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萩原朔太郎の死なない蛸の解説をしていたたけないでしょうか?この詩のポイントは...

xxxquantxxxさん

2008/10/1023:21:52

萩原朔太郎の死なない蛸の解説をしていたたけないでしょうか?この詩のポイントはどこでしょうか?萩原朔太郎は何を伝えたかったのでしょうか?よろしくお願いします。

萩原朔太郎 死なない蛸

ある水族館の水槽で、ひさしい間、飢えた蛸が飼われていた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻瑠天井の光線が、いつも悲しげに漂っていた。

だれも人々は、その薄暗い水槽を忘れていた。
もう久しい以前に、蛸は死んだと思われていた。
そして腐った海水だけが、埃っぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまっていた。

けれども動物は死ななかった。
蛸は岩影にかくれていたのだ。
そして彼が目を覚ました時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、恐ろしい飢餓を忍ばねばならなかった。
どこにも餌食がなく、食物が尽きてしまった時、彼は自分の足をもいで食った。
まづその一本を。
それから次の一本を。
それから、最後に、それがすっかりおしまいになった時、今度は胴を裏がえして、内臓の一部を食いはじめた。
少しずつ、他の一部から一部へと。
順々に。

かくして蛸は、彼の身体全体を食いつくしてしまった。
外皮から、脳髄から、胃袋から。
どこもかしこも、すべて残る隈なく。
完全に。

ある朝、ふと番人がそこに来た時、水槽の中は空っぽになっていた。
曇った埃っぽい硝子の中で、藍色の透き通った潮水と、なよなよした海草とが動いていた。
そしてどこの岩の隅々にも、もはや生物の姿は見えなかった。
蛸は実際に、すっかり消滅してしまったのである。

けれども蛸は死ななかった。
彼が消えてしまった後ですらも、なおかつ永遠にそこに生きていた。
古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――ある物すごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きていた。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2008/10/1102:25:35

印象だけ・・・・

迫害されどんなに厳しい状況になったとしても、
それを言った人がこの世を去ってしまったとしても、
人の言葉・思いは永久に消えない。

って感じなのかなって思いました

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ベストアンサー以外の回答

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yoh1kojimaさん

編集あり2008/10/1304:28:18

朔太郎は専門ではないので、この詩にこれまでどんな解釈がされているのかわかりませんけど、わたし個人の私的な読解として。

要するに、最後の2行がいいたかったこと(ポイント)で、その前の部分は、「ある物すごい欠乏と不満」についてのイメージを説明するためというか、それを象徴させた部分ですね。
身体が消えてしまっても、「欠乏と不満」が残って「生きていた」ということは、「蛸」の存在そのものが「欠乏と不満」で構成されていたと解釈できるかと思います。
そして、「欠乏と不満」には必ず「欠乏や不満を補いたい、解消したいという願望」が伴います。

以上を踏まえて、仮に「蛸」を「詩人」または「芸術家」に置換してみると、「詩人(または芸術家)」は世間から(生前から)忘れ去られても、死んでしまっても、その「詩人(または芸術家)」として抱いていた「欠乏や不満を補いたい、解消したいという願望」は、意味を持ち続けると解釈することも可能ではないかと考えます。この場合の「願望」は「パッション」とも言い替えうる。

つまり、『「詩人(芸術家)」としてのパッション(この詩では、これを「欠乏や不満」という負のベクトルをもったものとして表現されているが)は、世間から認められようが認められなかろうが、本人が死のうが生きていようが、それ自体として存在し続ける』ということになるのではないかな? と思います。
さらにいえば、「詩人(芸術家)」の「詩人(芸術家)」たる所以は、そういう「パッションにこそある」のだとも。「蛸」の存在がその欠乏や不満に置き換えられたように。

なお、ここでいう「存在しつづける」ということは、「意味があることだ」というふうに言いかえるとわかりやすい。

では、「欠乏や不満を補いたい、解消したいという願望」が、具体的には何を指すのか。
このあたりは朔太郎研究者の守備範囲であってわたしには何ともいえませんが、一般論でいうなら、(特に日本の)詩人や芸術家は、例えば失恋をきっかけに作品を生み出すとか、心理的なダメージが芸術に昇華されるということは珍しいことではありません。
あるいは、風刺を旨とする漫画家なら、現実の政治に対する失望だって、作品を描く動機になり得ます。

そして「蛸」が自分の身体を食べるのは、作品を生み出す「生みの苦しみ」の象徴でしょうね。文字通り「身を削って作品を書く(描く)」ことを示している(本来の創作とはそういうもの)。

ただ、もう少し抽象的でよいのなら、この詩の暗いイメージにもかかわらず、もっと広く意味をとらえて、そういう「失恋に対する思い」とか「友人から裏切られたことへの憤り」とか、あるいは「社会的不公平に対する怒り」とか「犯罪に対する憎しみ」とかの負のエネルギーで呼び起こされる創作動機だけではなく、創作を促すすべての「パッション」について「意味がある」といっていると解釈してもいいのではとも思います。詩のイメージの暗さは、「芸術の道の厳しさ」だとして。

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