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三国志について質問します、濁の姜維ってかなり!評価が人によって別れますが、貴...

npd********さん

2018/10/1623:20:24

三国志について質問します、濁の姜維ってかなり!評価が人によって別れますが、貴方様の評価はいかがですか?正史ベースでの返信を、お待ちします(これまでの評価は いい評価は、最後の勇将!姜維が三十年早く産ま

れていて、諸葛亮とタッグを組んでいたら濁滅亡は三十年遅れていた!悪い評価は、濁の滅亡を早めた最凶、最悪の愚将!間逆の評価は姜維が勝てない北伐をやってなければ、悪い意味で濁滅亡は三十年遅れていたです)

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ベストアンサーに選ばれた回答

FTさん

2018/10/1907:40:53

まず理解するべきなのは、北伐は姜維の個人的行動ではないという点です。大将軍とはいえ皇帝の命令なしに勝手に軍を動かすことはできません。姜維の北伐も当然朝廷の裁可があってのことです。

で、北伐の背景として挙げられるのは、魏の鄧艾がやった農業生産の強化です。

鄧艾は魏南部の肥沃な土地に運河で水を引いて屯田を行い、外征用の兵糧の確保に成功します。運河の完成が241年で、鄧艾の計算によれば「諸費用を除いても6~7年で十万の軍勢の5年分の兵糧を備蓄できる」そうです。

つまり250年頃には魏は大軍で外征できるだけの兵糧を確保したことになります。


他方、250年~260年には魏国内で

251年 王淩の乱
254年 魏帝曹芳廃立
255年 毋丘倹の乱
257年 諸葛誕の乱
260年 魏帝曹髦暗殺(成済の変)

と、10年の間に内乱3回と皇帝の暗殺、廃立が1回ずつ起こり、魏は建国以来の危機を迎えます。


姜維が大軍を率いて北伐を始めるのが253年です。姜維でなくても「兵糧備蓄に成功した魏軍が攻めてくるのは時間の問題。だったら呉とともに魏の内部分裂に乗じて一か八かの勝負に出るべき」と考えるでしょう。現に呉も253年に合肥へ侵攻し、毋丘倹と諸葛誕に多数の援軍を送っています。


姜維の実績ですが、確かに勝利より敗北の方が多いです。しかし負けた時の敵にはほぼ毎度鄧艾がいます。鄧艾と言う人物ですが、どうも戦に負けたことが一度もないっぽいです。


姜維も敵に鄧艾がいないときにはあまり負けた記述がないので、姜維が弱かったというよりは鄧艾がガチの天才だった可能性は大いにあると思われます。

  • 質問者

    npd********さん

    2018/10/1922:00:04

    魏の運河完成241年は、愚かにも始めて知りました。姜維は、北伐を何回したのでしょうか?結論から言えば、魏の運河完成が蜀にとっては運の尽き!諸葛亮が存命して姜維とタッグを組んでも、蜀滅亡は免れなかったと感じます

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質問した人からのコメント

2018/10/21 12:32:15

全ての回答者様のアンサーは、素晴らしく感謝いたします。
ベストアンサーに選択した理由は、241年に魏の運河完成(愚かにも始めて知りました)以降の魏から晋への司馬一族の台頭理由を具体的に、教えて頂けたからです

ベストアンサー以外の回答

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lor********さん

2018/10/1913:04:17

ん、まぁ戦に関しては何かと詭を採りたがる姜維でしたので、もしかしたらそういう動きたがる相手は逆に潰しやすかったのもあるとは思います。
なので、やはり諸葛亮時代の裁量が正しかったのかなぁとは改めて思うわけですが。
まぁ、でも結局は策を巡らせてみようが、堅実に進もうが成功はしないので、評価には値しない、というところが本音です。
しかし姜維はしぶとく、なんとか処世術で望んでない部分があるにせよ、鍾会鄧艾を道連れにしています。
そういった意味では互角だったのかなぁと思いますね。
争いとは総合力で決まりますから。
その点司馬懿や賈詡はずば抜けています。

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kum********さん

2018/10/1717:55:06

例えば現在でも実際に現場で自分の体を動かす方が向くタイプ、管理職として下の人間を扱うのが得意なタイプ、と別れます。それぞれが違う分野で得意とすること、苦手なことがある訳ですね。

三国志の時代も同じで、例えば関羽や張飛は武将、将軍としては有能です。ですが彼らは国家のガイドラインを示すようなことはできませんでした。逆に諸葛亮などは優秀な政略家であり指揮官でもありますが、自ら前線で剣を振るうような武将ではありません。

姜維の場合は元々が関羽や張飛、魏延と同じ武将、将軍として優秀なタイプであり、諸葛亮や龐統のように国家の方針を決めるようなタイプではありません。一将軍としての役割に徹していれば、武将としての評価は上がったと思います。

姜維を評価をする人は武将としての才能を評価し、姜維を評価しない人は政略家として、国家の大計を見誤った部分を貶めているのです。自分も将軍としてなら蜀の中では間違いなく上位に来る存在だと評価しています。

ちなみに私的評価では
姜維 武勇87 統率82 知謀55 政治31

同じ蜀の例えば張飛とかでは
張飛 武勇97 統率78 知謀58 政治19

武勇はさすがに及びませんが、大軍の指揮は姜維の方が適していると判断して、統率は姜維の方を上にしています。どちらも国家の大計を示すようなタイプではないので政治は低い、と言う評価ですね。

日本の戦国武将で言うと、戦の強さは父の信玄以上と言う評判だったのに、時局を見誤り、一族を滅蔵させてしまった武田勝頼が一番近いタイプだと思っています。

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わをんさん

2018/10/1701:33:44

三国志に濁という国はありません、あるとすれば蜀(しょく)です。
無理に北伐を繰り返すだけの無能、もっと国内に目を転じるべきでした。

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