や企業合併)を始めており、その一層の推進のためにこの法律は公布されたわけである。

なお関係する大臣は商工大臣俵孫一、大蔵大臣井上準之助あたりであるが首相の浜口が当然中心になったであろう。幣原は直接には関係してないだろうと思われる。

参考文献
中村隆英著、『昭和恐慌と経済政策』(講談社学術文庫)

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zez********さん

2017/12/1611:29:44

はい、浜口首相が狙撃された後に幣原外相が臨時代理を務め、重要産業統制法の施行は幣原首相代理の時期の出来事です。この首相代理を当時野党だった政友会の鳩山一郎(狙撃事件の原因となった統帥権干犯批判も鳩山の仕業です)らが激しく攻撃したことで療養中だった浜口首相が無理をして登院することになり、結果浜口の死期を早めることになりました。

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