上の社会に参加するためには、これだけの儀式はして、
これだけの教養を身につけてくださいね、というのが無くなってる。
お金持ちなら、高度な技術が必要な物を注文する、ということがあれば、
技術を持っている人にお金がいき、技術が保存され、社会が豊かになる。
こういった好循環を支えるために
稽古事や冠婚葬祭に伴う行事があって、
上の社会に属するためにはこういうことをしなければならない社会だと、
結局みんなが豊かになるんですね。
悪平等がまかりとおると格差社会となります。
格差を固定するには、能力の無い人が上に来るのがいちばん、
能力の無い人たちが、社交をしない、お給料だけせしめて閉じこもってる。いまちょうどこんな社会になってますから、お金があるのに結婚式などしない人と、そんな人たちのせいで結婚式などができない人が増えてるでしょう。
どんどん、国が貧乏になっていきますね。
国を疲弊させないための茶道だったんですよ。
茶道はもとからそんなに参加する人が多い稽古事ではなかったけれど、いまの老人が若い頃に敷居が下がり参加人数が増えたということもありますね。
茶道のみならず、この700年ぐらい続いてきたいろんなものがいま衰退しておりますね。
社会に問題があるだけでなく、個々にみていくと衰退していくものに問題があることも多いでしょう。
700年前はどんなだっかというと、やはりその前700年ぐらい続いてきたものが衰退する時代でした。このままでは文化が滅ぶと当時文化を支えていた人は思ったことでしょう。
でも、実際にはこのとき、お能も茶道も華道もできていったんですね。
茶道が続くものとして残るか滅びるのかはわかりませんが、いまが人が持続的に豊かであるという点では底ですから、
続くか、あらたに同等のそれ以上のすばらしいものができるかはいまを生きるそれぞれの人次第でしょう。
敷居が高いものを敬遠する人は、高いお給料を頂戴することも敬遠することによって、未来のこども達が住みよい社会づくりに参加することができます。