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歌舞伎って出雲阿国が始めたのに、どうして今は女性はダメなの?

うどん大好きさん

2018/8/621:26:29

歌舞伎って出雲阿国が始めたのに、どうして今は女性はダメなの?

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おっしゃるとおり、女性である出雲阿国が始めたはずの歌舞伎は、紆余曲折を経て、現在は男性のみが演じることになっています。

阿国の傾き踊りは、女性の演者が男装して演じるもので、今でいうと宝塚歌劇のような感じでしょうか。ユニセックスな雰囲気が大いに受けたのだと思います。
ところがこれらはすぐに売買春の巣窟になってしまい、風紀を乱すとのことで禁じられ、しだいに廃れていきました。

その後、今度は前髪を残した…つまり未成年の美少年たちが演じる『若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)』になっていきます。今でいうとジャニーズアイドルとかエグザイルのような熱狂を持って迎えられたことでしょう。
ところがこれもまた男性が少年を買う…ということと結びつき、規制されて廃れていくことになります。
当時は、同性同士のそういう間柄がさほど奇異なものではなかったことも大きいです。

そこで今度は『野郎歌舞伎(やろうかぶき)』です。演者がすべて成年の男性によるものに変わり、今に至ります。

ざっくりいうと、こういう流れです。

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mbk********さん

2018/8/822:52:49

まず『歌舞伎は出雲の阿国が始めた』というのは正確ではありません。

出雲の阿国は『ややこ踊り』あるいは『ややこ跳び』と呼ばれる舞踊と寸劇をミックスした、現在でいう『レビューショー』的なものを上演して評判を得た人物ということだけで、歌舞伎を創始した訳ではありません。
『ややこ踊り』や『ややこ跳び』が実際にどんなものであったかも、明確に書き残されたものはなく、当時の風俗を描いた絵や屏風絵などと、他の伝承などを繋ぎ合わせて『レビューショー』的なものであったであろうと推測されているに過ぎません。

出雲の阿国を『歌舞伎の祖』という位置付けにするようになったのは、ことに明治になってからのことで、京都の観光事業者と松竹が提携して、京都の南座に『歌舞伎発祥の地』の記念碑を建てから広く言われるようになりました。
『歌舞伎』という名称も、明治時代から『芝居』を意味する言葉として広く使われるようになりました。
つまり、江戸時代の人々は『歌舞伎は出雲の阿国が始めた』などと、一般人は誰も思っていなかったでしょう。

男性ばかりの芸能集団というのは古い時代からあり、少なくとも平安末期から鎌倉の頃には、芸能で生計を立てるプロ集団があったと推測されています。
(広義でいうプロ集団は奈良時代くらいからあったと考えられています)
この芸能集団の一つに『能』という物真似をする一座が現れるようになり、それが室町時代に『能狂言』として確立します。
ここでいう『物真似』とは、誰かの真似をするという訳でなく、当時の風俗や流行を取り入れた内容の作品を上演するということです。さらにこの『能狂言』の集団の中から、世阿弥が『謡と舞』を中心にした『幽玄能』を完成させ、これを当時の為政者である足利義満が支持したため、『謡と舞』を上演する『能』と、台詞のやり取りを中心とした『狂言』に分かれることとなりました。

つまり、出雲の阿国が登場する以前から、『謡と舞』を中心にした作品を上演する『能』の集団と、台詞を中心とした作品を上演する『狂言』の集団がすでにあり、出雲の阿国は『謡と舞』の集団の中から『ややこ踊り』あるいは『ややこ跳び』と呼ばれる目新しいジャンルを創作して人気を得たということです。

この阿国が創作した『謡と舞』の新しいジャンルを、遊女や若衆(男娼)が客寄せのイベントとして上演するようになり、遊女や若衆が売春の営業を禁止されたために『遊女歌舞伎』や『若衆歌舞伎』が消えてしまったのです。つまり『歌舞伎』そのものの上演が禁止されたのではありません。
その結果、出雲の阿国が登場する以前からあった『能狂言』の集団と、それ以外の演劇集団が禁止される理由が無いので残ったということです。

『遊女歌舞伎』が禁止されたから『若衆歌舞伎』になり、『若衆歌舞伎』が禁止されたから『野郎歌舞伎』になったということではありません。

また『遊女歌舞伎』が禁止されたから女性が役者になれなくなった訳ではなく、ある種の女性保護の観点から女性の役者を認めなかったというのが実際です。
その証拠に、歌舞伎以外では女性の芸人が数多く存在し、興行も行っています。ただし、そういう女芸人の興行には、歌舞伎とは異なる規制がありました。

徳川幕府は、奴隷など人身売買や売春の強要は禁止していましたから、名目上では『遊女』という売春婦は存在しないんですね。しかし、現在でもそうですが、双方が同意の上なら『売春ではない』と認めざるを得ない訳で、それを黙認する場所として認められたのが吉原などの遊郭でした。遊郭のルールに『初会』『ウラ』『馴染み』などがあるのも、そのためなんです。
つまり、遊女歌舞伎のように売春のための客寄せや売春婦になるかもしれない可能性が高い職業に、女性が就くことを許さなかったというのが実際のことです。

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