ここから本文です

大東亜戦争の呼名の事ですが日露戦争は日本vsロシア

アバター

ID非公開さん

2018/9/1909:25:33

大東亜戦争の呼名の事ですが日露戦争は日本vsロシア

日中戦争は日本vs中国と分かりやすいのでが大東亜戦争はどの様な意味で付けられたのでしょうか?

アメリカは大東亜戦争を何故太平洋戦争と呼ぶ様に指示したのでしょうか?

回答よろしくお願いします。

閲覧数:
98
回答数:
5

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

har********さん

編集あり2018/9/1913:15:02

太平洋戦争以前に日本は中国(支那)と戦争をしていました。ただ日中両国の都合上、ともに宣戦布告をしていなかったので○○戦争ではなく、支那事変(日華事変、日支事変)と日本は呼びました。現在は日中戦争と呼ぶようにはなってきていますが。
さて1941年の12月8日に日本は対米英戦を開始します。このときに時の内閣であった東條内閣が大東亜戦争と命名しました。またこの大東亜戦争は支那事変勃発まで遡るということも決定しています。
それではなぜ東條内閣は大東亜戦争としたか。
もともと大東亜戦争の目的は中国、東南アジアなどを日本の支配圏に置き、日本を盟主とした大東亜共栄圏という共同体を造ろうというものでした。
ですからアメリカやイギリスと戦争をし、日本は完全勝利が出来ないと分かっていても、米英と講和をしてこれらの地域の優越権が日本にあることを認めさせれば戦争目的を達することができます。
ですから大東亜共栄圏建設のための戦争だから大東亜戦争です。
また大東亜の言葉の意味ですが、「東亜」は日本を含む東アジア、「大」は超えるという意味です。つまり東亜を中心としてその周辺地域という意味になります。
なお海軍からも対米英蘭戦争をアメリカも呼んだ太平洋戦争という案は出されましたが、太平洋戦争では海軍が主になるイメージということで陸軍から反対されています。

  • har********さん

    2018/9/1913:21:37

    なぜ大東亜戦争という名称が禁じられたのか。
    それは東南アジアが白人の植民であり、大東亜共栄圏建設には白人を追放して建設するということに繋がっているため、東南アジア、南アジア、その他の地域が白人支配から独立をする機運が高まらないように大東亜共栄圏という名前から連想させないようにするためです。
    また日本人にもこの戦争に大義はなかったと思わせるためです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

アバター

質問した人からのコメント

2018/9/23 18:30:35

納得しました。
ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

ava********さん

2018/9/2009:35:19

「大東亜戦争」とは日本政府が1941年12月に決定した名前です。

日本にとって、1941年12月当時の主戦場は中国大陸であり、対米戦争と合わせた名称として付けたものです。
アメリカの考え方は「日本が悪い」を印象付けるために、東亜の開放をうたった「大東亜」の名称を嫌ったのです。
「教育勅語の廃止」も同じですが、「大東亜はアジアの統一を意味する」とアメリカに入れ知恵したのは日本人左翼です。

cel********さん

2018/9/1914:31:07

防衛省防衛研究所のWebの↓のページにリンクのある『日本における戦争呼称に関する問題の一考察』(庄司潤一郎・防衛研究所紀要第13巻第3号・2011年3月)によれば…

http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/j13-3.html

大東亜戦争という呼称については、開戦直後に名称が決定し発表された時点で既に政府&軍の中に

主要な戦闘地域が(当時の言葉で言うと)『大東亜』だから、

と、

(そういった地域のイメージからではなく)『大東亜新秩序建設』という政治的目的から来るもの、

という認識の不一致があった、との事です。

「大東亜新秩序という戦争目的から来るもの」という意味の内閣情報局の声明に対する、『情報局は何を血迷ったかという外はないのである』という当時大本営陸軍部参謀の原四郎の当時の感想をこの論文は紹介していますが、これは、大東亜が主要な戦闘地域を意味する言葉であり、戦争目的は自存自衛であって大東亜共栄圏建設云々ではない、と考えている側の認識を挙げたものです。

