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2018/11/7 9:44

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近代日本軍は何故兵站を軽視していたのでしょうか?その背景を出来るだけ丁寧に教えてください。

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兵站を軽視していたわけではなく、兵站を十分に用意する余裕がなくなり、無理な作戦を立てることになりました。暗号が筒抜けで物資輸送船の多くを撃沈されていたことが原因。

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日本軍において兵士や将校を評価する基準が、「積極果敢な攻撃精神を持っているかどうか」という精神面での要素を重視しすぎていて、「着実かつ堅実に部隊や物資を運用して合理的に物事を進める」という部分を軽視する習慣があったからです。 今でも、運動部系の部活の顧問や監督などで、「ぶっ倒れるまで練習しろ!炎天下で熱中症で倒れるくらいでなければ根性は身に着かない!」的な価値観を持っている人間が相当数いるのは、こうした部分の精神的なDNAが受け継がれているからです。夏の甲子園大会や正月の箱根駅伝なんかを見ていると、この辺は良く実感できます。 日本軍では、ロクな補給体制もなしに「敵をぶっ倒して来い!」とかいって敵地に将兵を送り込み、その部隊が成功すれば手柄は本部で椅子に座っている人間が独り占めし、部隊が敗北したり全滅したりしたら現場の将兵に責任を押し付ける、というのが常態でした。 適切な補給体制を取ろうとしたら「無駄金を使うな」とか「臆病者」とかいって本部内での出世争いで負けてしまうから、本部の人間たちは補給のことをまともに考えようとしなくなっていきましたし、現場の指揮官たちの側にしても、本部に対してまともな補給を寄こせと要求すると「臆病風に吹かれたな!」「武士の風上にも置けん!」みたいなキチガイじみた罵倒をされて解任されたり、ひどい場合はより過酷な戦場により貧弱な装備と補給で送り込まれたりすることになるので、そういう声を上げる気力を失っていきました。 ようするに、貧乏所帯でやりくりしているうちに「いかに金を使わずに、いかに自分が積極的な姿勢を持っているかを周囲にアピールするしか出世の道が無くなってしまった組織」になってしまっていたんです。 肝心要の「戦果を挙げて敵勢力を打ち倒す」ということが無視されて、「組織内部での自分の昇進」にしか目がいかないシステムが出来上がってしまったことが、兵站軽視の原因です。 だって、戦果を挙げなくったって「積極果敢な姿勢」を示せさえすれば、出世して良いポストにありついて楽が出来るようになるし、いくら戦果を挙げたって「積極的でない」と判断されたら左遷されたりクビにされたりしてヒドイ目に遭うというのを学習していけば、自然と組織というのはそういう方向に動くことになりますから。

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日本軍が兵站を軽視していたというのは軍事を知らない無知な人の妄言です。 軽視したのではなく、わかっていても国力上できなかったのです。 「これだけのものが必要だ」という見積もりと、現実に生産できるものの数が2ケタくらい違っていた。

