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西郷が韓国に使節として行こうとしたのは(遣韓)、実際には死にに行く、というか...

fly********さん

2018/6/414:33:04

西郷が韓国に使節として行こうとしたのは(遣韓)、実際には死にに行く、というか、自分が殺されることによって、征韓の大義名分を作るためだった、という説は当たっていますか?

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cel********さん

2018/6/416:36:38

はい。

っていうか、西郷隆盛は「道義外交に基く平和的な使節」として自らが使節になろうとしたのだ、という毛利敏彦の主張は、ネットなどではいまだに支持者がいるようですが、いわゆる「トンデモ」としての扱いが一般的だと思いますよ。

西郷隆盛の書簡から引用します。

まず、板垣退助宛明治六年八月十四日付け書簡からの引用です。

『是非此処を以戦に持込不申候ては、迚も出来候丈けに無御座候付、此温順の論を以はめ込候へば、必可戦機会を引起し可申候付、只此一挙に先立、死なせ候ては不便抔と、若哉姑息の心を御起し被下候ては、何も相叶不申候間、只前後の差別あるのみに御座候間』(以下略)

大意「ここで戦に持ち込まなかったら、とても出来そうにないから、ソフト路線で“はめ込めば”必ず戦争の機会を引き起こせるだろうから、この挙に先立って(自分を)死なせてはかわいそうだと、姑息な事を考えてしまうと、何も出来なくなる、(死ぬのは)前か後かの違いしかない」

(↓の大西郷全集第二巻の七五一頁で見られます)
https://archive.org/details/daisaigzensh02saig


板垣退助宛明治六年八月十七日付け書簡からの引用です。

「戦は二段に相成居申候。只今の行掛りにても、公法上より押詰候へば、可討の道理は可有之事に候へ共、是は全言訳の有之迄にて、天下の人は更に存知無之候へば、今日に至り候ては、全戦の意を不持候て、隣交を薄する儀を責、且是迄の不遜を相正し、往先隣交を厚する厚意を被示候賦を以、使節被差向候へば、必彼が軽蔑の振舞相顕候のみならず、使節を暴殺に及候儀は、決て相違無之事候間、其節は天下の人、皆挙て可討の罪を知り可申候間」

大意「戦いは、二段階になる。今の状況でも国際法上は朝鮮を討つ道理はあるが、世間の人はそれを知らないから、隣国としての付き合いを軽視する事を責めて、これから仲良くしようという使節を送れば、きっと朝鮮はそれを軽蔑した振る舞いをするだろうし、使節を殺すのも間違いないあろうから、そうすれば世間の人も朝鮮を討つべきその罪を知るだろう。」、

「内乱を冀ふ心を外に移して、国を興すの遠略は勿論、旧政府の機会を失し無事を計て、終に天下を失ふ所以の確証を取て論じ候処」

大意:「内乱を望んでいる心を外に向けて、国を興す戦略は勿論、徳川幕府が機会を失して事なかれ主義の対応をした為に、ついに天下を失った理由を証拠として論じてきた」

(既にご紹介した大西郷全集第二巻の七五四~七五五頁で見られます)


元薩摩藩士別府晋介宛明治六年九月十二日付書簡から引用します。

『先日は北村参候て是非列行呉候様承候付いまだ発表に不相成候故、其節に至候はば、都合いたし可申旨返答いたし置申候。土州人も一人は死なせ置候はば跡が可宜と相考居申候。此節は第一憤発の種蒔に御座候故、跡の為に相成候はんと相考居申候。』

大意『先日、(別府晋介とともに朝鮮の内情視察に送り込まれた、元土佐藩の)北村(重頼)がやってきて、是非使節に加えてくれ、と言うので、その時期が来たら取り計らってやろう、と返事をした。土佐の人間も一人は死なせておいた方が後々良いだろう、と考えている。今は、憤激する種を蒔く時期なのだから、後の為に役立つだろう、と考えている。』

(これも、大西郷全集第二巻の七七一頁で見られます。)

このように西郷隆盛自身が「朝鮮派兵の大義名分を作る為に使者を送る(自分が使者になる)」と言っていました。それも、西南戦争で西郷に最後まで従い、西郷が介錯を任せたほど近い関係にあった別府晋介に対しても…

他にも、例えば、「維新史の片鱗」(有馬純雄著・日本警察新聞社・1921年)のP268~269に…

(↓)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964354/153

~~

五、征韓論に就て西郷の説明

若し西郷先生の主張通りに成って愈々海外に兵を出すと云うことに成れば文官側としては伊地知さんと私とが文官側で随行することと定められて居た。
「お前は占領した地方地方の事を捌いて行く役に為るのぢや」
と先生は云って居られた、多分民政官見た様なもので有ったろう、
私たちは右の内命を受けてからは、毎日毎日公務の暇暇には満鮮の地図を広げ、地理の研究に没頭して居たが、(以下略)

~~

と、西郷隆盛から「占領した後に民政をお前がやれ」といわれたと書いてある、元薩摩藩士の回顧録とかもあり、「西郷の意図が、派兵の大義名分を作る事にあった」と理解している同時代の人間の発言の史料はたくさんありますが、何と言っても西郷本人がそう書簡に書いていた、というのが一番重要な根拠です。

質問した人からのコメント

2018/6/4 17:14:48

回答ありがとうございます!

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