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60年近く前、新宿や上野の駅近くの歩道で白い着物を来て、脚や腕が無く座って物...

sam********さん

2018/1/1222:05:47

60年近く前、新宿や上野の駅近くの歩道で白い着物を来て、脚や腕が無く座って物乞いをやっている人たちが居ました。子供心に、それが怖くて父や母に「あの人はどうして脚が無いの?

」と聞いたものです。多分昭和20年台の後半ではなかったでしょうか。複数でアコーディオンを弾いて居たのも見たことが記憶にあります。いつしか見なくなりましたが、いつごろまで居たのでしょうか。

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cor********さん

2018/1/1310:32:52

大日本帝国軍人として日中戦争や太平洋戦争に連れていかれて、敵の銃弾などにより負傷して、腕や足を失われた人たちで、傷痍軍人と呼ばれました。
戦後まもなくは、多くの兵士が戦争から帰ってきても、健康でも職業に就くことが難しい状況で、腕や足を失った元兵士には厳しい時代でした。
GHQによる占領時代は、恩給(軍人年金)の支給が停止されましたので、傷痍軍人の家族の生活は困窮するという悲惨な時代でした。
戦争に駆り出されて大きな傷を負ったのは若者達でしたが、戦後数十年たつと、傷痍軍人は高齢化して街頭に立つのが困難になったことと、国や地方自治体からの補助金もあって自然消滅しました。
時期的には戦後が終わって、バブル景気になった昭和40年代にはもう姿を見なくなったと思います。
財団法人の日本傷痍軍人会は2013年に会員の高齢化によって創立60周年で解散されました。

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eco********さん

2018/1/1309:15:08

地元で秋に放生会というお祭りがあっていますが、神社の前でそのような方々が沢山座っていました。記憶しているかぎり昭和50年代くらいまでおられたように思います。たしかにアコーディオンひいている人もいました。

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tuk********さん

2018/1/1304:16:48

昭和の時代は、40年代、50年代といましたね。

戦争による被害だけではなく、工場や工事現場で怪我をした方々も相当に混ざっていたようですが。
何時まで街頭にいたのかは記憶が曖昧です。

10年位前まで、東京の秋葉原で義足を外した年配の方が道端に座っている姿を何度か見ましたが。(服装は普段着)
そのような事は、全国でもそれなりあったのでは?

mt7********さん

2018/1/1303:46:14

現在の
独立行政法人国立病院機構(全国143の医療施設)は
終戦当時には
陸軍病院と海軍病院と傷痍軍人療養所でした

腕や脚を失った傷痍軍人の方々が仕事に就ける訳もなく、
生涯を国立病院機構で過ごされました

病院から白衣のまま外出して
人通りが多い駅前や地元の祭りや縁日に来て
通行人から金銭を貰い小遣いとされたそうです

新宿だと
旧・国立東京第二病院

現・国立国際医療研究センター

昭和40年代には
日本も豊かになり義足義手の発達に伴い物乞いの方は激減
自民党の有力な集票団体として寄付金で取り込まれます
『日本傷痍軍人会』

現在も傷痍軍人の方はまだいらっしゃいますが
2013年に高齢化と会員減少により解散

nic********さん

2018/1/1222:28:27

昭和50年代前半にはまだ少数いましたね。

asp********さん

2018/1/1222:26:06

生まれも育ちも、新宿で、今は違う場所で、生活している物ですが、今から、20年位前に、そのような方を観たことがあります。終戦記念日頃になると、白装束に、片手が、まるで、フック船長みたいになって、座っており、その横でアコーディオンが悲しげになっていたのを覚えてます。
今は居るかはごめんなさい不明ですが。

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