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日本という国は、元々兵站という考え方が希薄な国でした。 戦国時代の戦いにおいても、兵糧の確保と貯蔵に重点がおかれ、兵站という概念が欠落していました。 唯一兵站の重要性を理解していたのは、、豊臣秀吉くらいです。 日本において戦争とは、戦闘を意味し、いかに戦闘で優位にたつかだけが考えられていました。 そのため日本の城は、兵糧の貯蔵庫と、敵の兵力をひきつけ、消耗させることが目的となっており、城により敵を撃退するという考え方は存在しませんでした。 そのため、日本の戦争は、ごく短期間の戦闘を想定してのものでしかなく、おおよそ2週間程度の戦闘行動が限界でした。 2週間程度であれば、城に貯蔵した兵糧で十分まかなえたのです。 日本では、大軍を擁して一挙に決着をつけるというスタイルが定着していたため、兵站という考え方が全く育たなかったのです。 日本軍の兵站軽視が大きな問題となったのは、日清戦争の時の平壌攻略戦のときでした。 平壌攻略においては、清軍の食料を確保することなより、戦いに勝利することになります。 これは、日本軍が2日分の食糧のみで平壌攻略戦を開始したことによります。 しかしこのことは、日本軍では、「十分な食糧を送らないことにより、兵士が果敢に戦闘を行い勝利できた」と逆の解釈がされ、日本軍の兵站軽視が、さらに悪化することになります。 『太平洋戦争の餓死者の事を挙げてそういうことを言いますが、それは「木を見て森を見ない」論調でしかありません。』 とか、『兵站の軽視は,全くしていません。何を根拠に,そう言われますか?』などと、おかしな事を言っている人がいます。 日本軍には、そもそも兵站の重要性を理解している人がいませんでした。 『日本は島国で戦地が外国なら輸送は船舶に頼ることになります。 そのために大船団を立てたら狙ってくれと言ってるようなものです。』 大船団をたてることは、兵站の原則であり、大規模に一挙に輸送することは、基本中の基本です。 大規模な輸送船団をしたて、それを大規模な護衛船団で守る事により、輸送船の被害を最小限に抑えるのです。 空母と多数の護衛艦に守られた輸送船団で、イギリスはドイツのUボートから輸送船をまもりきったのです。 HX船団やPQ船団により、イギリスやソ連がどれだけ活躍できたのかしらないのでしょうか? 日本軍は、兵站軽視のために、輸送船団を組むことも、空母を輸送船の護衛につけることもしていません。 それで、兵站を軽視していないとよく言えたものです。 日本軍による南京大虐殺も、日本軍の補給軽視により発生した事件です。 捕虜に与える食料どころか、日本軍兵士の食糧も不足していたのですから。 これは、戦果の拡大のために、補給体制が整う前に、南京攻略戦が開始されたことによります。 また、従軍慰安婦問題にしても、日本軍の兵站軽視が原因となっています。 『ナポレオンもヒトラーも対ソ戦で,できる限りの兵站の準備をしましたが,戦局が悪化したらすべてがうまくいかなくなりました。戦争は,そういうものです。』 これは逆です。 ナボレオンもヒトラーも、兵站を軽視し、戦果の拡大のみを求めたため自滅したのです。 戦果の拡大を、兵站能力が超えてしまったために、兵站が破綻し、戦いに負けたのです。 もしナポレオンやヒトラーが、兵站を重視するなら、リガ、ミンスク、キエフを占領した時点で兵站の整理のために、軍を停止させたはずです。 そしてあらたに、リカ、ミンスク、キエフを新たな補給拠点として確立してから軍を進めたでしょう。 「補給の届かないところには、軍を侵攻させない」これが補給重視であり、郡の拡大に兵站を追従させる事が、補給軽視なのです。

>軽視したのではなく、わかっていても国力上できなかったのです。 「これだけのものが必要だ」という見積もりと、現実に生産できるものの数が2ケタくらい違っていた。 それで、攻撃に出るのを、兵站軽視といいます。 これは、現在の経営にも全く同じ事がいえます。 資金供給力を超えた投資を行い、会社を倒産させるのと同じです。 売り上げ1000万の会社で、毎日1000万の資金需要があれば、倒産するのはわかりきった事です。 日本軍は、それをやっていたのです。

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個人的な感想のレベルです。 「武士は食わねど高楊枝」といった食べることを卑しいというような考えが立派という根性論がはこびっていたからではないでしょうか。 畏れ多くも天皇陛下が、、、と言われたら、誰もが表立っては反論できなかったようですから、飯のような下世話なことを話題にするのは非国民呼ばわりでしょう。 8月になるとよく放送される戦争記念番組で耳にしたこと。もともと日本軍の作戦は短期決戦、一発相手に大きな被害を与えれば、相手はひるんで負けを認める、というお気楽なものだったらしい。長期戦は想定外だから、物資補給の兵站は、見方によっては短期決戦を否定する。死ぬ物狂いセやれば成功すると相手を見くびっていた。 なお、一発攻撃については、敗戦確実だったのに長引いたのは、当時の天皇が、負けても有利な交渉をするために、一撃を加え日本の底力を見せればよい、と考えたからのようで、いろいろ関係している。 日本民族は短期決戦が好きなみたいです。