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大庄屋屋敷を見学したのですが、一見城のような豪華さでした。3村を束ねていまし...

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ID非公開さん

2018/11/1507:54:31

大庄屋屋敷を見学したのですが、一見城のような豪華さでした。3村を束ねていました。しかも小作に働かせていたのですよね?そんな良い暮らしを武士は何故許していたのですか?

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sun********さん

2018/11/1601:46:18

だって、たまにあっちの方が貴族の流れで家格が高い場合があるもん。

福岡の豪農、武内家って
そのまんま武内宿禰の子孫で
武内屋敷って呼ばれていますしね
そこらの武家より格式上ですよ

戦国時代はこういった家に
戦国大名なんかが
「お願いです加勢をお願いできますか?」
なんて書状を送って
「あの時は大変お世話になりました、ありがとうございました」
なんてお礼をするような関係なんです

日本の身分制度って単純じゃないんですよ。

どこの庄屋屋敷を見たか
分かりませんが
諏訪家屋敷とか
あの諏訪家じゃねーか!
名門じゃねーか!
というレベルです。

武家だから身分が上
農民だから身分が下と単純なものではありません

農民の中には神官を兼ねて
そこらの武家など下の身分の者もいたりするんです。
どうしても歴史は大名クラスの視点で見てしまいがちですが
あくまで特権階級は大名・藩主なんかのクラスであって

そこらへんの役人のサムライは
大多数の庶民より身分が高いかもしれませんが
僧侶や神官、名家より低い場合も多数あるんです

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shi********さん

2018/11/1511:18:04

年貢の米を管理させるからです。

mar********さん

2018/11/1510:23:53

庄屋は支配者側の人間ですから。
また、江戸時代も後半になると、大庄屋は大商人と同様に大名に貸し付けも行ってました。武士にとってはむしろ金策の対象として必要不可欠な存在です。

met********さん

2018/11/1510:12:25

庄屋は刀を差していない代官です。当然それなりの格式のある生活をしています。大庄屋となればその取りまとめ役ですからさらに立派な屋敷に住んでいてもおかしくありません。

水戸黄門などでは横暴な代官が「五作は年貢が未納だから女房を差し出せ」などとやっていますがあれは間違い。
年貢は個々の農民からは庄屋が徴収し、納められないものがいれば庄屋が立て替えて、村全体の年貢を代表して代官に納めます。

代官はその村全体が納めるべき年貢を納めたかどうかをチェックするだけで、個々の農民が納めたかどうか、だれかが肩代わりしたかなどは関知しません。

代官は村というカプセルの外側からしか支配しないのです。
カプセルの内側で個々の農民を支配しているのは庄屋です。

それが刀を差していない代官という意味です。

なぜそうするのか。

武士である代官に村の中まで強力に支配させると、村を乗っ取って独立してしまう恐れがあるからです。

戦国時代がなぜあれほど戦乱が続いたかというと、大名同士が戦ったこともありますが、大名の家臣が素直に言うことを聞かなかったからです。
特に国人衆や地侍は、戦国大名の領国の中に村単位あるいは数か村単位の領地を持っていて、独立性の高い軍事力と経済力を兼ね備えていたので、事実上ミニ戦国大名的な存在でした。
この連中はちょっとでも大名に不満を抱くとすぐに独立したり別の主君に鞍替えしたりと、厄介な存在でした。

江戸時代が安定していたのは藩士や幕臣を領地から切り離し、サラリーマンにしたからです。

そして刀を差しているものには農村を間接的にしか支配させない。
農村を直接支配している者(庄屋)には武装させない(実際にはアクセサリーとしての刀は許しましたが)という方針でした。

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