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日本の弥生時代は一夫多妻制であったとの記述が、 魏志倭人伝にあります。

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nak********さん

2018/1/1400:44:53

日本の弥生時代は一夫多妻制であったとの記述が、
魏志倭人伝にあります。

すなわち、
「身分の高い人は4~5人、一般身分の人でも
2~3人の妻を持つものがいる」

とすると、出生確率は男女同じ(50%ずつ)なので、
一夫多妻制だとすると、あふれる男性がでることになると
思います。

(質問)当時は男女の結婚の人数差を
どうやって、人数調整していたのでしょうか。

<参考>
なお弥生時代とは、紀元前300年頃から
紀元後300年頃まで、この間の約600年が通説です。

紀元前300年頃は環濠集落ができ、吉野ヶ里遺跡が現役のころ、
紀元後57年には、倭の奴国王が後漢(中国)に朝貢し、
光武帝から漢委奴国王印を印綬されます。
紀元後300年頃というと邪馬台国の女王、台与が下限。

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ベストアンサーに選ばれた回答

sss********さん

2018/1/1401:08:37

一夫多妻制と言っても、実際に複数の妻を持てるのは身分の高い者か一般身分でも一定の安定した富を持った集落の長などに限られていたと思われます。
また、女も夫が気に入らなければ別の男に変えることが出来るので男にもチャンスは巡ってくるでしょう。
それに、一般的に女より男の方が死亡率が高く適齢期には男が減ってくるので男が結婚できないということはなかったでしょう。

質問した人からのコメント

2018/1/20 00:20:20

当時は再婚も多かったし、若年死亡率はかなり高いため、
独身男性があぶれていた、とは限らないかもしれませんね。

ベストアンサー以外の回答

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yos********さん

2018/1/1812:01:53

当時は婿入り婚で男性が婿入り先に通うのが通例です。氏を持って婿入りするので身分が高ければ複数の妻の元に通うことになり、婿入先では労働力になるので働き者も複数の妻の元に通うことになります。同時に、一人の婿では耕しきれない耕作地を持っていれば複数の婿が必要になるだけのことです。

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ama********さん

2018/1/1414:53:39

男は病気で死にやすい。戦争でも死ぬからね

chi********さん

2018/1/1408:10:16

記録ないので分かりません。
多くの回教国では4人までまたそれ以上です。
貧乏人には当たらず、男同士、近親相姦、獣姦が多いです。
日本で男色多いのと関係あるかも知れません。

mek********さん

2018/1/1401:42:50

出生率は同じでも成人する確率が同じとは限らない。男性があぶれるんじゃなく女性があぶれるから一夫多妻制になったと考えられる。アフリカの部族社会は、今でもそう。つまり日本も昔はそうだったってだけの話。

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