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弥生人が持ってきたのは 稲の種 ではなく 争いの種 ですか?

man********さん

2018/11/1818:55:24

弥生人が持ってきたのは

稲の種

ではなく

争いの種

ですか?

この質問は、gra********さんに回答をリクエストしました。

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gra********さん

リクエストマッチ

2018/11/1821:11:24

例えばこの前の質問で出てきた縄文人が南方からと言うあなたの質問をもう一度再考してみたんですが、そこで思い当たったのが「港川人の復元の捏造」です。
港川人とは沖縄で発見された旧石器時代の人骨の事ですが、これを復元したものはっ当初縄文人にそっくりな容姿でした・・・・しかし最新のコンピューターソフトなどで科学的に電子で復元した姿はオーストラリア先住民やニューギニアの集団のそれだったんです。
何のことはない、「縄文人の祖先に違いない」と言うバイアスの下で縄文人に似せて復元したに過ぎなかったのです。
真実と言うのは「不可能を消去した先」にあるものであって如何に奇妙に映っても他が不可能ならそれが真実と言う事なんですよ・・・・。
私の回答はあくまで個人的な見解ですからそういうつもりで読んでほしいのですが、渡来人自体は否定しませんがそもそも紀元前2・3世紀・・・・大陸は戦乱の時代です。
戦争難民が避難先で先進技術を携えてそれをもたらすなんてことが現実的にあり得ると思いますか?
私は確率は限りなく低いと思いますよ?
今もそうですが難民と言うのはそこで生活できないから「逃げてくる」んです。
逃げるのに危険な海の航海なんか選択するでしょうか?
また先進技術者なら戦争中であればそこの王朝が手放さないんじゃないでしょうか?
そう言う人材の流出は=国力の低下うを意味しますから状況としてもあり得ない話です。
また支石墓と言うのが九州から半島に至る辺りに点在しますが、これは実は縄文人の骨しか出てこない事から縄文人の移動を表してるものだと思います。
年代的に本州に近いほど古くなるようなので本州から移動した集団の墳墓と考えられます。
今から7200年前九州の南の海上にある鬼海カルデラが大爆発しその火砕流は薩摩半島にまで達したと言われています。
この時期を境に世界各地で縄文土器(日本で作られた)が発見されたりしていて九州に居た縄文人がかなりの数海に逃げたと考えられます。
文献などの記述を信じるなら凡そ大陸に住んでた人間は今の中国人と同じような感覚の人か寧ろもっと問題の多い人たちだった可能性が高いです。
それらの人達が少数とはいえある意味平和だった縄文コミュニティーに来た場合、助け合うなんてことになるでしょうか?
紛争になるでしょ? 普通は・・・・事実大陸の文献には倭国大いに乱れるとあります・・・・。
つまり紛争が起こったそこは九州だっただから九州で環濠集落が発展した・・・・。
と考えるのが自然な思考です。

ベストアンサー以外の回答

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shi********さん

2018/11/1821:34:48

文字通り飯の種です。

爆発的に人口増えました。

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