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五胡十六国時代に最近はまっています!三国志の時代よりどろどろしてますがとても...

pkn********さん

2018/12/2418:07:58

五胡十六国時代に最近はまっています!三国志の時代よりどろどろしてますがとても面白い時代だなと!質問なんですが!この時代最高の皇帝・将軍・軍師は誰になりますか?三国志の曹操・呂布・諸

葛亮を上回りますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mrt********さん

2018/12/2421:25:28

皇帝:石勒

中国史上における地方王朝の覇者では曹操、苻堅 、劉裕、宇文泰などに並ぶ傑物。胡人としては比較的名家の出自だが、一時期奴隷まで身を落とし最終的に皇帝までなった唯一の人物。その後に続く異民族国家の形を作り出した英雄であり、彼が築いた後趙の国力は曹操の魏とほぼ同等である。
曹操>石勒

軍師:王猛
聖王・苻堅 の業績は宰相・王猛の存在なくして語られないと評される。主君への進言はつねに正確で誤りなく、卓越した政治力と軍事手腕を誇り、華北では弱小勢力だった前秦を瞬く間に覇権国家に押し上げた。しばしば判断ミスをし、軍事能力が微妙だった諸葛亮と異なり、自ら兵を率いても強く、その実績や能力は諸葛孔明を上回ると考える。前秦最盛期の国力は曹操の魏すら凌ぐ大国であり、仮に王猛が長生きして苻堅に天下を取らせていたら中国史上でも屈指の英雄になっていたかもしれない。
王猛>諸葛亮

将軍:慕容格
五胡十六国時代では王猛と並ぶ名将と評される。10代で初陣を飾って以降、生涯不敗を貫き、人格はともかく軍事に関しては負けなしだった石虎や冉閔の数倍~数十倍の大軍をわずかな兵力で蹴散らし、高句麗や東晋などを相手にも勝ち続けている。おそらく三国時代には彼と並ぶ将軍は存在しないだろう。もし慕容格がもう少し長生きし、王猛と競っていたら前燕の命運がどうなっていたのかと考えるのは面白い。

質問した人からのコメント

2018/12/29 21:03:59

ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2018/12/2419:04:42

この時代、皇帝になっていない君主もたくさんいるので、皇帝縛りにせずに回答しますね。
最高の君主として真っ先に名が挙がるのは、前秦の苻堅でしょうね。
理想が先走りすぎて、王猛以外の進言を基本無視するあたり、いわば「乱暴ではない暴君」のようなもので、私はあまり彼が好きではありませんが。

私はどちらかというと苻堅よりも後趙の石勒のほうが好ましいです。小部族の酋長の息子でしたが、戦乱によってほぼ奴隷同然にまでなり、そこから傭兵になって劉淵の漢で頭角を現し、最終的に後趙を建国するに至った、苻堅登場までの華北の英雄の一人ですね。
有名なエピソードを一つ引用します。『十六国春秋』です。

三年正月,大饗於建德殿,酒酣,勒謂徐光曰:「朕方自古開基,何等上也?」光對曰:「陛下神武,籌略邁于高皇,雄藝卓犖,超絕魏武,三五以來,無可比也。其軒轅之亞乎!」勒笑曰:「人豈不自知,卿言亦已太過。朕若逢高皇,當北面而事之,然猶與韓、彭競健而爭先耳。倘遇光武,當並驅于中原,未知鹿死誰手。大丈夫行事當磊磊落落,如日月皎然,終不能如曹孟德、司馬仲達,欺他孤兒寡婦,狐媚以取天下也。朕在二劉之間耳,軒轅豈所擬乎?」羣臣皆稱萬歲。

宴会の席で石勒は徐光という人に言います。
石勒:「朕はいにしえの創業の君主の中でどのくらいの位置にいるだろうか」
徐光:「陛下は劉邦や曹操よりすっごいのです。三皇五帝以来、比べられる人物はいません。軒轅の次くらいですね!」
石勒:「(笑いながら)人は自分のことがわからんとはいえ、そなたのいうことも大げさだ。もし朕が劉邦に出会えば、彼に仕えて韓信や彭越としのぎを削るのみさ。これが光武帝なら、中原に覇を競うまでだ。いい勝負になるだろうさ。立派な人間というのは太陽や月が曇りなく輝くようでなければならん。曹操や司馬懿のごときは孤児や未亡人を欺いて天下を狐のようにかすめ取ったに過ぎない。朕は劉邦と光武帝の間くらいだ。軒轅はさすがに言いすぎだろう?」
群臣:「ばんざーい!」
実際に曹操や司馬懿が孤児や未亡人をだましたかどうかはまた別の話ですし、本当に石勒が光武帝といい勝負ができるかは置いておいて、石勒の考える理想の創業の君主像がわかって興味深いですね。
そして、韓信や彭越と肩を並べることができる、という、自分の用兵術に対する絶対的な自信は、さすが傭兵から一国を統べる華北の覇者にまでなっただけのものはあります。

また、この時代の最高の名将として名前が挙がることが多いのが、前燕の慕容恪です。後趙が石虎死後に冉閔によって混乱を極める中、前燕に全盛期をもたらした人物です。前燕の二代目君主である兄亡き後、叔父の慕容評とともに若い甥を盛り立て、ほとんど独裁といっていいくらいの権力を握りました。もちろん、他にも名将はいます。彼の弟の慕容垂なんかは、名前が挙がることが多いですね。

軍師という言葉を私は好んで使わないので、ちょっとアレですが、そういう存在としては王猛が頭一つ抜けているでしょう。慕容恪亡き後の前燕をはじめ、華北の勢力を軒並み苻堅に併呑させた手腕はさすがの一言です。彼がいなければ、苻堅には華北の統一は無理だったでしょう。私が苻堅よりも石勒を評価するのは、王猛の存在が大きすぎるからです。
もちろん、石勒にも張賓や石虎など、そうそうたる連中が従っていましたけどね。


調べていけば、色々と面白い人がいる時代です。
一発屋の名将である前涼の謝艾。
羯族を大虐殺したにもかかわらず、名馬に乗り、左右の手に一本ずつ武器を持って戦場を駆ける姿が、非漢民族騎兵たちから称賛の目で見られた冉閔。
北魏との決戦に敗れて敗退する途中で西秦を滅ぼした夏国の匈奴騎兵たち。
東晋簒奪の意思を持ちつつも、それより先に寿命が尽きた桓温の死後、東晋につくし、やる気満々で前秦の大軍相手に引かずに戦った桓氏一門。
この人がいなければ、東晋は前半で大いに勢力を減らし、下手したら分裂か滅亡していたかもしれない温嶠。
書聖・王義之の子に嫁ぎ、その気位の高さと機智が『世説新語』で鮮やかな謝道蘊。
などなど、血なまぐさい時代でありながらも、魅力的な人がたくさんいます。

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