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江戸時代の足軽という人たちは50石とか100石の士分とは違いますよね? 100石取り...

seo********さん

2018/7/1418:59:36

江戸時代の足軽という人たちは50石とか100石の士分とは違いますよね?
100石取りの士分に仕える中間とかの下人でもないですよね?
普段は百姓しながら侍奉公もする人達ですか?

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2018/7/1420:21:57

江戸時代の足軽は、幕府の機構では将軍に御目見できる者の以下の御譜代席・御徒・御譜代準席、各組(各部署)に所属する与力・同心で、与力・御徒・同心は御抱席と言って一代限りの雇用でした。与力は御切米130俵から200俵前後または80石を受け、御徒は平均70俵5人扶持、同心は15俵2人扶持から30俵2人扶持を受けているのが平均でした。

藩の足軽の中には苗字の公称・両刀の帯刀・羽織と袴の着用を許されていた苗字付と言われる士分扱いの上級足軽と、無苗と言われる庶民から採用した者や、代々足軽を勤めていても、苗字の公称・両刀の帯刀・羽織と袴の着用を許されず、小刀一本のみの帯刀を許されていた下級足軽がいました。藩の足軽は5両2人扶持・6石2人扶持・5石3人扶持などの給与者が多く、なかには3両1人扶持と言う者もいました。

幕府と藩には城下町居住の足軽と農村に住んでいた足軽がいましたが、農村に住んでいた足軽の中には広大な田畑山林を所有し中の上程度の農民で、村では一目置かれていた富裕者がいました。農村に住んでいた足軽は屯田的な常備兵力で、一朝時には城や陣屋にかけつけ、出動体制を整えていました。

質問した人からのコメント

2018/7/18 19:33:49

皆さまありがとうございました。

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2018/7/1617:18:18

江戸時代の武士は軍事集団。
簡便に現代風に読み直せば、

足軽は兵隊、

御家人を下士官、士分を尉官以上の士官・幹部と読み直して大きな面倒はない。

現代でも、自衛隊など兵士は期限付きの採用。
正規雇用は、下士官以上。
尉官以上になるのには、士官学校相当の基礎資格が必要。
階級的には、こう見て大きな違和感はない。

仕事としては、番役・奉行所などでの中間小者として雇われた人たちを指す。

士分者に仕える中間・小者は、主家或いは役所に雇われる足軽とは区別される。
ただし、役目によっては、役職に就いた人が自身の家から中間小者を引き連れて役目に付いた。
元が軍隊組織だから、○○番役に就役する時、事務所に侍一人が出頭すればそれで済むものではなかった。
家禄に従って、家臣をそろえる義務を持っていた。

n48********さん

2018/7/1506:37:48

江戸時代に南町奉行をなさっておられた根岸鎮衛さんがまとめた「耳袋」という作品があって、その中に当時の身分のことが書かれていましたが、足軽はだいたい同心と同じくらいだったそうです。
同心の下で現場捜査などの仕事をしていた「めあかし」とか「おかっぴき」という人々がいて、この人たちはいわゆる穢多とか非人と呼ばれていた被差別部落の出身者で犯罪者あがりの人間が多かったとも書いてありました。
白土三平先生の「カムイ伝」という作品も被差別部落の問題を取り上げてテーマにしていましたけど、主人公のカムイたちは非人部落と呼ばれる部落に住んでいて、警察官みたいな仕事をしていましたよね。
おそらく「めあかし」とか「おかっぴき」みたいなことをやっていて、庶民からは嫌われていたのだろうと思いました。

わっかさん

2018/7/1419:09:55

例えば、江戸幕府では、お馴染みの同心は、足軽と同じ身分です。いわゆる軽輩と呼ばれる下級役人を構成しており、大抵は一代限りの身分ですが、実質的には相続が認められていました。
中には半ば帰農して郷士となっている足軽もおります。

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