ですから、「何故、大東亜なのか」と言う事について「これが唯一の正解」というのは挙げられないです。


太平洋戦争という呼称についても、この小論文は触れており、それをザクッと纏めれば…

1945年9月から、GHQが『八紘一宇』などと同様に『大東亜戦争』を新聞・雑誌・出版物などで使用する事を禁じる

同年12月8日から17日まで、GHQが提供した「太平洋戦争史-真実なき軍国日本の崩壊」という記事が新聞各紙に掲載された

その後、(書く側が自ら“自主規制”をした場合は別として)、出版物などで大東亜戦争が使われているとGHQの事前検閲に引っ掛かる(書き直しせば出版可)となる

といった感じになります。なお、GHQ提供の記事が各紙で掲載される前日の12月7日に朝日新聞が「太平洋戦争」という呼称を記事に使った事もこの論文では触れていますが、GHQ提供の記事が「GHQの民間情報教育局(CI&E)が準備、参謀第3部(G-3)の戦史官の校閲を経たもの」とも書いていますので、朝日新聞の使い方がGHQ提供の記事の使い方になった、って可能性は考慮する必要はないものの、逆に、何故GHQが「太平洋戦争」という呼称を選んだか、はこの論文からはわかりません。(そもそも、わかるような資料があるかどうかも、私にはわかりません)

が、GHQにとっては「大東亜戦争」以外であれば、「太平洋戦争」だろうが「第二次世界大戦」だろうがなんだろうが、それほど拘る理由があったとは、私にはちょっと想像が出来ません。

ちなみに、↑の小論文に、1945年12月にGHQから「大東亜戦争」という呼称の使用を禁じられた政府が暫定的に「今次(の)戦争」と置き換えることにした、とあるように、厳密に言えばGHQは「太平洋戦争と呼べ」と指令したのではないです。「大東亜戦争」は使うな、という指令があって、それに反する出版物などを見つけると、「太平洋戦争」に書き換えさせたのであって、「太平洋戦争以外は不可」ではありません、厳密に言えば、ですが…

…という訳で、ご質問に対しては、

大東亜戦争の呼称は、主要な戦闘地域からなのか、大東亜共栄圏建設という『戦争目的』からなのか、は当時の認識としても一致しない。

太平洋戦争については、GHQがそれを選んだ動機は不明ではあるが、GHQが「太平洋戦争」に特に拘る理由はあまり思いつかない

というのが私の回答になります。


(ご参考)

『日清戦争・日露戦争なんて言葉は当時無かった。』とか言った、ムチャな事を言っている人がいますが…(相変わらず、“大胆不敵”な人だな、mek********さんは…)

↓の茅ヶ崎市博物館のWebに、『壮絶快絶 日清戦争』という題の芝居が宣戦布告から1ヶ月後の1894年8月31日に浅草で上演された事が載っています。
http://www.chigasaki-museum.jp/pickup/picture_2007/11-11gatu.html

国立国会図書館デジタルコレクションで、明治時代の新聞記事を集めた『新聞集成明治編年史』という本が見られますが、その第九巻のP117(↓)に8月16日の時事新報の記事で『早くも日清戦争劇 川上一座の大道具』という見出しのものが載っています。(宣伝目的で時事新報に書いて貰った可能性も無い訳ではないですが)、この芝居は上演前からそれなりに人の目を集めていたようだ、とは言えます。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920400/85

『日清戦争という呼称はこの芝居からではないか』という説もあるぐらいですが、その真偽は私にはわかりません。が、自分の知っている資料で『明治二十七・八年戦役』と呼んでいるものがある事を根拠にして、『その当時、日清戦争なんて言葉は当時無かった』なんて断定するのは全く論理的ではない上に、『歴史上の出来事の呼称は、起きた時からずっと一つのものを皆で使い続けるとは限らない(普通は違う)』、って事をよく示しています。

