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銀座は、丁銀の吹き替えで莫大な収益があったのですか。 金座、銀座、銭座と言...

dyw********さん

2018/7/1809:05:33

銀座は、丁銀の吹き替えで莫大な収益があったのですか。

金座、銀座、銭座と言うのがあって、それぞれ小判や丁銀の吹き替えを行ったようです。

銀座の場合は、あらな丁銀を発行する際の手数料収入が莫大なものとなったのですか。
現行貨幣の手直し(修理)などでも手数料を稼いでいたと思いますが、吹き替えが莫大な収益をもたらしたのですか。
後藤家が儲けていたのですか?

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pla********さん

2018/7/1821:07:15

徳川家康は慶長五年(1600)伏見に銀貨鋳造所を設けましたが、翌年五月、大津代官の末吉勘兵衛の意見を容れて、銀座と言う名称に改め、また銀貨の品位を統一することにしました。勘兵衛を銀座頭役とし、後藤庄右衛門とふたりで共同管理をさせ、大黒作兵衛常是(つねなお)を丁銀と豆板銀などの銀貨製造担当としました。慶長十一年(1606)駿府にも銀座役所が設けられましたが、慶長十七年にこれを江戸の新両替町(現在の東銀座)に移して機構を整備した際、銀座役所は銀地金の買い入れや検査、引換え事務を分担し、常是役所は銀貨の製造・検印・包装(常是包=じょうぜづつみ)の実務を分担することになり、大黒作兵衛常是の子孫が世襲しました。江戸時代の丁銀の多くに大黒天像・寳・常是の極印が打刻されているのは、こうした経緯からです。

改鋳(吹き替え)については、寛文(1661~1673)の頃から金座から伺いが幕府勘定所に提出されていました。金座・銀座と言うのは一種の請負制で、金座の収入は分一(ぶいち)と言って、製造金額1000両に付き10両を後藤家が収入とし、14両2分を金地金購入・製造経費・吹屋(製造工場)の経費にし、さらに製造金額の中から金座冥加金、つまりリベートを幕府に納めることになっていました。銀座の方も歩一銀は銀100貫目に付き3貫目、そして一年に白銀1万両と定額の幕府への運上銀を納めることになっていました。こう言う仕組みですから、金座にしても銀座にしても、製造ノルマを上げなければ利益は増えないし、利益がなければ金座や銀座からの幕府への冥加金や運上銀などのリベートも増えません。したがって鉱山からの金銀産出量が減り、仕事が減ってくると、金座や銀座は改鋳をしたがるし、改鋳して金座や銀座の仕事が増えれば、幕府へのリベートも増えるので、当然この方面には、常に改鋳期待感があります。こうした背景もあって、元禄八年(1695)八月、最初の金銀貨改鋳が行われました。

  • pla********さん

    2018/7/1822:29:21

    両というのは、本来、大判・小判などの額面表示ではなく重さの単位です。 
    10両は44匁(165グラム)のことです。  

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