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出家(しゅっけ、巴: pabbajja、梵: pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正し...

hir********さん

2018/5/2808:11:58

出家(しゅっけ、巴: pabbajja、梵: pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、

家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。(ウィキペディア)

世俗をはなれず、家庭を守り、いいお父さん僧侶、人間らしく煩悩の塊ですよね。現代は三宝は崩れ、帰依は叶わぬ時代となりました。セレモニーの下職さん、院号、塔婆の営業マン、墓地の管理責任者ですかね

下職,pravrajyaa,世俗,pabbajja,プラヴラジャー,落飾,カースト

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com********さん

2018/5/2817:55:11

●出家
=pravrajyā
=プラヴラジャー
=行く

釈尊の覚りのことを「降魔成道」といいます。降魔とは、煩悩(執着)から離れることであり、成仏とは目覚めた者(仏陀)に成ることです。覚ることは仏教の目的ですが、それは、執着から離れた瞬間に起こると説かれていますので、まずは無執着の道を「行く」ことが必要です。この道を行くことをプラヴラジャといい、中国では出家と訳しました。在家も道を行くことは同じですが、出家者とは、そのことに一生をかけた者のことです。

私たちは、自分のもの・自分という存在に執着しています。だから、「これは自分のものではない」「これは自分ではない」という瞑想をすることによって、執着から離れようとしました。さらにインドでは、アートマンという個の原理・個の実体・個の主宰が有ると信じられていましたから、「これはアートマンではない」という瞑想も行われました。

しかし、自分が建てた家は自分のものだと思うし、自分の育てた家畜は自分のものだと思います。お金で買ったものを他者のものだとは思わないでしょう。自分の家族、自分の田畑、自分の物品など自分のものだという執着は、他の者に譲るとか売るなどの行為をしなければ離れることは困難です。そのような「自分のもの」から物理的に離れるのが出家の一つの目的です。

また、インドにはカーストという身分制度があります。その制度から離れるのも出家の目的です。上位カーストも下位カーストも仏教教団に入れば、問われません。仏教教団に入った順に序列があるだけです。日本には、カーストがありませんからピンときにくいのですが、カーストを捨てるということは一切の職業から離れることなので、出家者は一切の仕事はできません。カーストから離れることによって、身分という執着、職業という執着からも離れました。

本格的に仏道を行く者を出家というのですから、日本の出家は別物でしょう。出家者には、戒律を守ることを誓いますが、日本の多くの僧侶は、在家の戒である五戒でさえも守れていません。僧侶を職業としているのでは、道を行く人とはいえません。

質問した人からのコメント

2018/5/29 22:59:16

回答ありがとうございます!

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hou********さん

2018/5/2813:35:48

出家者も世俗と全く接触がないわけではありませんが、世俗に染まらぬよう欲をコントロールすることを修行によって身につけるのです。煩悩が完全になくなることはありませんが、常に心を調えておくことが大切です。

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