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大東亜戦争について よく日本が欧米のアジアでの植民地を解放した戦争であった...

wes********さん

2018/8/2116:50:06

大東亜戦争について

よく日本が欧米のアジアでの植民地を解放した戦争であったと言われますが、

もし、日本が負けなかったら、欧米を追い出し、取って代わってアジア諸国を植民地にしようと思っていたのですか?
ただ、その途中で日本が戦争に負けたから、アジア諸国が解放から独立へと向かったのですか?
つまり、日本の目的はアジアの解放ではなく、負けたから結果そうなっただけなのですか?

補足植民地の形式は違っても、欧米も日本もアジアの資源が必要だったのですから。
それとも欧米を追い払い、アジア諸国を独立させて、日本との貿易という形で資源を得ようとしていたとか・・・?
なんかスッキリしません。
お教えください。

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kou********さん

2018/8/2810:31:07

失礼ながら史実を無視した回答が多いですね。調べたらすぐ分かるのですけどねえ。そして相変わらずハルノートを読みもしないで非難したり、東京裁判のパルと言うインド人の判事の妄言を有難がったり(笑)。

>よく日本が欧米のアジアでの植民地を解放した戦争であったと言われますが、

これは間違いです。

>もし、日本が負けなかったら、欧米を追い出し、取って代わってアジア諸国を植民地にしようと思っていたのですか?

その通りです。

当時の日本の国策は、アジアから欧米列強を追い出して日本がアジアを征服・支配する事でした。これは私個人の「意見」ではない。政府、軍の資料にはっきり書いてあります。戦後アジア諸国は独立しましたが、日本が負けたからですね。日本が勝っていたら日本の領土、植民地、属国になっていました

昭和15年7月の四相会議(首相、陸相、海相、外相)で決定した政策大綱:

「英、仏、オランダ、ポルトガル植民地を東亜新秩序の内容に包含せしむる為の積極的処理」

つまり南方を武力侵略して西欧諸国の植民地を日本の勢力圏に入れる。

占領したアジア諸国も、

「八紘一宇の皇道に基づき、帝国輔導のもとに」「軍事、外交、経済などの全般にわたり、帝国の強力なる把握下に置かるべき」

と、今まで平和に貿易で手に入れていた石油などの資源を武力で強奪するのが目的でした。そして日本のアジア征服の邪魔になる米英を叩いておけ、と始めたのが太平洋戦争でした。これは天皇を交えた御前会議で一度ならず確認されています。

また、開戦後の1943年5月31日の御前会議決定「大東亜政略指導大綱」

「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発竝ニ民心ノ把握ニ努ム

つまり、現在のマレーシアやインドネシアは属国どころか日本の領土にしてしまえ、と。 また、政府や軍の公式文書でも東南アジアの人たちの事を「現住土民」、と。何が「アジアの解放」でしょうか(笑)

あの日独伊三国同盟の条文も、日本はアジアを支配する、ドイツ(とイタリア)は欧州を支配する、その為にお互いに助け合おう、と言う趣旨で書かれています。「お互いに助け合う」どころか一緒に地獄に堕ちてしまいましたが、、、

必死に日本の侵略戦争を弁護しておられる人たちは、昔の文語体の文章が理解出来ないのかなあ、、、

アジア解放が目的だったら先ず朝鮮を再独立させ、台湾・満州・海南島を中国に返還し、中国と仏印から日本軍を撤退させないといけない。それをしないでアジア解放を言っても笑われるだけです。

よく言われる対日石油禁輸もハルノートも関係ありません。そのかなり前から日本は対米英戦争を具体的に決めていました。対米戦争は日本の国策だった南方侵略の補助的なものでした。その「補助的」な戦争で世界史上最強の軍事超大国アメリカにこちらからケンカを売った日本は無茶苦茶に負けて国が崩壊、数百万の日本人が死にました。東條英機の様に勇ましいだけで無知で無責任な指導者を持った当時の日本人が哀れです。

日本は戦争などする必要はまったくなかったのです。当時の日本は世界五大軍事大国・三大海軍国、国際連盟の常任理事国、広大な領土を持つアジアの大国として世界も一目置いていました。石油や鉄鋼などの重要資源も欲しいだけ輸入出来ていた。そんな日本を植民地にしようとした国なんかありませんよ。