日露戦争についても、国立国会デジタルコレクションで見られる『戦時国民の心得べき国際法の話』(関実著・福山書院)という本の中で、『第一編 日露戦争の発端』という一節がありますが、これは日露戦争勃発から約2ヶ月後の明治三十七年四月に出版された本です。


むしろ、『大東亜戦争や支那事変のように、その当時の政府が正式呼称として決定し新聞などもそれにフォローした結果、その当時の資料では殆ど完全に統一されている』といった事例の方が珍しいかも知れません。ですから、『一つの資料でこう呼んでいるから、それがその当時の呼称と思ってよいのだ』という推測は、たいていの場合は通用しない(だから、普通は思いつきもしない)、というのは、その当時の記録を当たる経験を何回かすれば、簡単に気付くことです。

『歴史上の出来事の呼称は、起きた直後は様々な呼び方がされて、それが次第に慣習的に収斂していく事が多い(が必ず一つに収斂するとは限らない)』が、一般論として言える事ですので、今ある呼び方の「その心は何か」という点に付いてはそれほどバラツイタ推測にはならないものの、「他の呼び方ではなくて、何故これだったのか」というのは、呼称の決め方や変遷の経緯がわかる資料があるような場合を除くと、わかる事は結構珍しいかも知れません。


もうひとつオマケを…

国立公文書館アジア歴史資料センターで開戦当日の日付の「日英米戦争ニ対スル情報宣伝方策大綱」という資料が見られます。(レファレンスコードB02032970000)

この中の、「基本方針」中の「基本要綱」中の「四」には、

『敵国に対する思想謀略並に枢軸国との協力確保の為民族戦特に有色白色人種間の戦争なるが如き言動は之を排除す』

とあります。

つまり、『対英米戦争を有色人種VS白人との戦いであるかのような新聞報道なんかはさせない』という意味です。そりゃそうですよね、同盟国のドイツもイタリアも『白人』の国ですし、“準同盟国”であるヴィシー政権についたフランス領インドシナ植民地政府と『合意』に基いて進駐していた(つまり、フランスがインドシナを植民地支配しているのを認めている)のだから、『日本がアジアを白人支配から解放し独立させる為の戦争である』なんて宣伝したら、アホですな。誰が聞いても「全くのお題目で二枚舌」ってバレバレです。“真面目に”戦争をしていた当時の政府は、そんな無意味な宣伝はしていません。宣伝は戦争に勝つ為にやるのであって、「二枚舌。ただのお題目」と誰が聞いてもばれるような宣伝をする訳がありません。

あくまで、政府自身の正式なスローガンは「大東亜を英米支配から解放する」でした。白人支配でもないし、(解放であって)独立でもないです。だって、最初から「必要な地域は日本の領土に組み込むつもり」だったし、それは東條英機が開戦後間もない1942年1月21日の国会での施政方針演説で堂々と言っていたぐらいですから…

sar********さん

2018/9/1913:11:19

大東亜新秩序の構築を目指す戦争だからです。

大東亜新秩序とは、東亜新秩序を拡大したもので、日満支による共同防共と汎アジア主義の具現化を目指す思想です。
これに経済圏として資源の供給地を東南アジアに求め、東亜を発展させるというものです。
お分かりのように、これを達成させるためには赤化しつつある支那に協力させる必要があり、欧州植民地の東南アジアに入り込まなくてはなりません。これには武力決着も辞さないという方針から戦争に至りました。
別の言い方をしたのが大東亜共栄圏構想です。

それから米国は戦後、太平洋戦争と呼ぶよう指示はしていません。先の思想を封じるために大東亜の呼称使用を禁止したにすぎません。呼び名を奪われたため、代わって太平洋戦争と呼ぶようになったのは自発的なものです。

mek********さん

2018/9/1910:01:59

日清戦争・日露戦争なんて言葉は当時無かった。明治二十七八年戦役、明治三十七八年戦役と呼ばれていたのです。

明治二十七・八年戦役従軍紀―野沢武三郎手記 (1974年) - – 古書, 1974
野沢 武三郎 (著), 羽鳥 敬一 (編集), 本間 恂一 (編集),

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる