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戦国時代に自称官位が流行りましたけど、朝廷から苦情が来たりはしなかったんです...

kor********さん

2018/7/2121:19:19

戦国時代に自称官位が流行りましたけど、朝廷から苦情が来たりはしなかったんですか?

朝廷の権威を蔑ろにしている気がするのですけど・・・。

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kaw********さん

2018/7/2122:00:53

ご指摘のとおり、戦国時代には全国の武士が武家官位として官位などを自称しています。

有名な武将では、織田信長。
この織田信長について見てみましょう。

信長が自称した官位の変遷ですが、
上総守→上総介→尾張守→弾正忠
と変わっています。

上総守ですが、これは本来なら皇族しか名乗ることはないはずです。この事に気付いたためか、信長は上総守から上総介に改めています。

桶狭間で今川義元を討ち取った時、信長はよほど嬉しかったのか、義元が帯びていた太刀「宗左文字」に「織田尾張守信長」と彫りこんでいます。
この頃、朝廷から信長に書状が届いていますが、それには「尾張守」とあります。

このように、信長は官位を自称をするのにも、朝廷に気を使っています。
また、朝廷も信長が自称していた「尾張守」を書状に使うなど、気にする素振りはありません。


次に、飛騨のマイナーな戦国大名・姉小路(三木)良頼の場合です。

三木良頼は、家柄と官位にこだわりがあったらしく、時の関白・近衛前嗣と友好な関係を築き、飛騨の名門・姉小路家を継ぎ、従五位下・飛騨守となります。
以後、従四位下、従三位と昇進し、公卿となります。

さらに、姉小路家は過去に中納言だったため、中納言になるべく政治工作を重ね、何度も中納言になるよう要請しますが、却下されます。

そのため、中納言を自称しました。

その後も、侍従に昇進していることから、中納言を自称しても、朝廷から問題視されていたわけでは無いようです。


このように、全国の武士が勝手に官位を名乗ることを、朝廷は特に気にしていないようです。
また、武士たちも、最低限のルールは気にしていたようです。
しかし、それでも朝廷は、正式な官位だけは出し惜しみ、そう簡単には許していなかったようです。

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kn3********さん

2018/7/2207:53:13

苦情出すどころか、朝廷の天領も各地の大名等に横領され生活するのもままならない状態でした。

完全に権威が失われていたのを、信長が京都を抑え、ほこりをかぶっていた権威を復活させたというのが当時の状況です。

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bep********さん

2018/7/2121:23:01

朝廷側に苦情を出す余裕がなかったと思いますよ。

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