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日本のお城の天守の定義とは何ですか?

ele********さん

2018/5/622:59:48

日本のお城の天守の定義とは何ですか?

私の解釈は、どんな櫓でも在城者が天守と言えば天守。
御三階櫓など当時は天守と呼ばれていなかったが、事実上の天守ならば天守だと思っています。
特に後者がそうでなければ、現存12天守の弘前城や丸亀城の説明できないと思います。

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edo********さん

2018/5/623:09:31

天守も厳密には「天守櫓」と言い、最大の櫓を天守と言ったのです。

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ベストアンサー以外の回答

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2018/5/1216:01:07

答えは簡単です。象徴として位置付けられたものか否か、です。
天守というから、歴史的な「天守」公称例を引き合いに議論になるのであって、この場合は単に「象徴」というべきかと思います。たとえば秋田の久保田城では平屋建ての「御出書院」が象徴として見られていたのですし、小松城では、大きな天守台の上に数寄屋造り二重三階の建築を建てて「本丸御櫓」と称して象徴とされていました。江戸城では天守焼失後は富士見三階櫓が象徴となっていますし、それ以前の太田道灌の江戸城では静勝軒という三階楼が象徴的に伝えられています。門がそのポジションになっていた場合もあり、対馬の厳原城は大手櫓門や鹿児島城の御楼門が象徴的建築となっていました。
このように日本の城の象徴的建築は、実に天守と呼ばれる楼閣建築や櫓に限らず、殿舎から門まで多岐に亘ることがわかると思います。このようなことから、日本の城において象徴的なものを「天守」でくくること自体が実は間違っていると認識できるのではないかと思います。

jna********さん

2018/5/819:15:35

愛媛県の今治城の場合、天守が丹波亀山城に移築された後、現在の模擬天守がある位置にある櫓が天守の代用だったけど、天守とは呼ばれていない。

愛媛県の今治城の場合、天守が丹波亀山城に移築された後、現在の模擬天守がある位置にある櫓が天守の代用だったけど、天守...

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ano********さん

2018/5/718:17:00

さあ?


日本城郭協会に問い合わせてみたら?

yak********さん

2018/5/716:57:55

天守の定義は、二重以上で原則として本丸に築かれる櫓、というものだろうと思います。ごく希に天守が本丸以外の曲輪に建てられた例もありますが(徳島城・西尾城など)、非常に少ないので例外としてよいでしょう。

ただ、そうなると本丸の二重以上の櫓は全て天守ということになってしまいますが、実際にはそうではないので、それ以上の細かいことについては、質問者さんの言葉を借りれば、在城者が「天守」とすれば天守ですし、「天守でない」とすればそれは天守ではありません。事実、例えば盛岡城のシンボル的建物は、当初「御三階櫓」と称されていましたが、江戸後期になって「天守」に改称されました。従って、

二重以上で原則として本丸に築かれる櫓のうち、在城者が「天守」とした建造物

が天守のより厳密な定義だろうと思います。

あと御三階櫓の場合は、本丸以外の曲輪に建てられることが多いように思います。ただ前述の盛岡城のように本丸に御三階櫓がある例もあって絶対ではないので、やはり最終的には在城者がどうするかによるんでしょう。

中には前述の西尾城のように、本丸には三重櫓を建て、二の丸に三重の天守を建てるというわけの分からない城もありますし、天守の定義といっても、ある程度曖昧だったんでしょうね。

2018/5/708:48:27

それだと熊本城は宇土櫓を含めて3つの天守となりますよ。

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