しかし日本は九ヶ国条約、パリ不戦条約を破って中国領の満州を侵略し、世界の非難を浴びて国際連盟を脱退。更に中国大陸侵略を拡大、世界の嫌われ者ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、自由主義世界に挑戦状を叩きつけた

それにも拘わらず、日本による中国侵略がピークに達しつつあった1940年度ですら日本の石油需要量の86%をアメリカが供給。このどこが「アメリカの圧迫」なのでしょうね。しかし日本は更にフランスがドイツに負けたドサクサに仏印を侵略します。ここでアメリカの我慢が切れて対日石油禁輸を実施。アメリカの対日強硬策はすべて日本の好戦的な侵略主義に対する不信感、警戒感だったのです。

しかしこれすらアメリカの警告でした。ここで日本が侵略をやめれば石油もまた入ってきましたが、日本は戦争を選びました。それが元からの日本の国策だったのです。宣戦布告なしのだまし討ちだった真珠湾攻撃もマレー半島上陸も、ハルノートが出るかなり前から具体的に決められており、実際、真珠湾攻撃の為に日本海軍機動部隊はハルノートの前に出撃していた。「大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌」というものがありますが、ものすごい内容ですよ。「外交交渉が失敗する事を熱望する」とか、日本(≒陸軍)は戦争がしたくて仕方がなかったのです。ハルノートなど無くても日本は戦争を始めていました。

開戦後、占領地では初めは解放者として迎えられたケースもありましたが、日本の拙劣で暴力的な支配の為に現地経済は崩壊。反抗するものは拷問、虐殺。フィリピンでは日本占領3年間で物価が100倍に高騰、元々貧しかった住民は益々困窮した。フィリピンやインドネシアでは日本の兵隊に会ったらお辞儀しろという命令まで出した。

比較的うまくいったと言われるビルマですら、日本人の利権漁りの余りのひどさに同方面担当の第十五軍司令官・飯田祥二郎中将は「これでは大東亜共栄圏も聖戦もあったものではない」と書いています。

シンガポールを占領した山下奉文司令官は天皇誕生日に現地住民に訓示した、

「このたび新たに大日本帝国の臣民となったマレー住民と共に聖寿をことほぎ奉り得る事は本職の衷心より欣快とするところである。
マレー、スマトラの民衆はよろしく光輝ある帝国の新しい民である光栄に感激し、帝国の尊厳なる国体を意識してそれぞれその生業に励むべし」、、、

征服者意識丸出しですね。

そして現地政府の「独立」も日本の武力を背景にした傀儡政権でした。それが証拠に、昭和18年11月に東條が東京で行った大東亜会議に参加した政権はすべて日本の敗戦と共にあっと言うまに消えてしまった。元々民衆の支持のない薄っぺらいものでした。以下を御参考にどうぞ。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121900333...

という事で、太平洋戦争は日本によるアジア侵略の延長上の必然的な結果でした。アメリカの陰謀とかアジア解放、ABCD包囲網などはすべて戦後の言い訳けに過ぎません。

日本に「感謝」したと言うアジアの政治家たちは戦争のドサクサで大もうけし、戦後は戦後で独裁政権でまた私腹を肥やした連中です。彼らは援助をもらえるならいくらでも日本人の喜びそうな事を言いますよ。ある国の戦後初の大統領は日本の商社経由で赤坂の一流ナイト・クラブの美女を貢がれた。日本に感謝するのは当たり前ですね(笑)。

戦後の日本は豊かで平和な国になり、アジア諸国からも好意的に見られています。しかし一歩掘り下げてあの戦争の事になるとまだまだ悪感情が潜んでいます。

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sup********さん

2018/8/2803:37:27

>>もし、日本が負けなかったら、欧米を追い出し、取って代わってアジア諸国を植民地にしようと思っていたのですか?

