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日本列島で発見される人類化石の特徴は、横幅の広い顔を持ち、身長も低く、中国南...

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ID非公開さん

2018/8/2905:13:03

日本列島で発見される人類化石の特徴は、横幅の広い顔を持ち、身長も低く、中国南部(広西壮族自治区柳江県)で発見された柳江人などと共通すると考えられ、縄文人にも受け継がれている。

これのどこかが間違ってるらしいのですが、どこがダメなんでしょうか。

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cox********さん

2018/8/2918:36:45

「港川人」などの、沖縄で発見された「古代人」は、DNAを分析した結果、どうやら日本人、沖縄人とは繋がっていないようです。

↓ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動における取材について(平成26年9月16日、プレス(報道)発表、琉球大学)
http://www.u-ryukyu.ac.jp/univ_info/announcement/data/press20140916...

↑沖縄諸島出身者、宮古諸島出身者、八重山諸島出身者から DNAを採取し、ヒトゲノム全域に分布する単一塩基多型(SNP)と呼ばれる変異を分析しました。

その結果、沖縄諸島の人々と宮古諸島の人々の間に明確な遺伝的分化が認められました。これは宮古諸島の人々の祖先が少人数の集団であったことを示しています。

また、沖縄、宮古、八重山のいずれの人々も大陸の集団のみならず、台湾の先住民と遺伝的な繋がりが無いことも明らかになりました。(プレス(報道)発表、琉球大学より)

宮古・八重山諸島の人々は古くても1万年前よりも後の時代に沖縄諸島から移住したと推定されました。このことは、ピンザアブ洞穴人や白保竿根田原洞穴人などの2~3万年前に宮古・八重山諸島に住んでいた人々が現代の宮古・八重山諸島の人々の主な祖先ではないことを示しており、琉球人の由来を考える上で重要な発見になるものと思われます。 (プレス(報道)発表、琉球大学より)

「港川人」などの、沖縄で発見された「古代人」は、DNAを分析した結果、どうやら日本人、沖縄人とは繋がっていないよう...

ベストアンサー以外の回答

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chi********さん

2018/8/2921:32:25

現代は、核ゲノム(DNA)の時代です。

頭蓋骨の形状どうのこうのなんて言っていると

みんなから「バカ」にされ、はずかしい思いをしますよ。

cha********さん

2018/8/2918:40:09

日本人(ヤマト人)は、すべて縄文人と渡来系弥生人との混血です。

「縄文人」の祖先は、中国人などの東ユーラシア人の集団とは、別のルートで東アフリカから日本列島に渡来しました。

「縄文人(D1b)」が日本列島に渡来する前の、足どりの追跡は、2008年に「中華人民共和国 中国科学アカデミーおよび、アメリカ合衆国(National Geographic Society)」によって報告がされています。


↓NHKニュース「おはよう日本」
https://www.youtube.com/watch?v=hwd8HgU8KwU


↑徳島大学大学院 医歯薬学研究部 佐藤陽一准教授
「アジア大陸にもDというグループが分布していたと思われるが、その後Oというタイプがアジアを占めるようになり、取って代わられたと考えている。日本やチベットやアンダマン諸島は、島国だったり山間部に属していることから、他のグループとの交流がかなり限られていたため、現代でもかなり高頻度で残っていると考えている。」

===============================

「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」

↓英文の論文
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45

↓日本語翻訳
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_k...


論文「Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations」
(東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について)
【2008年 中華人民共和国 中国科学アカデミーほか
アメリカ合衆国 The Genographic Project, National Geographic Society】

================================

↑われわれは次のように提唱する。すなわち、D系統は南方に起源があり、D系統の北方への拡散は、約60,000年前に起こった。そして、ほかの主要な東アジアのY染色体の系統の北方への移動の先駆者であったと(論文より)。

↑次いで、(最終氷河期がひとつのキー・ファクターとなった可能性が高いが)集団の下部構造(基本構成)が形成され、そこへ最近の漢文化の拡張の影響が加わり、D系統の分布は、現在の地理的パターンに分断化されてしまったと考えることである(論文より)。

↑後世の人口膨張以外に、最終氷河期の間にあった特に寒い気候が、D系統の現在見られる分布の断片化をもたらしたのかもしれない(論文より)。

チベット集団の元の集団、日本列島の縄文人などに代表される「D」は「狩猟採集集団」です。つまり「狩猟採集」生活をしている限り、地域に広く、浅く、小集団で分布し、かつ食料は安定せず、人口もなかなか増えなかった。移動も繰り返していたかもしれません。「D」が東アジアに到達したのは、今から4~5万年前と推定されています。


中国人、渡来系弥生人などに代表される「O」は、のちに「農耕集団」となります。食料は安定し、人口も爆発的に増えた、また土地に根差し移動せず、その地域を少しずつ拡大していく傾向があり、農耕など共同作業を行う必要上、それなりの大集団で生活したのでしょう。中国人などの代表的な「O3」は、今から2万年~2万5千年前に現れます。つまり、東アジアに「D」が到達したずっと後です。

