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お彼岸に墓参りに行こうと思うのですが、お経は何を読めば、良いのでしょうか? ...

shi********さん

2018/3/908:05:29

お彼岸に墓参りに行こうと思うのですが、お経は何を読めば、良いのでしょうか?
宗派は真言宗です。
宜しくお願い致します。

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youichi5959さん

2018/3/1412:26:23

>お彼岸に墓参りに行こうと思うのですが、お経は何を読めば、
>良いのでしょうか?

とありますから、彼岸には墓の石の下へ先祖の魂なるものが集まって
いると言われているから墓参に行くべきだと思われるのでしょうが

全くもって迷信だとお釈迦さまも、浄土真宗を開かれた親鸞聖人も
お釈迦さまの教えを守られ、同じことを仰っています。



『歎異抄をひらく』より抜粋したものを書きます。お読み下さい。


浄土真宗を開顕なされた親鸞聖人は、

「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても
申したることいまだ候わず」(歎異抄第五章)
意訳
親鸞は、亡き父母(先祖)の追善供養のために、念仏一遍、
いまだかって称えたことがない。


葬式や年忌法要などの儀式が、死人を幸せにするという考えは、
世の常識になっているようです。

インドでも、釈迦の弟子が、「死人のまわりで有難い経文を唱えると
善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか」と尋ねています。

釈尊は、黙って小石を拾い近くの池に投げられ、沈んでいった石を
指さし、「あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、
と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか」 と反問されています。

石は自身の重さで沈んでいったのであり、そんなことで石が浮かぶ
はずがなかろう。

人は自身の行為(業力)によって死後の報いが定まるのだから、他人が
どんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない、と説かれて
います。

読経で死者が救われるという考えは、本来、仏教になかったのです。
釈迦八十年の生涯、教えを説かれたのは生きた人間であり、常に苦悩の
心田を耕す教法だったのです。
死者のための葬式や仏事を執行されたことは一度もなかったと言われて
います。

むしろ、そのような世俗的、形式的な儀礼を避けて、真の転迷開悟を
教示されたのが仏教でありました。

今日、それが、仏教徒を自認している人で も、葬式や法事・読経などの
儀式が、死人を幸せにすることだと当然視しているのです。
その迷信は金剛のごとしと言えましょう。

そんな渦中、
「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」
の告白は、まさに青天の霹靂であるにちがいありません。

ここで「孝養」とは「追善供養」であり、死んだ人を幸福にすると信じら
れている行為のことであります。

四歳で父を失い、八歳にして母を亡くされた聖人の、両親を憶う切なさは、
いかばかりであっただろうか。
亡き父母は、最も忘れえぬ聖人の幻影だったでありましょう。
そんな聖人が、
「父母の追善供養のために念仏を称えたことなど、一度もない」と
言われる。
無論これは 、念仏だけのことではありません。亡き人を幸せにしようと
する読経や儀式、すべての仏事を「念仏」で総称されてのことです。

言い換えれば、
「親鸞は亡き父母を喜ばせるために、念仏を称えたり読経や法要、
その他一切の仏事をしたことは、一度もない」の断言だから驚くのです。

「死者の一番のご馳走は読経だ」などと、平然と先祖供養を勧めている
僧侶や、当然のようにそれを容認している世人には、如何にも不可思議
な聖人の発言であり、“なんと非情な”と冷たく感ずる人もありましょう。

だが、誰よりも父母を慕われた聖人が、衝撃的な告白で根深い大衆の
迷妄を打破し、真の追善供養のあり方を開示されているのが、この章
なのです。

かつてした ことがないと聖人が言われる、葬式や法事を本分のように
心得ている僧侶らを嘆く、覚如上人(聖人の曽孫)の教誡を挙げておきま
しょう。

『某(それがし/親鸞)閉眼せば賀茂河に入れて魚に与うべし」と云々。
これすなわち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由をあら
わしまします故なり。これをもって思うに、いよいよ喪葬を一大事と
すべきにあらず。もっとも停止すべし」
意訳
「私が死ねば、屍を賀茂河に捨てて、魚に食べさせよ」と、しばしば
親鸞聖人が仰ったのは、なぜか。それはセミの抜け殻のような肉体の
後始末よりも、永遠の魂の解決(信心決定)こそが、最も急がなければ
ならないことを教導されたものであります。
されば葬式などを大事とすべきではあるまい。やめるべきであろう。

この聖人の教えを破った我が子・存覚を、覚如上人は断固、感動され
ているので す。

存覚は『報恩記』などに、「父母の死後は、追善供養を根本とする仏事
を大切にして、親の恩に報いるつとめをはたすべし」「追善のつとめに
は、念仏第一なり」とまで言った。

先祖の追善供養を徹底排除された親鸞聖人の教えを、明らかに破壊する
ものであり、父上の覚如上人から破門されて当然であります。

仏教界はその意味で、今や病膏肓に入ると言えましょう。
今にして聖人のご金言を噛みしめなければ、残るは死骸の仏教のみとな
るでありましょう。

では葬儀や法要・墓参は全く無意味なのかといえば、仏法を聞いた人に
は仏恩報謝・法味愛楽、仏法を知らぬ人には仏縁ともなるでしよう。

毎年、多くの交通事故死が報じられいます。「昨年は何千人交通事故死」
ときいてもすこしもおどろかない。ただ漫然と数字を見るだけで、「死」
については、まったくマヒしていないだろうか。

忙しい忙しいと朝夕欲に振り回され、自己を凝視することがない。
そんなある日、葬儀に参列したり、墓前にぬかずく時、人生を見つめる
得難い機会になることがあります。

「オレも一度は死なねばならぬ。酔生夢死ではなかろうか」
否応なしに冷厳な真実を見せつけられ、厳粛な思いにさせられます。
願わくは、単なるしきたりに終わらせず、自己の後生の一大事を感得し、
解脱を求める機縁としたいものであります。