それは絶対にない。
◆昭和15年7月に基本国策要綱で大東亜共栄圏を閣議決定。
◆昭和16年1月に対仏印、泰施策要綱で大東亜共栄圏を国策決定。

大東亜共栄圏を達成するには支配者の欧米国を追い出さないといけない。追い出して主権を回復、独立させ、自由貿易圏を構築して共存共栄の新秩序(アジアブロック経済圏)体制を敷き、東亜平和を確立する。

つまり、大東亜共栄圏を達成する=欧米に植民地支配されてるアジアを独立させる


◆昭和16年12月8日、日本政府は帝国政府声明を発表。
『(中略)而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。(以下略)』

>>只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、

支配者を追い出して元の姿に戻すという意味。
すなわち解放して独立させる。


◆大東亜政略指導大綱(昭和18年5月31日)御前会議決定
六、 其他の占領地域に対する方策を左の通定む
但し(ロ)(ニ)以外は当分発表せず
(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発ならびに民心の把握に努む
(ロ) 前号各地域に於ては、原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ
(ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外の地域の処理に関しては、前二号に準じ追て定む
(ニ) 前記各地に於ては当分軍政を実施す


マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスに関しては、すぐに独立させられない事情があったため、当分の間軍政を敷いて日本が面倒見ますよ、ということ。
軍政は永久ではなく、あくまでも『当分の間』

これら各地をすぐに独立させられない事情というのは、
◆占領地帰属腹案(昭和18年1月14日)大本営政府連絡会議決定に

一、占領地の帰属に関しては左の基準に依り之を定む
(イ)大東亜防衛の為帝国に於て確保するを必要とする要衝並に人口稀薄なる地域及独立の能力乏しき地域にして帝国領土と為すを適当と認むる地域は之を帝国領土とし其の統治方式は当該各地域の伝統民度其の他諸般の事情を勘案して之を定む

>>大東亜防衛の為帝国に於て確保するを必要とする要衝並に人口稀薄なる地域及独立の能力乏しき地域にして帝国領土と為すを適当と認むる地域は之を帝国領土とし

帝国領土の目的は、はっきりと「大東亜防衛の為」と書いてある。
帝国領土とする目的は、あくまでも「大東亜防衛の為」だと分かる。
自存自衛と大東亜共栄圏を達成するため戦争してるわけだから、安全保障上、大東亜地域を防衛するのは当たり前だよね。パリ不戦条約の留保では安全保障の範囲は地理的制限がない。
当該地域は国防力が無いため、これら地域を防衛できるのは日本以外いない。
要衝、人口希薄の地域、独立の能力乏しき地域、これらを帝国領土にする。
帝国領土というのは、決して植民地にするという意味ではない。
しかも「当分の間」であって永久ではない。
原住民の民度に応じて政治に参与させるとも書かれてある。
植民地にするつもりなら、原住民を政治に参与させる必要ないよね。

(ロ)従来の政治的経緯等に鑑み之を独立せしむることを許容するを大東亜戦争遂行並に大東亜建設上得策と認むる地域は之を独立せしむ

「独立させない」とは書かれてない。
条件付きではあるが、認められる場合は独立させると書かれてある。
もし、植民地にするつもりならば、こんなことを盛り込む必要はない。
これを盛り込んでるということは、植民地にするつもりがないことを意味する。


◆第十回御前会議(昭和18年5月31日)内閣総理大臣説明
六、其他の占領地域
「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は民度低くして独立の能力乏しく且大東亜防衛の為帝国に於て確保するを必要とする要域でありますので之等は帝国領土と決定し重要資源の供給源として極力之が開発並に民心の把握に努むる所存であります。之等の地域に於ては当分の間依然軍政を継続致しますが原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむる方針でありまして現に政治参与を要望して居りまする「ジャワ」に対しては特に之を認める積りであります。

マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは民度が低いため独立の能力乏しく、尚且つ大東亜防衛の為必要な要域(要衝)であるから帝国領土にすると書かれてある。

はて?一体どこに植民地にする目的だと書いてあるのかな?
どこをどう読んだら植民地にすると?

当該地域を”帝国領土”にする理由として、原住民の民度が低くて独立の能力が乏しいことと大東亜防衛の為だと、はっきりと書いてあるけど?