気象環境としては、「氷河期」がずっと続いています。もっとも強烈な「最寒期」は、今から「約2万1千年前」に起こっています。欧州では、「氷河期の覇者」といわれた「ネアンデルタール人」が滅亡してしまいます。寒さだけが「滅亡」の原因ではないと考えますが、かなり影響はあったでしょう。「氷河期」が終わったのは、今から「約1万年前」です。また、今から「約6000年前」は、逆に現在よりもっと暖かい時期も訪れていました(その頃、海水面の上昇で、関東平野が水没していました)。少し気温が下がって、今に至ります。


「↓下」にも「図3」を添付しますが、上記「論文」の「図3」を見ると、一目でわかる点があります。それは、

・日本列島集団(縄文人)の「D2」は、多様性が低い、つまり狭い地域に居た。

・チベット集団の「D1」と「D3」は、きわめて多様性が大きく、かつてはきわめて広い地域に分布していた。

さらに、以下のように考えることができます。

(1)東アジアに4~5万年前に到達した「D」は、無人の中国大陸に広範囲に展開した。日本列島集団の「D2」は、その地域的な1集団にすぎなかった。「D2」が、他の「D」と別れたのは、「Y染色体ハプロタイプ」の年代測定から、今から3万7千年以上も前となります。

(2)現在、チベット集団はたった「600万人」しかいません。それなのにどうしてこれほど多様性が多い集団なのでしょう。日本列島集団「D2」のように、多様性が少ない、その地域的な1集団であってもいいのではないでしょうか。これは、かつては広い範囲に展開していた「D」が、何かの理由によって、もう一度、集まったのではないかと見ることもできます。

↓もう一つの根拠として

・最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという(↑上記論文より)。

チベット人がチベットに近い地域に居住するようになったのは、かなり古いという事です。

それでは、なぜ「D」は「チベットに近い地域」に移動したのでしょう。「氷河期」、獲物は集団を作って、定期的に異動し、それを狙っていたのかもしれません。中国沿岸ではなく、中国内陸の地域、チベットに近い地域が、より都合がよかったのかもしれません。

【考察として】

ただでさえ土地に薄く展開していた「D」は、氷河期の寒さを避ける、食料となる獲物を追うことにより、日本列島とチベットに近い地域に移動してしまった。そのころ、氷河に覆われたシベリアを通過して「アメリカ大陸」へ行くことは無理である。また、南下したとしても、そこには別の「C」集団がいたと考えられる。「氷河期」の終わりころ、東南アジアに居たと思われる「C(モンゴル系の子孫)」は、閑散としていた中国大陸を、抵抗もなく北上し、モンゴルまで展開、その一部は、別の「Q」の集団とともに「アメリカ大陸」まで至ります。

↓ここで、以下が出てくると思います。

徳島大学大学院 医歯薬学研究部 佐藤陽一准教授
「アジア大陸にもDというグループが分布していたと思われるが、その後Oというタイプがアジアを占めるようになり、取って代わられたと考えている。日本やチベットやアンダマン諸島は、島国だったり山間部に属していることから、他のグループとの交流がかなり限られていたため、現代でもかなり高頻度で残っていると考えている。」

その後、中国人に代表される「O」の集団は、安定した食料を確保し、爆発的に人口を増やしていきます。「D」は、中国大陸に展開することはできず、チベット周辺に暮らすこととなった。「D」がチベット、日本列島に移動しても、とりこぼしの「D」もいたでしょう。それが、中国人からほんの僅か(コンマ以下)検出される「D1」なのでしょう。

↓図3

日本人(ヤマト人)は、すべて縄文人と渡来系弥生人との混血です。...

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chi********さん

2018/8/2918:28:26

古代人の核ゲノム(DNA)による分析が可能となったため、従来の人骨の形状による分析結果などは、次々と否定されています。

「縄文人」と「港川人」「柳江人」とは完全に無関係と証明済みです。

↓最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明(金沢大学プレスリリース 2018年07月09日)
https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf

↑「グループ1」は現代の「アンダマン諸島」の「オンゲ族」や「ジャラワ族」、マレー半島の「ジャハイ族」と遺伝的に近い集団で、ラオスのPha Faen遺跡(約8千年前)から出土した「ホアビン文化」という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と、マレーシアのGua Cha遺跡(約4千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また、このグループ1に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。さらに、伊川津縄文人ゲノムは、現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました。

朝日新聞デジタル 2018年7月11日19時37分
https://www.asahi.com/articles/ASL7B5V8QL7BPTFC018.html

▼日本人と同じ【ハプログループ D】を持つ、アンダマン諸島のオンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)
https://www.multilingirl.com/2017/05/andamanese.html


↓「アンダマン諸島」の「オンゲ族」

古代人の核ゲノム(DNA)による分析が可能となったため、従来の人骨の形状による分析結果などは、次々と否定されていま...

銀魚さん

2018/8/2908:52:45

沖縄で発見されて港川人と名づけられた化石人類は、幅広の顔と低身長という特徴を持っていて柳江人に似ていますが、縄文人とは異なる集団だったとみられています。

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