参照:『歎異抄をひらく』(第2部解説11)より。

誤字あればお許し下さい。

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2018/3/1210:41:01

亡くなった方の成仏を祈るなら光明真言だけで大丈夫です。

2018/3/1017:57:50

お墓参りのお経

1、開経偈
2、懺悔文
3、三帰
4、三竟
5、十善戒
6、発菩提心真言
7、三摩耶戒真言
8、般若心経
9、舎利礼文
10、光明真言
11、大師宝号
12、回向文

です。

1、
無上甚深微妙法 [むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇 [ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持 [がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義 [がんげにょらい しんじつぎ]

2、
我昔所造諸悪業 [がしゃくしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪瞋痴 [かいゆむし とんじんち]
従身語意之所生 [じゅうしんごい ししょしょう]
一切我今皆懺悔 [いっさいがこん かいさんげ]
3、
弟子某甲[でしむこう]
盡未来際[じんみらいさい]
帰依仏[きえぶつ]
帰依法[きえほう]
帰依僧[きえそう]

4、
弟子某甲 [でしむこう]
盡未来際 [じんみらいさい]
帰依仏竟 [きえぶっきょう]
帰依法竟 [きえほうきょう]
帰依僧竟 [きえそうきょう]

5、
弟子某甲 [でしむこう]
盡未来際 [じんみらいさい]
不殺生 [ふせっしょう]
不偸盗 [ふちゅうとう]
不邪淫 [ふじゃいん]
不妄語 [ふもうご]
不綺語 [ふきご]
不両舌 [ふりょうぜつ]
不悪口 [ふあっく]
不慳貪 [ふけんどん]
不瞋恚 [ふしんに]
不邪見 [ふじゃけん]

6、
おん ぼうじ しっだ ぼだ はだ やみ

7、
おん さんまや さとばん

8、
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。 舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨 不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。 無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。 菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。
無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不虚故。説般若波羅蜜多咒即説咒曰
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶
般若心經

9、
一心頂礼 万徳円満 釈迦如来
[いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃかにょらい]
真身舎利 本地法身 法界塔婆
[しんじんしゃり ほんじほっしん ほうかいとば]
我等礼敬 為我現身 入我我入
[がとうらいきょう いがけんしん にゅうががにゅう]
佛加持故 我証菩提 以佛神力
[ぶっかじこ がしょうぼだい いぶつじんりき]
利益衆生 発菩提心 修菩薩行
[りやくしゅじょう ほうぼだいしん しゅうぼさつぎょう]
同入円寂 平等大智 今将頂礼
[どうにゅうえんじゃく びょうどうだいちこんじょうちょうらい]

10、
唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉
[おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら]
麼抳 鉢納麼 入縛攞 鉢囉韈哆耶 吽
[まに はんどま じんばら はらばりたや うん]

11、
南無大師遍照金剛

12、
願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]

or

願わくば この功徳をもって 遍く一切に及ぼし
ねが くどく あまね いっさい およ
我らと 衆生と 皆共に 仏道を成ぜんことを
われ しゅじょう みなとも ぶつどう じょう

般若心経の前にこれを唱えても構いません。

・般若理趣経 百字偈

(13、)
菩薩勝慧者 乃至盡生死 [ほさしょうけいしゃ だいししんせいし]
恆作衆生利 而不趣涅槃 [こうさくしゅせいり じふしゅでっぱん]
般若及方便 智度悉加持 [ふぁんじゃきゅうほうべん じとしっかち]
諸法及諸有 一切皆淸淨 [しょほうきゅうしょゆう いっせいかいせいせい]
慾等調世閒 令得淨除故 [よくとうちょうせいかん れいとくせいちょうこ]
有頂及惡趣 調伏盡諸有 [ゆうていきゅうあくしゅ ちょうふくしんしょゆう]
如蓮體本染 不爲垢所染 [じょれんていほんぜん ふいこそぜん]
諸慾性亦然 不染利群生 [しょよくせいえきぜん ふぜんりきんせい]
大慾得淸淨 大安樂富饒 [たいよくとくせいせい だいあんらくふじょう]
三界得自在 能作堅固利 [さんかいとくしさい のうさけんこうり]

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ken********さん

2018/3/914:48:27

南無阿彌陀仏と唱えればよいという回答がありましたが
真言宗なので南無大師遍照金剛ですね(^^;)
南無阿彌陀仏は浄土真宗です・・・。

一番なじみがあるのは般若心経ですが、一般の方はなか
なか難しいのでは。普段から朝夕にお仏壇の前でお勤め
等していれば般若心経も心得ていると思いますのでそれ
が良いのでは。

でなければ光明真言と南無大師遍照金剛ですかね。

g15********さん

2018/3/913:06:05

真言宗なら理趣経を唱えますが結構長く時間もかかりますので般若心経を唱えればいいと思います。般若心経は浄土真宗と日蓮宗以外の宗派であれば必ず唱えるお経です。真言宗であれば最後に「南無大師遍照金剛」を数回唱えます。

pot********さん

2018/3/910:00:28

真言宗に限らずお経はたくさんあります。
真言宗でも、一番一般的で馴染みがあるのはやはり般若心経でしょう。
法華経以外の仏教では共通だと思います。

両親は般若心経を暗記していて唱えていましたが、私はなかなか覚えられません。
ですが個人的にはお経も良いけれど、南無阿彌陀仏と「いつも見守っていただいてありがとうございます」という気持ちを伝えれば十文だと思っています。

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