東條英機首相(当時)施政方針演説
「大東亞防衞の爲め絶對必要なる地域は、帝國自ら之を把握措置し・・・」

はっきりと「大東亜防衛の為」と書いてある。
自衛戦争なんだから当たり前だよね(笑)
支配者の欧米列強どもを追い出して防衛しなければいけないからね。

>>帝國自ら之を把握措置し
当たり前だよね。自衛戦争やってるんだから、これら地域を防衛するために日本が掌握するのは当然だし、これらを遂行できるのも日本以外いない。
パリ不戦条約の留保には安全保障の範囲は地理的制限がない。
せっかく支配者の欧米どもを追い出しても、防衛が杜撰だと再び侵攻され元通りの植民地支配になる。これじゃあ水泡に帰するから意味ないよね。

なぜこれが「独立させない」という解釈になるのか、意味不明(笑)

”帝国領土”を「植民地支配」、あるいは「独立させない」と謎のトンデモ解釈してるのを一部で見かけるが、まともな読解力があるとは思えないよね。
恥ずかしくないのだろうか(笑)
きっと、恥を知らないのだろう(笑)

cel********さん

2018/8/2719:36:16

結論から言えば、「アジアを英米支配から『解放』する」というスローガンは、その文字のまんまの意味、つまり英米を追い出す、という意味であって、別にアジアを独立させるという意味じゃないです。それは、公的な場で公然と言われていたことです。

例えば、国立公文書館アジア歴史資料センターでレファレンスコードB02032957800を↓のページに入力してリンクを辿ると『2.大東亜会議最終議事録 大東亜共同宣言』という標題資料の2/7で、大東亜共同宣言の日本語版が見られます。(以下のアジ歴資料も同様)

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/reference

その中には、例えば「大東亜各国ハ相提携シテ大東亜戦争ヲ完遂シ大東亜ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ」とか書いてあります。これが「スローガン」の『代表』ですね。

で、これの意味ですが、細かい話は後回しにして、もし「アジアの《独立》が目的」であるかのようなスローガンを唱えたとしたら、仏印(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)に日本は進駐しただけ(=フランスの植民地支配はそのまま)なのは何故?、って事になります。当時の日本政府も、一発でダブル・スタンダードがばれるようなスローガンを唱える程のマヌケじゃないです。だから(占領地域全体の)英米支配からの《解放》どまりで《独立》じゃなかったんです。


まず、本音がストレートに出る当時の機密資料で見てみると…

1942年3月14日の大本営政府連絡会議の議論の内容を書いた資料「3月14日 第95回連絡会議」(アジ歴レファレンスコードC12120259500)で見られる、当時の首脳陣の発言を引用します。この会議では、外務省作成の資料が、現インドネシアの内ジャワ島だけ独立させる事になっていた点に議論は集中しました。

~~

(賀屋大蔵大臣)
独立サセテ置イテ種々制限ヲ加ヘル位ナラ始メヨリ独立セシメザル方遥カニ有利ナリ、全部ヲ帝国ノ領土トシ必要ニ応ジテ高度ノ自治ヲ与フレバ可ナルニ非ズヤ

(それを受けた星野内閣書記官長)
何モ左程遠慮スルノ要ナシ、敵国領有シアリシモノナルヲ以テ其ノ儘之ヲ取ツテモ一向差支無シ

(東條首相の「海軍はどこを確実に把握する必要があると考えるか?」との質問に回答する海軍軍令部伊藤次長)

南方占領地域ハ全部帝国領土トスルコト可能ナラバ申分無キモ局地ニヨリテハ政治的民族的各種ノ事情アリ、其処ニ研究ヲ要スル問題アルベシ

~~

軍令部次長は「占領地域を全部領土に出来るなら申し分無いが、一部は色々事情があり、考えなきゃならん…」と言い、大蔵大臣が「独立させた後に色々制限を加えるぐらいなら、最初から独立させなけりゃいい。必要なら自治を与えればいいだろ?」と言ったのに対して内閣書記官長なんて「そこまで気にする必要があるのか?敵国(=オランダ)の植民地だったものを日本が(独立させずに)そのまま取って何が悪い?」ってな事を言っていました。アジアの「独立」を目的として戦争をしていた政府の首脳陣の発言じゃ絶対にないですよね…


1943年5月31日の御前会議決定「大東亜政略指導大綱」(アジ歴レファレンスコードC12120280400)では、フィリピンとビルマ(現ミャンマー)に独立を付与する事を決めた一方、

(イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発竝ニ民心ノ把握ニ努ム

事も決めました。現在のマレーシア、シンガポール、インドネシアは領土にする、という意味ですね…

これらは全て当時の「国家機密」なので本音がストレートに出ていますが、(言い回しは多少は柔らかいものの)、対外的にも同様の”主旨”は明確に言っていました。

真珠湾攻撃約40日後の1942年1月21日の帝国議会での東條首相の施政方針演説を載せた官報が国会図書館のWebの↓のページで見られます。

http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/079/0060/0791006000...

東條の演説は↑の5~7頁/全16頁にありますが、そこから引用します。


大東亞共榮圏建設の根本方針は、實に肇國の大精神に淵源するものでありまして、大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ、帝國を核心とする道義に基く共存共榮の秩序を確立せんとするにあるのであります


「大東亜の各国家及び各民族をして各々其の所を得しめ」とは、それぞれの国・民族毎に”ふさわしい地位”を(日本が)与える、って意味ですね。

この少し後に

此の建設に當りましては、大東亞防衞の爲め絶對必要なる地域は、帝國自ら之を把握措置し、其の他の地域に關しましては、各民族の傳統、文化等に應じまして、戰局の進展に伴ひ、それぞれ適當なる處置に出ずる考へであります

とあります。


「大東亞防衞の爲め絶對必要なる地域は、帝國自ら之を把握措置し」の《帝国自ら之を把握措置し」を《独立させる》って意味に解釈する人はまずいませんよねぇ。

言うまでも無く、この施政方針演説は当時の新聞で報道され国内に伝わりましたし、中立国の外交官や報道関係者は日本にいましたから、これは、国内外に向かって首相自身が「占領地域の内、領土にしたいところは領土にしちゃいますよ!」って発表していた、という事です。

ですから、冒頭に申し上げた通り、「アジアを英米支配から『解放』する」というスローガンは、その文字のまんまの意味、つまり英米を追い出す、という意味に過ぎず、「アジアを独立させる」という意味じゃない、というのは、(国家機密レベルの会議だけでなく)、国会のような公然の場でも語られていた、という事です。



(ご参考)

一応、念の為言って置くと、「自国に必要な地域は領土(植民地にして良い)」=「植民地領有を不法と考えない」という点に限れば、日本が特に変だったのではありません。

話は飛びますが「第一次大戦終了時にウィルソン米国大統領が発表した民族自決原則は、実際にはヨーロッパにしか適用されなかった」って話を聞かれた事はないでしょうか。
20世紀初頭にもなると、さすがに「ヨーロッパ人は自決権あり、それ以外は無し」って、公然とは言えなかったので、「文明国がそれぞれの民族の文明度を判断し、独立できるぐらい”文明的な”民族には独立を与えて”やる”」という理屈にしました。第一次大戦でドイツの海外領土とオスマン帝国の中近東領が国際連盟の委任統治領になったのはご存知と思いますが、中近東のみが”将来の独立”を前提としたA式委任統治とされ、実際に(相当形式的とは言え)第二次大戦前から大戦後にかけて独立を”付与”されました。これも、植民地保有国の”自分達文明国には、各民族が未開人か文明人かを判断し、独立させるか否かを決める権利がある”という考え方の現われです。

パリ講和会議での国際連盟規約に関する日本の人種的差別撤廃提案についての牧野全権の演説(1914年4月28日)が、政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所の『データベース「世界と日本」』の中の↓の頁で読めますが、その冒頭は…

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/19190428.S1J.html

『余ハ最初二月十三日國際聯盟委員會ニ文化ノ程度進ミ聯盟員トシテ充分資格ヲ有スルモノト認メラルル國家ノ人民ニ對シテハ其ノ人種或ハ國籍ノ如何ヲ論セス均等公平ノ待遇ヲ與フルコトノ主義ヲ包含セル聯盟規約修正案ヲ提出セリ』

となっています。日本の提案の対象は『文化ノ程度進ミ聯盟員トシテ充分資格ヲ有スルモノト認メラルル國家ノ人民』だから、国際連盟に加盟できない非独立の植民地住民を平等に扱えなんて意味じゃないよ!、って説明です。

そりゃそうですよね。「人類皆平等」って事にしたら自決権はどうだ、って事になりかねず、英国はインド人に、日本は朝鮮人に「独立する?しない?」って聞かなきゃならなくなりますからね…。

「自分達文明人が、未開人を支配するか独立を与えるかを決められる」というのが、第一次大戦後から第二次大戦後の1960年ぐらい迄の(日本を含む)植民地保有国の共通の論理で、それに従って、東條首相も国会演説で「大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ」=それぞれの国・民族毎に、それにふさわしい地位を(日本が)与えてやる、って言っただけです。

その意味では、(現代人の感覚からすれば)、第二次世界大戦中の英仏も日本も、同じ植民地保有国として同じ発想をしていた、という事です。

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aaj********さん

2018/8/2616:19:43

大川周平が開戦の日に、ラジオで大東亜戦争の理念として、アジア解放を宣言してますね。

朝日新聞の翌日の朝刊紙面を見てください。

アジア解放の朝だったかな?と日本在住のアジア人四人を写真つきで紹介しています。

本当は、日本を含む東南アジアを戦争後に共産主義化しようという陰謀ですね。

表向きには、共産主義は貧富の解消をうたってますからね。
https://monqu.web.fc2.com/mokji.html

勝ったら共産主義者が支配する陸海軍を使って、負ければ敗戦革命で日本を共産主義にしたかったわけです。

ava********さん

2018/8/2607:47:42

日本が戦争したのは資源が輸入できなかったからです。

日本は資源を求めて南下しましたが、当時は欧米が東南アジアの資源を持っていましたので欧米(敵国)を追い出す形になったのです。
戦争が終結し、日本に再び資源が入ってくるようにならなければ、日本も東南アジアの資源を手放すことは出来なかったでしょう。
しかし、現実は日本は敗戦し資源をてばなす結果になりました。
過去に起きた事実をつなげると、そういう事実が浮かび上がってきます。

当時、アジアに独立国は日本・タイ・中国以外に無く、戦時中に日本はインドネシア・ビルマ(現ミャンマー)・インドで独立勢力の教育をしていました。
しかし、ある国が独立できるまでの国力・組織を構築することは数年でできることではありません。
日本は戦時中にアジアの国々を独立させることは出来ませんでしたが、アジアの国々に「独立の精神」を植え付けたので戦後に多くの国が独立したのです。
欧米の列強も、日本の植民地支配を批判しながら自らが植民地を持つことは矛盾し、現地の力量が発達したときは独立を認めざるを得なかったのです。




表題として採用しているように「大東亜戦争について」言及するのならば、ルーズベルトが1933年に大統領に就任するなりウイルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバーの4代の大統領が承認しなかったソ連を国家として承認していることに注視するべきです。
以降、ルーズベルトはたびたびスターリンと会談しアメリカ政府が共産化していくのです。それが、第二次世界大戦(大東亜戦争)が起きた遠因なのです。
スターリン一に近づいたルーズベルトが欧州戦争を起こし、欧州戦争に参戦するために日本を挑発したことで、日本も戦争に突入する結果になったのです。
それが大東亜戦争です。

sho********さん

2018/8/2600:04:14

結果的にはオレはそうだと思ってるよ。
アジア開放のきっかけにはなったのは確かであろう。

特に、イギリスとかが意外と弱ぇ~なって印象を
持たれたことが戦後再度植民地にでもしようと舞い戻ってきた連中に
凸(゚Д゚#)ざけんなよ的なふうに出来たのはある。

が、アジアを開放しようという意図は大本営にはなかっただろう。
無論、アジア開放を信じて行動した日本兵はいた。
が、それはそれだ。

開放のつもりなら、日本語強制現地語禁止云々政策は何だ?
ってな話にもなる(・д・)チッ。

しょっぽクン

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